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第4話 どうやら生き返ったようです

 二人で地面に座り込んだまま見つめ合っていると、男性はハッとして慌てて立ち上がった。


「す、すみません。こんな夜中に誰かいるとは思わず、つい声を上げてしまいました。失礼をしました」

「あ、いえ! 私こそ、熊と見間違えるなんて失礼しました!」

「え? 熊?」


 シルヴァーナの言葉に引っ掛かって、男性が首を傾げる。その朴訥とした様子に、シルヴァーナはホッとすると、ゆっくりと立ち上がった。


「ごめんなさい、驚かせてしまって。私、あの……」


 男性は転んだ時に手放してしまったのか、地面に転がっていたランタンを拾っていた。その明かりに目が行っていると、男性が驚いた顔をこちらに向けた。


「怪我をされたんですか!? 大丈夫ですか!?」


 慌てて近付くと、そんなことを言ってくる。

 シルヴァーナはどこを見て言っているんだと、自分の身体を見下ろして、ようやく理解した。

 ランタンの明かりに照らされた、自身の腹部辺りが、べっとりと血で汚れていたのだ。


「あ! こ、これは、あの……、怪我じゃなくて……」

「転んだ拍子に怪我をしたんですか!?」


 男性はとにかく慌てふためいていて、わたわたと無意味に手を動かしながら、シルヴァーナを心配そうに見ている。

 その少しおかしな動きに、シルヴァーナはクスクスと笑いだしてしまった。


「え? あの……、大丈夫ですか?」

「ご、ごめんなさい。本当に大丈夫ですから。どこも怪我していませんから、心配いりません」

「そ、そうですか……。良かった……。俺が怪我させてしまったかと……」


 ホッとしたのか、男性は大きく息を吐いてから、頭をぼりぼりと掻いた。ランタンの薄明かりでは顔はよく分からないが、とにかく人が良さそうな雰囲気は伝わってくる。

 シルヴァーナは、自分の直感を信じて、この人に助けを求めてみようと決めた。


「あ、あの、私、行くところがなくて……。えっと、できれば、一晩だけでも、その……」

「泊まるところを探しているんですか? この村に宿屋はないですし……。家で良ければ、あー、もてなしはあまりできないが……」

「もてなしなんて! 納屋でもなんでも大丈夫なんで!」

「そ、そうか。なら、付いてきて下さい。こっちです」


 男はそう言うと、ゆっくりと歩きだした。

 シルヴァーナは寝床をどうにか確保できたことに安堵して、こっそりと息を吐く。


「あ、そうだ。自己紹介していませんでしたね。俺はベルンハルト・フェルザーです。よろしく」

「あ、私は、シルヴァーナ」


 本名を思い切り言ってしまって、シルヴァーナはハッと口許に手を当てた。

 ベルンハルトはこちらを不思議そうに見たが、別に何かを指摘することもなくまた前を向く。


「シルヴァーナと、いいます。……あの、森で何をしていたんですか?」

「え? あ、ああ、この頃、森に狼が出ると噂があって、見回っていたんです」

「狼……」

「人里に来ることは滅多にないが、念のためと思って……。あ、あれが俺の家です」


 そう言って、ベルンハルトが指差した先には、二階建ての屋敷が建っていた。明らかに村の家とは違う、しっかりとしたレンガ造りで、小高い丘に建っている。


「え……、まさか……ご領主様、ですか?」

「ああ、まぁ……。小さい村なので、領主らしいことなんてしてませんが……、一応、はい……」


 恐る恐る訊ねたシルヴァーナは、ベルンハルトの返答に下を向くと顔を歪めた。


(領主だなんて……。もしかして私のこと、知ってるかもしれないじゃない……)


 教会と同じように、領主もまたアシュトンの息が掛かっている可能性が高い。自分からその罠に飛び込んでしまうなんてと、シルヴァーナは頭を抱えたくなった。

 後ろを向いて一目散に逃げれば、逃げ切れるとは思う。けれどこの暗闇の中、また怖い思いをして森の方へ行かなくてはいけないかと思うと、どうしても足が動かない。

 そんな風にどうしようかと悩んでいる内に、あっという間に屋敷の敷地に入ってしまった。

 屋敷の一階部分の窓からは明かりが漏れていて、その温かな光の誘惑にシルヴァーナは負けた。

 大きな扉を開けて屋敷に入ると、眩しいほどの光がホールに満ちている。


「お帰りなさいませ、旦那様。おや、お客様ですか?」


 出迎えたのは40代ほどの黒髪をオールバックにした男性で、厳しい目をシルヴァーナに向けると、目を細める。


「ただいま、ドナート。ああ、森の横道で会った。困っていたので、家に呼んだんだ」

「そうでございますか……。狼はどうでしたか?」

「見掛けなかった。しばらくは見回りを続けるよ」


 ドナートと呼ばれた執事だろう男性に、脱いだ上着を渡すベルンハルトを、シルヴァーナは改めて観察した。

 暗闇の中で熊と勘違いしたが、光の中で見ればまったくそんな雰囲気はない。とても背が高いが、ひょろりとした体格はどちらかというと病弱な印象がある。薄い茶色の髪は、伸ばしっぱなしでボサボサしていて、首の後ろで適当に括っている。朴訥とした顔はいかにも田舎の領主という感じで、灰色の瞳は、穏やかで優しい印象だった。


