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第53話 祖父と教皇

「聖女よ。突然帰国し戸惑うこともあるとは思うが、そなたの祖父がしっかり身元を保障してくれるゆえ心配はない。さて、教皇も紹介しておこうか」


 国王の言葉に、今度は白いローブを着た男性がシルヴァーナのそばに歩み寄った。


「シルヴァーナ、よく来てくれたね。私はラヴィネラ教の教皇で、ディーター・バルテスという。国も教会もそなたを心から歓迎している。何の心配もない」


 そう言ってシルヴァーナを手をそっと取ったのは、白髪の優しそうな目をした老人だった。白と金を基調にした分厚いローブは教皇のための特別なものなのだろうが、それがあまり似合っていないほど、ただの優しそうなおじいさんという印象だった。

 だがその印象がシルヴァーナの恩師であるリード教皇を思い出させた。


(笑顔が似てる……)


 笑うと目尻に深い皺ができる。リード教皇は69歳で他界しているが、きっと同じくらいの年齢だろう。シルヴァーナの手をそっと包み込む手もしわしわで、でもとても温かく感じる。


「教皇様……、わたくしは聖女など務まりません……。どうか家に帰して下さい」

「何を言うんだ。そなたの噂はヴィルシュまで届いている。殿下、聖女の力は本物なのでしょう?」

「ああ。私自身がしっかりと確認した。不死と癒しの力を併せ持つ、この上なく貴重な聖女だ」


 ライアンがそう答えると、国王も他の貴族たちも驚いた顔をして大きく頷いた。


「違うのです……、わたくしは……」

「何か悩み事があるんだね。分かった。……陛下、どうでしょうか。すぐにお披露目ということはせず、少し落ち着くまで、エクランド侯爵様とわたくしで話をさせて下さいませんか?」

「教皇の言葉はもっともだ。少々強引に連れて来てしまったのは本当だしな。時間を与えよう。今日はこれまでだ」


 国王はそう言って立ち上がり、その場を後にした。ぞろぞろと他の貴族たちも広間を出て行くと、残ったのはライアンとヒューゴ、そして教皇だった。


「殿下、よく孫を連れてきて下さいました。感謝致します」

「ああ。積もる話もあるだろう。部屋でゆっくりするといい」

「ありがとうございます」


 ライアンの言葉にヒューゴが頭を下げる。それに小さく頷くと、ライアンも広間を出て行った。ずっとそばにいたライアンがやっと離れてくれて、シルヴァーナは大きく息を吐いた。


「シルヴァーナ、私はこれからのことを少し陛下とお話してくる。エクランド侯爵様とお話が終わったら、また私とも話そう」

「はい……」


 シルヴァーナが小さく返事をすると、教皇はうんうんと目を細めて頷き、広間を出て行った。


「さぁ、シルヴァーナ、部屋に行こう。長旅で疲れただろう? 空腹ではないか? 何か温かい飲み物を持ってこさせような」


 優しいヒューゴの言葉に、シルヴァーナの緊張がついに切れた。あっという間に溢れた涙が視界を歪ませる。


「お祖父様……私……っ……」

「色々と辛い思いをしたのだな……。さぁ、行こう」


 優しく肩を抱かれて促されると、シルヴァーナは涙を拭いながらゆっくり歩きだした。



◇◇◇



 ヒューゴに案内されたのはとても豪華な部屋だった。大きな天蓋付きのベッドと、すべてに緻密な彫刻が施された調度類が置かれ、床に敷かれた絨毯はふかふかで、寒さをまったく感じさせなかった。

 すぐにメイドが温かいお茶を用意すると、二人はイスに座った。


「飲みなさい。身体が温まるよ」

「はい……」


 ヒューゴに促されてカップを手に取ると、紅茶を一口飲む。甘い果実の風味がして、自然に口の端が上がった。


「良かった。やっと笑顔を見せてくれたな」

「……お祖父様、私、お祖父様が生きていると知りませんでした」

「クレアは何も言っていなかったのかい?」

「はい。ヴィルシュが故郷だというのは知っていました。けれどお母様はそれ以上、何も話してくれなくて……」


 昔から不思議だった。母は頑なに故郷の話をしたがらなかった。だからシルヴァーナは祖父や親族が生きているのかさえ知らなかったのだ。


「それは仕方がないことだ」

「仕方がない?」

「ああ。クレアはオーエン伯爵と半ば駆け落ちのように、この国を出て行ってしまったからな」

「駆け落ち!?」


 ヒューゴの言葉にシルヴァーナは驚いた。ヒューゴは手にしたカップをじっと見つめ、話を続ける。


「当時、私はクレアをこの国の貴族の男性と結婚させようと考えていた。けれどたまたま遊学に来ていたオーエン伯爵と出会い、恋に落ちてしまった……。私はまさか娘を他国に嫁がせるなど考えられなくてな、最初から反対してしまったのだ」

「それで……」

「酷い喧嘩をしてしまってな……。でもまさかそのまま家を出て行ってしまうなんて思いも寄らなかった……」

「お祖父様……」


 眉間に皺を寄せ辛そうに話すヒューゴに、シルヴァーナは何と声を掛けていいか分からなかった。


「今ならきっと許してやろうと思えただろうが、当時の私はまだ若く、どうしてもクレアを許せずに怒りのままに連絡もしなかったのだ。私のそんな態度にクレアはきっと、見捨てられたと思ったのだろうな……」


