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第31話 奇跡は起こせるはず

 コンスタンスは険しい表情のまま城から出ると、一目散に教会に向かった。


(なんでこんなことになったの……)


 馬車の中で苛々と爪を噛む。

 もっと早くシルヴァーナを殺しておけば良かった。アシュトンがメルロー村に向かったことを知って、迂闊に手を出せないと様子を見てしまった。

 アシュトンがシルヴァーナをどうしたいのかよく分かっていなかったから、それをはっきりとさせたかったのもある。もしシルヴァーナを恐れてまた自分の手で殺すというなら任せておけばいいと思っていた。

 それがまさか、自分を捨ててシルヴァーナと結婚しようと思っていたなんて信じられない。


(シルヴァーナを選ぶなんてどうかしてるわ……)


 シルヴァーナのどこがいいと言うのだ。聖女の力が本物だとしても、あんな地味でどこにでもいるような女が、王太子妃になど分不相応にも程がある。

 でもこのままでは自分の立場が危うくなる。それだけは絶対に阻止しなくてはならない。


(どうにかしなくては……)


 猶予はたった1日しかないと、コンスタンスは教会に到着すると、教皇の部屋へ急いだ。


「バルト教皇!」


 音を立てて扉を開けると、机に向かっていたバルト教皇が驚いて顔を上げた。机の上には金貨が山になっていて、コンスタンスがそれに視線を向けると、慌てて袋にしまった。


「こ、これはコンスタンス様! 突然どうされました?」

「教皇、面倒なことになったわ……」

「どうされました?」


 コンスタンスの慌てた様子に、バルト教皇は表情を変えると立ち上がる。

 コンスタンスはソファに座ると、これまでの顛末を話した。


「そんな……、シルヴァーナは本当に生き返ったのですか?」

「わたくしの目の前で生き返ったのよ……。あんな化け物を聖女だなんて言って、アシュトン様はどうかしているわ……」

「そ、それで、王妃様を癒すというのは?」

「国王がそう言い出したのよ。王妃様を癒した方が聖女だと。シルヴァーナに勝つには、わたくしが王妃様の病気を治すしかない」


 バルト教皇はその言葉を聞いて慌てふためいた。


「そ、そんなこと、無理ですよ!!」

「なぜ!? この前の時のように、薬を飲ませればいいでしょう!?」

「あの時は! あの老人の病状に合う最高級の薬を用意したからすぐに治ったのです! 王妃様はすでに国で一番の医師が薬を処方しています。今更、どんな薬が効くというのです!!」


 コンスタンスは唇を噛み締めて、バルト教皇を睨み付ける。

 確かにバルト教皇の言う通り、先日衆目の中で披露した奇跡は、すべてお膳立てして起こしたものだ。光の演出ももちろん仕掛けがある。

 コンスタンスはただそれらしく祈りを捧げ、薬の入った水を病人に飲ませただけだ。


「何かあるでしょう!? 特別な薬とかないの!?」

「そんなこと言われましても……」


 コンスタンスはバンと机を叩いてバルト教皇に声を上げる。バルト教皇は額から流れる汗をハンカチで拭いながらあたふたとするだけで、良い案があるようにはまったく見えない。

 何かこの窮地を乗り越える算段はないかと考えていると、突然扉が開いた。

 驚いて振り返ったコンスタンスは、そこに自分の父が立っているのを見て青ざめた。


「お、お父様……」

「コンスタンス、やはりここにいたか」


 地の底のような低い声で言った父は、冷えた目をこちらに向けたまま近付いてくる。

 コンスタンスは父を見つめたまま、腰を浮かせて数歩後退った。


「城で大騒ぎを起こしたそうじゃないか」

「……そ、それは……」


 父の威圧感に負けて、コンスタンスは言葉を詰まらせる。

 両手を握り締めて下を向く。


「お前が上手くやると言うから、私兵を自由に使わせたんだ。これは失敗に終わったということか?」

「ち、違います! まだ終わっていません! わたくしが王妃様を治せば……」

「治せるのか?」


 静かに聞かれて、コンスタンスはぐっと奥歯を噛み締める。

 そうして少しだけ考えると、よろよろと床に膝を突いた。


「お、お願いします……、お父様……。王妃様を治す、何か良い案を……」


 もうこうなればどんな手を使ってもやるしかない。自分でやると言っておいて、父に頼むなんてプライドが許さないが、それでも自分の嘘が露見してしまうくらいなら、頭を下げることくらいどうということもない。

