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第5話 一旦、落ち着こう

「旦那様、今日はもう遅い時間ですし、詳しいお話は明日にしてはどうですか?」


 ドナートの言葉に頷いたベルンハルトは、ハッとしてドナートを見た。


「着替えとか、どうしたら……」

「それはエルナを起こしてどうにかさせましょう。女性のことは女性が一番分かるでしょうから」

「あ、そうか」

「旦那様は、シルヴァーナ様を客室へご案内して下さい。その間にエルナに準備をさせますから」

「分かった」


 ベルンハルトはドナートから指示を受けて素直に頷く。執事の指示に主人が従うなんておかしな感じだが、二人の自然な会話の様子から、きっとこれが日常なのだろうと感じられた。

 ドナートが踵を返し去って行くと、ベルンハルトがシルヴァーナにまた顔を向けた。


「客室へ案内する」

「ありがとうございます」


 ベルンハルトの後ろに付いて歩きながら、屋敷をなんとなく観察する。かなり年季の入った屋敷のようで、調度類は年代物が多く並んでいる。至るところにドライフラワーやリースが飾られていて、可愛らしい印象だった。

 二階に上がってすぐにある部屋のドアを開けるので一緒に中に入ると、綺麗に整えられたベッドが目に入った。


「狭くて申し訳ないが……」

「いいえ。こんな素敵な部屋で寝られるなんて嬉しいです」


 ベルンハルトは恐縮したようにそう言ったが、シルヴァーナは笑顔で首を振った。ずっと教会で暮らしてきた身としては、ふかふかのベッドだけでもありがたく感じる。

 聖女として認定されていたといっても、暮らしは修道女となんら変わりなかった。特別な優遇もなく、安物のベッドで寝ていたのだ。


「失礼致します」


 ドアが開いてドナートが顔を出すと、その後ろにメイド服の女性がいた。シルヴァーナを見ると、パッと笑顔を向ける。


「エルナを連れて参りました。後は任せましょう」

「そうだな。じゃあ、ゆっくりしてくれ。エルナ、任せたぞ」

「はい、旦那様。お任せを」


 そそくさとベルンハルトが部屋を出てドナートがドアを閉めると、エルナというメイドと二人きりになった。

 たぶん少し年上だろうエルナは、濃い茶色の髪を複雑に結って、ヘッドドレスに纏めている。寝ていたはずだが、化粧もしっかりしていて、この短時間でどうやったのだろうかとシルヴァーナは不思議に思った。


「シルヴァーナ様、わたくし、この屋敷でメイドをしております、エルナ・ノットと申します。この屋敷にはメイドが少ないので、何かございましたら、すべてわたくしにお申しつけ下さいませ」

「あ、はい」


 エルナはそう言うと、手にしていた衣服をベッドの上に置いた。


「こちらはお客様用の夜着でございますので、ご遠慮なくお使い下さい。お着替えを手伝います」

「あ、いえ、自分でできますので」


 ローブを脱ぐことなど一人でできると慌てて手を振ると、エルナは一瞬動きを止める。だがすぐに笑顔に戻り、小さく頷いた。


「分かりました。ではご用があれば、テーブルの上のベルをお鳴らし下さい。すぐに参りますので」

「はい……」


 はきはきとそう言ったエルナは、挨拶をして部屋を出て行った。

 やっと一人になったシルヴァーナは、大きく息を吐いてベッドに腰を下ろす。


「疲れた……」


 色々なことが起こりすぎて、どっと疲れが押し寄せてくる。

 これからどうなるのか、まったく分からない。ベルンハルトは良い人そうだけど、明日には通報されて、アシュトンの元に連れていかれてしまうかもしれない。


(なんでこんなことになったのかしら……)


 いくら考えても分かる訳もなく、シルヴァーナはまた大きく溜め息を吐くと、ベッドの上に置かれた夜着を見た。

 綺麗に折り畳まれた真っ白な夜着は、清潔そうで少しだけ元気が出る。

 とにかく着替えようと立ち上がり、のろのろとローブを脱ぐと、一度、穴の開いた場所をじっと見つめた。


(ちょっとどころの血じゃないじゃない……)


 広げて見たローブの腹部には、べっとりと血がこびりついている。それは確かに軽傷とは言い難いほどの血の量だ。

 慌てて下着をたくし上げて自分の腹を見てみるが、小さな傷跡一つ見つからない。


「傷が……ない……」


 これだけ血が出ていてまったく傷跡がない訳がないのに、どこを探してもそれらしいものがない。

 もう一度ローブを確認してみると、背中にも穴が開いているのに気付いた。腹から突き刺した剣が、背中まで貫通したというような穴だ。


「夢じゃなくて……、本当に殿下は私を刺したの?」


 ゾッとしてシルヴァーナは呟いた。刺された時を思い出して、お腹にそっと手を当てる。

 何が起こっているのかまったく分からない。分からないが、とにかくアシュトンに対して、沸々と怒りが湧いてくる。


「なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの!」


 声を出して言ってみたところで、誰も言葉を返してくれる訳もなく、空しい沈黙だけが落ちる。シルヴァーナは脱力感に襲われて、もう考えるのをやめようとがっくりと肩を落とした。

 手にしていたローブを椅子の背凭れにかけ、のろのろと夜着に着替える。


「もう寝よ……」


 なるようにしかならないのだからと、どうにか自分に言い聞かせたシルヴァーナは、とにかく今日はもう寝てしまおうと、ふかふかのベッドに潜り込むと無理矢理目を瞑った。

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