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第33話 聖女じゃなくてもいいから

 今日からシルヴァーナの聖女としての試しが行われる。けれどまだエラルドは戻っていなかった。

 早朝から起き出していたシルヴァーナとベルンハルトは、焦る気持ちを抑えてじっと部屋で待ち続ける。そうして朝食が終わり、もうだめかと思った時、やっとエラルドが部屋を訪れた。


「すまない! 遅くなった!」

「お兄様!!」


 全速力で走ってきたのだろう。汗だくでそう言ったエラルドは、部屋に入ると肩で息をしている。


「伯爵! 野菜は!? シルヴァーナの作った野菜は持ってこられましたか!?」

「もちろんだ!」


 手にした袋をベルンハルトに差し出すと、ドサッと床に座り込む。


「村の者たちに事情を説明するのに手間取ってしまった。申し訳ない……」

「お兄様、私の作った野菜は分かりましたか?」

「ああ。なんという女性だったかな。ちょっとふくよかな女性が最初に私を信じてくれて、シルヴァーナが作った野菜はこれだと教えてくれたんだ」

「キャシー?」

「ああ、そうだ。キャシーという人だ」


 シルヴァーナはキャシーの優しい笑顔を思い出して、胸に手を当てる。

 ベルンハルトが袋の中を確認すると、確かにシルヴァーナが種から育てた野菜ばかりだった。


「うん、これなら大丈夫だわ」

「良かった。間に合ったな」


 ベルンハルトが安堵の息を吐いて言うと、ちょうど扉からノックの音がした。


「失礼致します。シルヴァーナ様、お時間ですのでお越し下さい」


 姿を現したメイドに顔を向けたシルヴァーナは立ち上がる。


「あの、料理を作りたいので、キッチンを使わせて頂きたいんですが……」

「キッチン、でございますか?」

「ええ。すぐ作れるのでそれほど時間は掛からないと思うのだけど……」


 メイドは少し考えると、「上に聞いて参ります」と一度退出した。それから5分ほどして戻ってくると、「許可が下りました。どうぞ、ご案内致します」とシルヴァーナを促した。


「行ってくるわ」


 野菜の入った袋を胸に抱え、ベルンハルトとエラルドに顔を向ける。


「お前なら絶対大丈夫だ」


 エラルドの言葉に笑顔で頷く。ベルンハルトの顔を見ると、ただ強い視線で見つめられた。

 シルヴァーナはその目を一度しっかりと見つめ返すと、踵を返し部屋を出た。



◇◇◇



 案内されたキッチンで作り慣れたスープを作ると、またメイドが迎えにきた。そうして案内されたのは王妃の部屋だった。

 ドアの前の騎士が室内に声を掛けると、すぐに返答があった。


(王妃様の部屋ということは……、もしかして……)


