第3話 逃げたいけど、どこへ?
とりあえずここが王都ではないことは確実だろう。王都にこんな鬱蒼とした森は存在しない。
呆然としたままでいると、突然ふっと手元の明かりが消えた。ハッとして下を向くと、短かったろうそくが、ちょうど燃え尽きたところだった。
燭台だけ持っていても仕方がないと、足元に置き、どうしたものかと考える。
(ここがどこだかまったく分からないけど、とにかく誰かに助けを求めなくちゃ)
自分に何が起こったのかよく分からないが、アシュトンの仕業なのは確かだろう。シルヴァーナはこんなことで挫けてなるものかと唇を噛み締めた。
(教会に行けば、司祭様がいるわよね……。保護してもらえば……)
一瞬、教会に向きかけた足が止まる。
この教会の司祭がアシュトンの味方だったら、また捕まってしまうのではないかと脳裏に過る。
それはごめんだと、シルヴァーナは反対方向に歩きだした。
(ここが村なら、誰かしらがいるはずだわ。親切な人にとりあえず匿ってもらおう)
シルヴァーナはそう決めると、細い土の道を進んだ。
木立を抜けると、徐々に道幅が広がり、馬車が通れるほどの道に出た。
王都と違いまったく街灯などがないため、周囲は真っ暗なままだが、どうやらそこは両脇に畑が広がっているようだった。
あまり田舎に来たことがないシルヴァーナには、それがどれほどの広さかはよく分からなかったが、とにかく見渡す限り畑のような気がする。
そして遠くに、小さな家も見えた。
「家があるじゃない!」
小さな窓からは、明かりも見えている。希望が見えて、笑顔でそちらに向かい出すと、しばらくして、徐々に村が見えてきた。
本当に小さな村のようで、数えるほどしか家がないように見える。それでもどこの家にも明かりが灯っていて、シルヴァーナはホッとした。
村の端の小さな家に近付こうとした時、ふいに道の反対側にある家のドアが開いて、人の声が聞こえた。
驚いたシルヴァーナは、慌てて家の陰に隠れてしまう。
(なんで隠れるのよ。私は悪い事してないのに)
ついとった咄嗟の行動に首を傾げていると、家の中から男が3人出てきた。
「いやぁ、飲んだなぁ」
「明日の仕事、大丈夫かぁ?」
「平気、平気」
男たちは楽しげな笑い声を上げながら、千鳥足でこちらに近付いてくる。
(あの人たちに助けを求めるのは、やめた方がよさそうね……)
明らかに酔っ払った雰囲気で歩いている男たちに、声を掛けるほど馬鹿じゃない。
シルヴァーナが様子を窺っていると、ふと一人の男が立ち止まった。
「なぁ、教会に運ばれてきた死体、誰か知ってるか?」
「さぁ? そういや、見慣れない騎士が運んできたって、うちの嫁さんが言ってたけど」
(……私の話をしてる?)
突然自分の話題になって、シルヴァーナは身を乗り出して聞き耳を立てる。
「なんかよ、王都から来たって話だぜ。王族にすげぇ嘘を吐いたとかで、断罪されたって」
「嘘吐いて殺されたのかよ!? 王都は怖えなぁ」
「いやぁ、王族を騙すなんて、相当な女だよ」
「罪人なのかぁ。こんな辺鄙な村に埋葬されるなんて、身寄りもねぇのかなぁ。哀れなもんだ」
妙な同情心を出しながら、3人はうんうんと頷きながら歩いていく。その背中が暗闇に見えなくなるまで見送ったシルヴァーナは、家の陰から出るとすぐそばの家のドアを見つめた。
(村の人たちは、私が罪人だと思っているのかも……)
このまま家を訪ねても助けてもらえないばかりか、教会に連れ戻されてしまうかもしれない。
シルヴァーナはそう考えると、怖くてドアをノックする気になれなかった。
迷った末に、村から離れる方向へと歩きだす。
どうしたらいいのかもわからず、ただひたすら畑の間の道を歩いた。
村の明かりが見えなくなると、また周囲は真っ暗になった。村から離れるほどに森が近付き、途端に暗闇が怖く感じ始める。
森からは時折、獣か何かの鳴き声が聞こえてくる。そのたびに、ビクッと肩を揺らして驚いた。
(田舎の方には熊がいるっていうけど、まさかこの辺りにはいないわよね……)
人を襲う獣が森にいることは、何となく知っている。けれどそんなものを見たことがないシルヴァーナは、遠くに聞こえる謎の鳴き声だけで、怖ろしくて身が縮み上がった。
(ど、どうしよう……。やっぱり村に帰ろうかな……)
このまま進んでも、もう家はないだろう。そうなれば、あとはずっと森だけだ。
この暗闇を当てもなく歩き続けるのは、あまりにも無謀だし、怖すぎる。
シルヴァーナは自分の考えにどんどん怖くなってきてしまい、すっかり足が止まってしまった。
その時、ガサリと森の奥で物音がした。
(え、え? なに、今の音……)
真っ暗で何も見えない森の奥を見つめて硬直する。
空耳かと思いたかったが、ガサッ、ガサッと、木々を踏み分けるような音が徐々に近付いてくる。
シルヴァーナは恐怖に足が竦んで、その場から動けない。
(く、熊なの!? ど、どうしよう……、逃げ、逃げなくちゃ!)
必死にそう思うが、どうしても足が動かない。
その内、音がどんどん近付いてきて、自分よりもずっと背の高い何かが闇の中に見えた。
「く、く、熊……、熊だわ……」
震える声で呟くと、ザザッと草木を掻き分ける音が、やけに大きく聞こえた。
そして、森の暗闇からぬっと何かが姿を現した。
「キャーーッ!!」
「わあ!!」
闇を切り裂くようなシルヴァーナの叫び声に重なるように、なぜか男の声が聞こえた。
その場にしゃがみ込み頭を抱えたシルヴァーナは、そっと腕の隙間から様子を窺うと、そこには男性が自分と同じような格好で、その場に座り込んでいた。
「え? え? 熊……じゃない?」
「あ、え? ……女の人?」
熊とは似ても似つかない細身の男性は、シルヴァーナに驚いた顔を向け呟いた。