 初めて聞く母と父の馴れ初めの話に、シルヴァーナは驚きを隠せなかった。そしてこれまでなぜ母がヴィルシュの話をしたがらなかったか理解した。


「クレアは……、元気にしているかい?」

「はい。少し前まで病気だったのですが、今はすっかり元気になりました」

「そうか……、それは良かった。オーエン伯爵は?」

「父は……、4年前に流行り病で亡くなりました……」


 シルヴァーナがそう答えると、ヒューゴは悲しげに深く頷いた。


「ああ……、元気な内に許してやれば良かった……」

「お祖父様、父は最期まで笑顔でした。母とも仲睦まじく、穏やかな生活だったんです。だからきっと幸せだったと思います」

「そうか……、そうか……」


 複雑な笑みを浮かべて頷くヒューゴの手に、シルヴァーナは自分の手を重ねた。

 色々な過去があって母と祖父は仲違いしてしまったけれど、きっと今なら仲直りできる気がする。

 この国には無理矢理連れてこられたけれど、祖父に会えてほんの少しだけだがここに来て良かったと思えた。


「お祖父様、私、お祖父様に会えたのはとても嬉しかったけど、やっぱり家に帰りたいわ」

「シルヴァーナ」

「私は結婚して、もう夫もいる。ルカートではもう聖女の任は退いていて、田舎で静かに暮らしているの。だから……」

「だが聖女の力はまだあるのだろう?」

「それは……」

「その力でヴィルシュを救ってもらいたい」

「でも……」

「旅の途中で見ただろう? ヴィルシュは流行り病で国民はかなり辛い思いをしている。この頃は死者も多く、国も教会も打つ手がなくなっている。頼みの綱はお前だけなのだ。夫と離れ離れなのは辛いとは思うが、故郷を救うために少しだけ我慢してくれぬか?」


 ライアンとは違い、優しくお願いされてシルヴァーナは困ってしまった。

 言っていることは理解できるし、手助けしたいとも思うけれど、連れ去られた上にまたも聖女として祀り上げられるのだけはどうしても承服できない。


「私はライアン殿下に無理矢理連れて来られたのです。今も夫は必至に私を取り戻そうと追い掛けてきているはずです」

「それは本当か? ルカート王国に許可を得て連れてきたのかと思っていたが……」

「お祖父様! 私はお祖父様しか頼る人がいないんです! どうかお願いです! 私を助けて下さい!」


 シルヴァーナが必死で頼むと、ヒューゴは真剣な顔で頷いた。


「分かった。お前がそう言うなら、私から陛下に頼んでみよう」

「本当ですか!?」

「ああ。お前はここでゆっくりしていなさい」


 ヒューゴはそう言うと、ポンポンと優しくシルヴァーナの肩を叩いてから部屋を出て行った。

 その背中を見送って、シルヴァーナは安堵の溜め息を吐いた。


(良かった、お祖父様がいてくれて……。これでどうにかなるかも……)


 ライアン相手に、自分ではどうにもならず辛かったが、自分の祖父が味方になってくれるならこれほど頼もしいことはない。

 これなら遠からず家に帰れるかもしれないと、やっと肩の力が抜けた。

 それから10分ほどすると、教皇が部屋を訪れた。


「少しは落ち着いたようだね」

「はい……」

「この部屋は気に入ったかな? 王宮でも一番美しく、景色も良い部屋なのだそうだよ」

「そう、なのですか……」


 教皇はそう言うと、窓に寄って外を見る。シルヴァーナも誘われるようにそばに寄ると、一緒に外を見た。

 確かに窓からは広く美しい庭園が見える。


「シルヴァーナ、そなたは聖女として幼い頃からティエール教会に尽くしてきたと聞く。だが聖女としての名声が聞こえだしたのはここ最近のこと……。どういうことか話してくれるかい?」

「私……、私は、5歳の時、聖女として教会に呼ばれました。でも聖女としての力はまったくなかったのです」

「まったく? だが今は……」

「はい。実は本当につい最近、私に不思議な力があるということに気付いたのです」

「それが不死の力と癒しの力だね」


 シルヴァーナは自分の手を見下ろして頷く。


「でもこの力は聖女の力じゃありません」

「聖女の力ではない?」

「はい……。私はいくら祈ってもティエール神の声は聞こえないのです。ですから私は聖女を退いたのです。これはルカートの国王も承知しています」

「そうか……。そんな理由が……」


 教皇は祈るように両手を合わせると、しばらく窓の外を見つめる。

 シルヴァーナは教皇が自分のことをどう考えているのかが気になり、じっと教皇の横顔を見続けた。

 そうしてしばらくすると、教皇はハッとしてこちらに顔を向けた。


「シルヴァーナ。ティエール神の声が聞こえないのは、当たり前かもしれないよ」

「え……?」


 そう言うと教皇はまたシルヴァーナの手を取ると、優しく包み込む。


「そなたの故郷はヴィルシュ王国だ。たとえ生まれた場所がルカートだとしても。だからそなたに力を与えるとしたら、ヴィルシュの加護を司るラヴィネラ神なのではないか?」

「そ、そんなこと……」


 教皇の言葉はシルヴァーナにとって驚くべきものだった。まったく考えたこともなく、すぐには飲み込めない。


「どれほど祈りを捧げても神の声が聞こえないのは、祈る相手が違ったからではないか?」


(祈る相手……)


 シルヴァーナは教皇の顔を見つめたまま動けなかった。

 今までずっと不思議で仕方なかったことに、答えが出たような気がした。自分のこの力は他の神から与えられたもの、そう考えればすべて辻褄が合う。


「シルヴァーナ、長い間ティエール神に仕えてきたそなたが、突然ラヴィネラ神を信仰せよというのは無茶な話だろう。だから少しずつでいい。ここにいることを考えてみてくれぬか?」

「教皇様……」


 穏やかな声でそう言われたシルヴァーナは、頷くことはできなかったが、強く否定することもできなかった。

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