 まさかコンスタンスが奇跡を起こせなかったということだろうかと驚いていると、侍女がドアを開けた。


「どうぞ。すでに国王陛下がお待ちでございます」

「あ、はい!」


 国王を待たせてしまったと慌てて室内に入ると、ベッド脇にいた国王がこちらに顔を向けた。


「おはようございます、陛下。王妃様」

「ああ、おはよう」

「あの……、王妃様は……」


 ドアの前で挨拶をしたシルヴァーナは、ベッドで横になっている王妃に視線を送る。


「こちらに」

「はい……」


 国王に呼ばれて立ち上がると、枕元にゆっくり歩み寄る。


「ブリジット、シルヴァーナが来たぞ」

「まぁ……、本当なの?」


 王妃はゆっくりと目を開けるとシルヴァーナを見た。

 顔色も悪く辛そうな様子は、まったく具合が良くなっているようには見えない。


「王妃様、お久しぶりにございます。シルヴァーナです」

「ああ……、本当に生きていたのね……」


 嬉しそうにそう言うと、王妃は微かに笑顔を見せる。


「シルヴァーナ、コンスタンスはどうやら奇跡は起こせなかったようだ。君にも王妃の治療をお願いしたい」

「あの、コンスタンス様は……」

「コンスタンスのことは気にしなくていい。さぁ、始めてくれ」


 国王の言葉に戸惑いながらも、シルヴァーナは枕元の椅子に腰を掛けた。


「王妃様、スープを作ってきたので、食べて頂けますか?」

「……あなたが作ったの?」

「はい。野菜も私が作ったものなんです」

「野菜も?」


 興味を引かれたのか、王妃は驚いた顔をしながらゆっくりと起き上がる。その背を国王が支えると、弱く息を吐いた。


「メルロー村という小さな村で、村の人たちと一緒に種から育てたものです」

「まぁ……」

「野菜は細かく切って柔らかく煮てあるので、お腹にも負担はないと思います。どうぞ」


 スープを掬って王妃の口許へ寄せると、王妃は小さく口を開けて飲んでくれる。


「ああ……、優しい味ね……」


 一口飲み込んだ王妃は、シルヴァーナに視線を合わせにこりと笑う。

 シルヴァーナはもう一匙掬うと口許に運ぶ。それから王妃はスープを半分ほど飲み、また横になった。


「なんだかお腹がポカポカするわね……」

「きっとよく眠れますよ。少しお休み下さい」


 シルヴァーナはそう言うと、上掛けを綺麗に整える。そうして王妃がゆっくり目蓋を閉じるのを確認すると立ち上がった。


「まさか、これで終わりか?」

「はい。王妃様のお世話をしたいと思っているのですが、よろしいでしょうか」

「それはいいが……」


 国王はただ王妃にスープを飲ませただけのシルヴァーナを不審に思っていたようだが、仕事があると言って部屋を出て行った。

 残されたシルヴァーナは、侍女と一緒に王妃が目覚めるのを静かに待った。


「よく眠っておいでですね」

「そうね。いつも睡眠はどれくらい?」

「あまり眠れていないのです。細切れでしか眠れず、夜もよく起きてしまって。だからこんなに長く眠っているのを見るのは久しぶりです」

「そうなの……。眠れないと回復するのは難しいものね。食事は?」

「食欲はもうずっとありません。一口でもとお勧めしても、胃が受け付けないみたいで……」


 王妃の症状を聞いてシルヴァーナは眉を寄せる。


「ですが今日はスープを飲まれたので、少しホッとしております」

「そうだったのね。少しでも食べられたのなら良かったわ」


 侍女は笑顔で頷くと立ち上がる。


「もう2時ですわね。お茶の用意をして参ります」


 ああもうそんな時間かと時計を見たシルヴァーナは、ふとベッドの天蓋から落ちるベールが揺れたのに気付いた。

 慌てて立ち上がりベッドに寄ると、ベールを捲る。


「お起きですか? 王妃様」

「シルヴァーナ、いてくれたのね」

「はい。のどは乾いておりませんか?」

「なんだか、お腹が空いたわ……」


 王妃はそう言うと微笑む。その頬が朝よりもずっと赤みを帯びているように見えた。

 王妃の言葉にシルヴァーナは驚きながらも頷く。


「またスープをお作りしましょうか?」

「ええ……」


 王妃の返答にシルヴァーナは笑顔になると、またキッチンでスープを作り部屋に戻った。

 王妃は侍女に支えられて起き上がっていて、シルヴァーナを見ると笑顔で手招きする。


「良い匂いね」

「お待たせ致しました。起き上がっていて大丈夫ですか?」

「ええ。だいぶ身体が楽なの」

「それは良かったです。さぁ、どうぞ」


 朝と同じようにスープを匙で掬うと、王妃は素直に口を開いた。


「朝も思ったけれど、野菜しか入っていないのに甘く感じるわ。お砂糖を入れているの?」

「いいえ。野菜だけの甘味です。スープの中に入っている具材に、せっかち草という葉野菜が入っているんですが、その野菜は細かく刻んで煮込むと甘くなるんです」

「せっかち草?」

「ソールという野菜です」

「ああ、ソール。でもソールはこんなに甘くないはずよ」


 シルヴァーナは自分も以前、同じような質問をベルンハルトにしたことを思い出して微笑む。


「これはソールを20日くらいで収穫したものなんです」

「20日?」

「はい。ソールは種を蒔くとすぐに芽を出して育ち始めます。20日もすれば食べられるようになるのですが、成長途中の方がなぜか甘味が強いんです」

「そうなの……。知らなかったわ」


 王妃はそう言うと、じっとスープの中の野菜を見つめた。

 そうして今度は全部を飲み切ると、また横になってしばらくすると眠ってしまった。

 夜になって部屋に戻ってもいいと言われたが、シルヴァーナは王妃の具合が心配で、寝ずの番を申し出た。薄暗い部屋の中で、ランプ一つだけを灯して時間が過ぎるのを待つ。


(本当に良くなってくれるかしら……)