「そうですか。あの、失礼ですが、お怪我をされているのではありませんか?」


 ふいにドナートに声を掛けられて、シルヴァーナはハッとした。腹部の血を腕で隠すように覆う。


「あ、いいえ! これは、ちょっと血が付いちゃっただけで……」

「……そうですか。そういえば、お名前をまだ窺っておりませんでしたね」

「えっと、私は、」

「シルヴァーナというんだそうだ」

「シルヴァーナ様、ですか……」


 ドナートは探るような目をシルヴァーナに向けると、言葉を途切らせた。

 その視線と妙な沈黙に居心地の悪さを感じ、シルヴァーナはぎこちなく視線を逸らせた。


「旦那様、わたくし、悪い夢でも見ているのでしょうか」

「何のことだ、ドナート」

「この方は、昼間、教会に運ばれてきた罪人の遺体と、顔がそっくりなのですが」


(まずい……。この人は私を見たんだわ……)


 シルヴァーナはギクッとして肩を揺らすと、ますます顔を下に向ける。


「何を馬鹿なことを。俺も見たが、そんな訳……」


 ベルンハルトは冗談でも言われたように軽く言葉を返したが、シルヴァーナの横顔を見つめると、語尾はゆっくりと消えてしまった。


「そんな……、まさか……、だって、あれは遺体で、明日埋葬すると……」


(やっぱりそういう話だったのね……)


 とりあえず逃げ出したのは正解だったんだとシルヴァーナは思うと、覚悟を決めてベルンハルトを見上げた。


「確かに私は教会から逃げてきました。夢でないなら、この腹部の血はたぶん私の流した血でしょう」

「どういう……?」

「私はシルヴァーナ・オーエン。王都で、聖女といわれている者です」

「聖女!? あの!?」


 驚き目を見開くベルンハルトに頷き、続ける。


「なぜか分からないけど、突然王太子に剣を向けられたんです。お腹を刺されて……」

「王太子に!? 聖女と王太子は婚約中だったと思うが」

「……そうです。でも私は目を覚ましました。血は出たようですが、たぶん軽傷だったのでしょう」


 シルヴァーナは自分で口にしていて、なんて胡散臭い話だろうと思った。突然会った女がこんなことを言って、信じる者がどこにいるんだろうか。


「軽傷? 軽傷にはまったく見えなかったが……」

「旦那様、私もそう思います。あの時見たのは、確かに遺体でしたよ。呼吸もしていませんでしたし」


 二人の言葉にシルヴァーナは首を捻る。


(どういうこと……? 呼吸もしてないって……、そんなことがあるの?)


 軽傷でなければ、今ここにいるのはどう考えてもおかしい。それとも怪我をしたショックか何かで、息が止まることがあるのだろうか。

 そして、息を吹き返したのだろうか。


「聖女の……奇跡?」


 ベルンハルトの呟きに、ふとシルヴァーナは顔を上げた。


「確かに君はあの時死んでいたと思う。それが今こうして生きているのなら、生き返ったということだ。それは『聖女の奇跡』なのではないか?」


 少し興奮ぎみにベルンハルトに言われ、シルヴァーナは眉根を寄せた。それこそ夢のような話で、信じられる訳がない。


「奇跡だなんて、そんな……。死んでいなかったという方が現実味があります。気を失っていたのを、死んだと見間違えられたんです。そうとしか思えません」

「そう、だろうか……」

「それに……、これが奇跡というなら、滑稽な話です。婚約者に奇跡を見せてみろと詰め寄られて、挙句に殺されて。それで生き返って『奇跡』だなんて……。笑い話にもなりませんよ」

「いや……、だが……」


 確かにこれが奇跡なら、聖女らしいことを初めてしたということになるが、シルヴァーナはちっとも嬉しくなかった。


「奇跡を見せろと言われたのなら、王都に戻り王太子殿下に会った方がいいのではないか? 事情を説明すれば……」

「私を殺そうとした人に、また会わなくてはいけないのですか?」

「それは……」

「私は、会いたくありません……」


 今はまったくアシュトンの顔など見たくない。

 シルヴァーナが暗い声で、呟くようにそう言うと、ベルンハルトは困った顔をして、それからわたわたと手を動かした。


「そ、そうだな。うん。それなら、家にいればいい」

「旦那様!」

「家には部屋も余っているし、住むには困らないだろう? シルヴァーナの気持ちが落ち着くまで、ここにいればいい」

「……いいんですか?」


 きっと追い出されるだろうと思っていたシルヴァーナは、優しいベルンハルトの言葉に顔を上げる。

 ベルンハルトは少しぎこちなくだが笑うと、大きく頷いた。


「もちろんだ」

「ありがとうございます、フェルザーさん!」

「あー、ベルンハルトで、いい」

「ベルンハルトさん」


 名前を呼ぶと、ベルンハルトは照れたようにはにかんで笑った。

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