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第49話 ヴィルシュ王国

 シルヴァーナが目を覚ますと、目の前のライアンと目が合った。


「やっと起きたか」

「殿下……?」


 少し頭痛がしたシルヴァーナは手を持ち上げようとして、その手首に手枷があることに気付いた。

 ジャラッと重い音に視線を落とす。足にも冷たい鉄の感触があって、シルヴァーナは顔を険しくするとライアンを睨み付けた。


「なんですか……、これは……」

「王都までは我慢せよ」

「王都?」


 シルヴァーナは何を言っているんだと訝しむと、そこでやっと自分のおかれた状況に頭がいった。


(私……、何かをかがされて……)


 自分はメルロー村の屋敷にいたはずだと思い出して、慌てて窓の外に目を向ける。

 車窓から見えた景色は何もない雪野原だった。遠い山並みも真っ白で、シルヴァーナは目を見開く。


「ここは……どこですか……!?」


 こんな景色をシルヴァーナは知らない。ルカート王国は一部の地域を除いて、雪が積もることは滅多にない。これほどの雪景色になるのは数年に一回あるかないかだ。

 もちろんメルロー村のある地域には現在雪は積もっておらず、まったく陽の当たらないような場所に、数日前に降った雪がほんの少し残る程度だ。


「ここはお前の祖国、ヴィルシュ王国だ」


 ライアンがうっすらと笑みを浮かべて言った言葉に、シルヴァーナは愕然とした。


(嘘でしょ……?)


 あまりのことに言葉が出てこない。

 なぜ自分がヴィルシュ王国にいるのか。ライアンはなぜそんなことをしたのか、まったく意味が分からない。


「なぜ……、なぜです!? か、帰して下さい!!」


 なぜ無理矢理連れて来られなければいけないのだと声を上げると、ライアンの目がすっと細められた。


「騒ぐな。お前はヴィルシュ王国、ラヴィネラ神の聖女だ。国に帰ることは当然だ」

「は!? 意味が分かりません! 私はルカートの人間です! 帰して下さい!!」


 シルヴァーナが叫ぶと、ライアンは持っていた杖で床をドンと突いた。その音と突き刺すような目つきに、びくりと身体を震わせる。


「黙れ。お前の意見など聞いておらん。私はお前を迎えに来たのだ。王太子自ら迎えに来たのだぞ。光栄に思え」

「そんな……」

「王都までは長い道のりだ。それまでにこれを読んで、ラヴィネラ教の教えを勉強しておけ」


 そう言って膝の上に投げられたのは、ラヴィネラ教の教本のようだった。

 シルヴァーナはそれを無視してライアンを睨み付けたが、ライアンは気にするそぶりもなく、窓の外へ視線を向けた。



◇◇◇



 窓の外は相変わらず何もない雪野原だ。その景色を睨み付けて、シルヴァーナはどうしたらいいかをぐるぐると考える。


(ベルンハルトは私がヴィルシュにいるって知っているのかしら……)


 まさかライアンが行き先を告げている訳がない。それでも追い掛けてきてくれていると信じたい。


(逃げなくちゃ……)


 狭い窓からはよく見えないが、それでも相当な数の兵士に馬車は守られている。もしベルンハルトが追い掛けてきてくれているとしても、この兵士たちを全員倒すのは無茶な話だろう。

 それなら自分がここから逃げ出してベルンハルトと合流した方が、まだ現実味がある。

 そこまでシルヴァーナは考えると、後はとにかく馬車から降りる手立てを考えようと手にした教本を握り締めた。

 それから数十分、重苦しい沈黙の中でただ窓の外を見ていると、村のような景色が見えてきた。一軒二軒とぼろぼろに壊れた家を通り過ぎる。どの家も屋根が崩れ落ちてしまっており、人が住んでいる気配はない。


(打ち捨てられた村なのかしら……)


 うら寂しい様子の村を見ていると、ふいにライアンが小さく溜め息を吐いた。


「……ここは数年前の流行り病で全滅した村だ」

「流行り病で……」

「ヴィルシュにはこんな村がたくさん存在している」


 ヴィルシュの国情を知らなかったシルヴァーナは、顔を曇らせて村を見つめる。

 ルカートでも数年に一度、流行り病が国を襲うが、村が全滅するほどの猛威はない。


「シルヴァーナ、お前がこの国を救うのだ」

「え……?」

「悲しみに暮れる国民を、お前が癒すんだ」


 ライアンの言葉に、シルヴァーナはゆっくりと目を逸らした。

 こんなにも悲しい景色を見れば、同情心は湧く。けれどだからといってヴィルシュ王国の聖女になることなどできない。

 シルヴァーナは通り過ぎる村の景色を見つめながら、複雑な気持ちを持て余し顔を歪めた。

 馬車はそれから何度か停車を繰り返した。何をしているのかと思っていたが、どうやらあまりにも雪が深い場所は、兵士たちが雪をどけているようだった。

 そんなことで一行の進みは遅く、午後になってやっと人気のある少し大きな村に到着した。

 そのまま通り過ぎるのかと思ったが、馬車は停止し、外からドアが開かれた。


「殿下、到着致しました」

「ああ」


 お付きの者に返事をすると、ライアンが馬車を降りる。自分はと思うと、ドアはすぐに閉じられ鍵を掛けられてしまう。


「え!? ちょっと……」


 自分も降りるのかと思ったがそうではないらしい。外では兵士たちが慌ただしく動いている様子が見える。

 そうこうしている内に村人が集まってきた。


「ライアン王太子殿下がお越しである! 皆跪け!」


 高らかな声が馬車の中まで聞こえてくる。シルヴァーナは窓に顔を寄せてどうにか見ていると、村人が冷たい雪の上に膝を突いている。


(いくら王族とはいえ酷いわ……)


 シルヴァーナは眉を顰めたが、村人たちはどうやらライアンの来訪を喜んでいるようで、「殿下!」と口々に呼んでいる。


「殿下! もう食べるものがないのです! どうかお慈悲を!」

「子供だけでもお恵みを!」


 村人たちの悲痛な叫びが聞こえてきて、シルヴァーナは村人たちの困窮がかなり切羽詰まったものなのだと感じた。

 ライアンがどう答えているかは聞こえないが、村に立ち寄っているということは何か施しをする予定なのかもしれない。

 シルヴァーナが色々と考えていると、しばらくしてライアンが馬車に戻ってきた。

 すぐに馬車が走り出して村を通り過ぎると、ライアンは浅く溜め息を吐く。


「面倒なことだ……」


 その呟きはどこか嫌悪するような響きがあって、ライアンが慈悲の心を持って村人と言葉を交わしていたのではない気がした。

 その後、ライアンは村に到着する度に、馬車を降り村人たちと話しをしているようだった。

 そのため一行の進みは遅く、シルヴァーナはこの間にベルンハルトが助けに来てくれるのではないかと淡い期待を抱いていたが、その気配はまったくなくただ時間だけが過ぎていった。

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