 まだ自分の作った料理が病気を治すなんて信じられない。それでもここまでくればもう神に祈るしかない。


(光の神ティエールよ。王妃様をお救い下さい……)


 窓辺に寄り膝を突くと、教会の方へ身体を向け両手を合わせる。

 ただ一心に祈り続けていると、微かに名前を呼ばれたような気がした。振り返ると、王妃が腕を伸ばして天蓋のベールを捲っている。


「王妃様」

「シルヴァーナ、寝ていなかったの?」


 シルヴァーナは笑顔でベッドに寄ると、枕元に座る。


「なんだかすごくよく寝たわ」

「夕方からずっと眠っておいででした」

「今、何時?」

「夜中の3時過ぎです。夜明けまではまだまだですので、もう少しお眠り下さい」


 シルヴァーナが静かにそう言うと、王妃は手を伸ばしてシルヴァーナの手をそっと握った。


「……あなたが病死したと聞いて、とても悲しかったわ」

「王妃様……」

「まさかアシュトンがこんな馬鹿なまねをするとは思わなかった……。ごめんなさいね、シルヴァーナ」

「……いいえ、王妃様」


 まさか王妃に謝られるとは思っていなかったシルヴァーナは、驚いて首を振る。

 王妃は優しく微笑んで続ける。


「事の顛末は陛下に聞いたわ。辛い思いをさせたわね」

「そんな……。私が不甲斐ないばかりに、アシュトン様を追い詰めてしまったんです」

「あなたのせいじゃないわ。あなたはずっと頑張っていたじゃない。5歳で聖女の認定を受けて、聖女として必死に努力していたのを、わたくしは知っているわ」

「王妃様……」


 王妃の優しい言葉に涙が滲んでくる。そんな風に思っていてくれたなんて知らなかった。


「生き返ったというのは本当なの?」

「そう……みたいです……」

「不思議ね……。歴代の聖女で不死の力を持つ聖女はいなかったわ。あなたが特別なのかしら……」


 シルヴァーナは眉を歪めて下を向いた。それに気付いた王妃が手をポンポンと叩いた。


「シルヴァーナ?」

「……私は恐らく聖女ではありません。命はたった一つです。人も動物も昆虫でさえ皆同じです。何度も生き返るなんて、この世の摂理に反しています。そんな者は聖女ではない。……人ですらないかもしれません」

「そんな……。そんな風に言わないで。神の御力は誰にも分からない。あなたは特別に不死を与えられたのかもしれないわ」


 王妃はシルヴァーナの手を握ると、優しく話し続けた。


「今回コンスタンスとシルヴァーナの試しの話を陛下から聞いて、わたくしを使ってほしいとお願いしたの」

「危険だとは思わなかったのですか?」

「いいえ、まったく。コンスタンスはもちろん、あなたもわたくしに危害を加えるようなことは、絶対にしないと分かっていました」

「王妃様……」

「あなたが生きていると知って、早く顔が見たかったの。確かめたかったのは聖女の器ではないわ。あなたが本当にわたくしの知るあなたなのか。子供の頃から見守ってきたシルヴァーナなのか、それを確かめたかったの」


 心に染み入るような優しい言葉に、シルヴァーナはぽろぽろと涙を零した。


「王妃様……、私……」

「どういう結果が出ても、胸を張っていなさい。あなたは確かに14年もの間、聖女を務めたのだから」

「はい……」


 王妃の言葉にシルヴァーナは素直に返事をしていた。これまでの自分の努力が認められて、嬉しさで胸がいっぱいだった。




 ――次の日の朝。

 ソファでうたた寝をしていたシルヴァーナは、ふと肩に何かが掛けられて目を開けた。


「あら、起こしてしまったわね」


 朗らかな声に振り返ると、そこには笑顔で立つ王妃がいた。

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