 とにかくこの難局を乗り切れば王太子妃になれるのだ。


「お前が聖女でないと知られてしまえば、お前のしたことはすべて罪となる。お前だけが罰されるのならまだしも、我が侯爵家も共倒れだろう。そうなっては元も子もない」

「何か手はあるのですか? 侯爵様」

「教皇、王妃の病状は、以前聞いた時のままか?」

「は、はい。どの薬を使っても病状は変わることがないと、医師が嘆いておりました」

「よし……。それならこの薬を使ってみるといい」


 そう言って父がポケットから小さな紙の包みを出してきた。

 それを受け取ったコンスタンスは、紙に書かれた見知らぬ文字をしげしげと見つめた。


「異国の薬、ですか?」

「ああ。こんなこともあろうかと、東国から来た商人から買い付けておいた。どんな病気にも効く万能薬なんだそうだ」

「……本当に効きますか?」


 その商人が信用できるのかとコンスタンスが聞くと、父はぎろりとコンスタンスを睨み付ける。


「私が信じられないのか?」

「そ、そういうことではありませんが……」

「すでに一度同じような病状の者に試してみたが、丸薬を飲んだ病人は次の日には熱が下がった。これは本物だ」

「で、では!」

「これを煎じて水に混ぜ、王妃に飲ませろ。いいな?」

「ありがとうございます、お父様!」


 明るい声でコンスタンスが感謝するが、父は硬い表情のままだ。


「お前が先に治療すると言ったのは良い判断だった。お前が王妃を治し、シルヴァーナは他の病人を診ることになる。その者は私が裏で手を回し、瀕死の者を用意しよう」

「ではシルヴァーナは絶対に治せない、ということですか?」

「シルヴァーナだとて、どうせ何か小細工をして田舎者たちを騙しているのだろう。だがこれですべてが露見する。もはや聖女とは言えなくなる」

「シルヴァーナを殺せますか? あれは化け物です……。殺しても殺しても、生き返ってきます」


 コンスタンスの言葉に、父は一度考える素振りを見せてから答えた。


「生き返るなど、信じられないが……。それも何か仕掛けがあるんだろう。とんだペテン師だ。まぁ、化け物だと言うなら、首を落とすか燃やすかすればどうにでもなるだろう」


 まったく揺らがない父の言葉に、コンスタンスはやはり父は頼もしいと感じ、胸に広がっていた不安が掻き消えていく。

 もうこれですべて上手くいくと確信し、いつものような優雅な笑みを浮かべると深く頷いた。



◇◇◇



 次の日、コンスタンスは王妃の部屋に呼ばれた。

 聖女のローブを着て、手には大きな杖を持っている。これで見た目はもはや聖女そのものだ。


(聖女なんて格好だけよ……。奇跡なんて存在しない……。歴代の聖女は皆ペテン師よ……)


 教会がその地位を固めるために用意したのが聖女だ。教会に金を集めるための広告塔、そしてその人気に王家も目を付けた。

 歴代の聖女が王妃になったのも、国民を従わせるのに適していたからだ。そうして教会も王家も力を保ち続けた。


(なにが奇跡よ、馬鹿らしい……)


 馬鹿な国民の信仰心を利用しただけだ。

 父もそう思っているし、自分もそれがこの国の真実だと思っている。


「王妃様、コンスタンス・エドニー様がいらっしゃいました」


 扉を守る騎士が声を掛けると扉が開き、侍女が顔を出す。


「お待ちしておりました、コンスタンス様。すでに国王陛下がいらっしゃっております。どうぞお入り下さい」

「ええ……」


 国王の前でやらなくてはならないのだと思うと、杖を持つ手が震えてくる。それでもやらなくてはとギュッと手に力を込めた。


「陛下、遅くなりました」

「いや、時間通りだ。ブリジット、コンスタンスが来たぞ」


 国王がベッドに寝ている王妃に声を掛けると、閉じていた目がゆっくりと開きコンスタンスを見た。

 コンスタンスはどうにか自然に見えるように微笑み、枕元に歩み寄る。


「王妃様、コンスタンスが参りました」

「本当なら貧しき民にその力を使わなくちゃいけないのに、わたくしに使うことを神は許して下さるかしら……」

「もちろんです。王妃様はこの国の母。ティエール神も王妃様の回復を望んでいます」


 コンスタンスはそう言うと、王妃の手の上に右手を重ねた。


「光の神ティエールよ、あなたの子が苦しみもがいております。その聖なる力をわたくしに宿し、どうかこの弱き子をお助け下さい」


 囁くようにそう言うと、王妃の手をギュッと握り締める。

 今回は教会の儀式のように光り輝くような演出はできない。それでも結果が良ければそれでいいのだ。

 コンスタンスはしばらく目を閉じて、祈りを捧げる振りをすると、そっと手を離した。


「さぁ、これで神へ祈りは届きました。どうぞ、教会で清めた神聖な水を飲んで、のどを潤して下さい」


 コンスタンスは共に来たメイドに持たせていた美しいガラス瓶を手に取る。国王が王妃の身体を少しだけ起こしてくれるので、グラスに水を注ぐと口元へ運んだ。


「お飲み下さい」


 穏やかに笑みを浮かべてそう言うと、王妃は疑う様子もなく水を飲んだ。

 それをじっと見つめて、確かに飲んだことを確認する。


(よし、飲んだ……)


 この薬の入った水さえ飲めば、明日には回復してくるはずだ。


(勝った……、勝ったわ……)


 不安に思うことなんてなかった。シルヴァーナごときに負けるなんて、一瞬でも頭に過った自分は随分弱気になっていたものだ。


「コンスタンス、以前の奇跡のように、すぐ良くなるのではないのか?」

「こればかりは人それぞれですので、少しお待ち頂いた方がよろしいかと」

「そういうものか……」

「はい」


 コンスタンスはすらすらと用意していた答えを口にする。

 シルヴァーナより前の聖女は、100年以上昔に存在していた。だから今、聖女がどんな風に奇跡を起こしていたかを知る人間など、国内に数人もいないだろう。

 だから聖女像などいかようにも作れるのだ。


「明日また様子を見に参ります。今日はゆっくりお休み下さい」


 コンスタンスはにっこりと笑いそう言うと、王妃の部屋を出た。

 廊下を歩きながら、笑い出しそうになるのを堪える。


(これで名実ともにわたくしが聖女……。そして王太子妃よ……)


 夢にまで見た王太子妃の座。それがもうすぐ手に入る。そう思うと、身体中に幸せが満ちてくるような気分だった。

 そうして次の日、意気揚々と王妃の部屋を訪れたコンスタンスは、まだ寝たままの王妃の姿に激しく動揺した。


「お、おはようございます……、王妃様……」


 そう声を掛けたが、王妃は目を閉じたまま答えない。

 枕元で椅子に座っていた国王が、不振な目をコンスタンスに向ける。


「コンスタンス、王妃の病状はまったく変化がないように見えるが、どういうことなのだ?」

「……そ、それは……、ま、まだ、時間が掛かっているだけで……」


 すっかり元気になった王妃がいると思い込んでいたコンスタンスは、言い訳も考えておらず、適当な言葉しか出てこない。


「き、今日も祈りを捧げます。よろしいでしょうか?」

「それはもちろんいいが……」


 国王は明らかに表情を曇らせている。

 コンスタンスはこのままではまずいと、昨日と同じように杖を掲げ祈りを捧げた。だがもう薬はない。昨日ですべて使ってしまったのだ。

 後はあの薬が効くのを待つしかない。


(お願いよ……、早く効いて……)


 必至でコンスタンスは神に祈った。馬鹿げていると、すべては仕掛けのあるペテンだと否定した自分が、今懸命に神に祈っている。その矛盾が分かっていながらも、祈らずにはいられない。

 しかし、コンスタンスの祈りが、神に届くことはなかった。

 3日経っても、4日経っても王妃が回復することはなく、これまで通り臥せっている毎日が続いた。

 5日後、さすがに結果が出ないことに焦ったコンスタンスは、父にどうしたらいいかと縋ったが、父は怒りを露わにして、コンスタンスの顔を打った。


「役立たずが!! すべてお前の責任だ!! いいか!? 捕らえられても絶対に私の名前を出すんじゃないぞ!! すべてはお前が独断でやったことだ!! 私は関係ない!!」

「そんな!! お父様!!」


 泣いて縋っても父は許してはくれなかった。途方に暮れたコンスタンスは、成す術もなくただ絶望した気持ちのまま時間が経った。

 そうして7日後――。


「コンスタンス、王妃に奇跡は起きなかったようだな」

「こ、これは、何かの間違いです……!」


 国王の前で跪いたコンスタンスは必至で言うが、国王の表情は変わらない。


「今日から、シルヴァーナの試しを行う。コンスタンス、君には部屋を与えるゆえ、しばらくその部屋から出ないでいてもらおうか」

「そんな!!」


 体のいい監禁にコンスタンスは声を上げるが、聞き入れてもらうことはできなかった。

 兵士が案内する部屋に通されると、扉に鍵を掛けられる。


「わ、わたくしが……こんな……。酷い……っ……」


 部屋の真ん中で呆然と立ち尽くしたコンスタンスは、床にペタンと座り込んでぶるぶると肩を震わせる。

 唇を噛み締め、こぼれる涙をそのままに床を睨み付ける。


(いいえ……、このままじゃ終わらない……。シルヴァーナは奇跡なんて起こせない。まだ挽回のチャンスはあるわ……)


 父の助けがなくたって自分でどうにかしてやると、コンスタンスはスカートを握り締めた。

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