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第23話 やっぱりアシュトンは最低

 畑の向こうに見えたアシュトンの顔を見て、シルヴァーナは息を飲んだ。


(アシュトン様がなぜこんなところまで!?)


 地方に行くことなど滅多にないアシュトンが、ここまで足を運ぶなんて絶対ないと思っていた。

 シルヴァーナは恐怖を感じて足を震わせると、よろりとよろけてしまう。その身体を支えるようにベルンハルトが腕を回した。


「大丈夫だ。俺がいる」


 シルヴァーナにだけ聞こえるように小さな声で言ったベルンハルトは、シルヴァーナの肩をしっかりと抱き寄せる。


「シルヴァーナだな! そこを動くなよ!!」


 アシュトンと騎士たちが駆け寄ってくるのを、固唾を飲んで待つ。すぐに背中を見せて逃げたい衝動をどうにか抑え見つめていると、アシュトンはすぐに目の前までやってきた。


「王太子殿下でございますね。このような田舎にご来訪とは驚きです」

「貴様がフェルザー男爵だな!?」

「はい。お初にお目に掛かり恐悦至極に存じます。ベルンハルト・フェルザーでございます。こちらは私の妻、シェーナでございます」

「シェーナ? 馬鹿を言うな! そいつはシルヴァーナだろう? 分かっているんだぞ!?」


 激しい剣幕で言われて、シルヴァーナはビクリと肩を揺らす。だがベルンハルトは穏やかな表情を変えず話し続ける。


「人違いではありませんか? シェーナはそんな名前ではありませんし、殿下とは初対面です。なぁ、シェーナ?」

「え、ええ。は、初めてお目に掛かります。シェーナと申します」


 シルヴァーナは深く腰を落として挨拶をすると、アシュトンは一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに表情を戻し口を開いた。


「白々しいことを言うな! その顔も声も私が知るシルヴァーナではないか!!」

「何を言われているのか分かりませんが、このようなところでは何ですから、どうぞ屋敷にお越し下さい。小さな屋敷ですが、できる限りおもてなし致します」


 ベルンハルトはそう言うと、シルヴァーナの手を握り歩きだしてしまう。

 シルヴァーナはできるだけアシュトンに近付きたくなくて、ベルンハルトにぴったりと寄り添うように歩いた。

 ちらりと背後を見ると、物言いたげな表情のアシュトンが、ぶつぶつと文句を言いながらも騎士たちと付いてくる。そうして屋敷に着くと、ベルンハルトが音を立ててドアを開けた。


「帰ったぞ、ドナート!」


 いつもはそんなことを言わないのにと思っていると、慌てた様子でドナートとエルナが玄関ホールに現れる。


「お帰りなさいませ、旦那様、……奥様」


 背後にいるアシュトンの姿を見た瞬間、ドナートは何かを察したのか、すぐに表情を強張らせた。


「ドナート、なんと王太子殿下が我が村に視察に来て下さったぞ。できるだけのおもてなしをせよ」

「分かりました。どうぞ、殿下。ご案内致します」

「ふざけるな!! 私はシルヴァーナを迎えに来たのだ!!」


 アシュトンがシルヴァーナに手を伸ばそうとするのを、ベルンハルトが咄嗟に遮った。

 シルヴァーナを背中に隠すように立つと、アシュトンと睨み合いになる。


「いくら王太子殿下といえど、他人の妻に不用意に触れるのはマナー違反でしょう」

「そ、そいつはお前の妻などではないだろうが!!」

「シェーナは私の妻です。この小さな村で二人で畑を耕して暮らしています。何を勘違いしているか知りませんが、それが事実です」


 ベルンハルトは根気強く静かな口調で言い続ける。その姿を見ている内に、シルヴァーナもやっと気持ちが落ち着いてきた。


「あなた、そういえば美味しいパイを焼いておいたの。それをお出ししていいかしら?」

「ああ。そうだな。シェーナの料理はとても美味しいから、殿下にお出ししよう」


 できるだけ妻に見えるように、ほがらかな声でそう言うと、アシュトンの表情が怒りに変わった。


「私を馬鹿にするのも大概にしろ! シルヴァーナ!!」

「殿下……」

「お前はシルヴァーナだ! なぜ生き返った!! どうやって生き返ったのだ!? それが奇跡の力ならば、お前は私のものだ!!」


 アシュトンの怒鳴り声にシルヴァーナは顔を顰めた。


(やっぱりアシュトン様は、私のことを諦めていないのね……)


 ではなぜ教会で、あれほど簡単に自分を殺したのだろうか。聖女だとまだ信じる余地があったのなら、殺す必要などなかったではないか。

 それとも生き返ったと知ったから、また欲しくなったのだろうか。そうだとしたら、なんて身勝手な考えだろう。


「殿下、私はシェーナです。ベルンハルトの妻で、殿下の求める者ではありません」


 声が震えないように、両手を握り締めて言うが、アシュトンの怒りは治まらない。


「嘘を吐くな! お前は聖女だ! こんなところで奇跡を使うな! お前は私の隣で、私の指示で奇跡を起こすのだ!! そうでなければ意味がないだろうが!!」

「殿下、どうかお静まり下さい。こんなことは無意味です」

「うるさい! 男爵風情が私に指図するんじゃない! お前の爵位などすぐにどうにでもできるのだぞ!?」


 額に血管を浮き立たせ怒鳴り散らすアシュトンを、黙らせることはできそうになかった。

 二人はこれ以上の手の打ちようがなく、お互いに目を合わせる。


「シルヴァーナ! 王都に来るんだ! おい! シルヴァーナを捕えろ!!」


 ついに取り巻きの騎士に指示を出したアシュトンに、騎士たちが動き出す。ベルンハルトが慌ててシルヴァーナを連れて逃げようとすると、そこにドナートが走り込んできた。


「殿下! 申し訳ありませんが、奥様は本当にシェーナ・フェルザーでございます。ここに結婚証明書もございます。どうぞご確認を」

「なんだと!?」


 ドナートが差し出す紙を奪い取ったアシュトンが、険しい顔で確認する。シルヴァーナは意味が分からず、戸惑った顔をドナートに向けると、ドナートはほんの微かに頷いて見せた。


「な、なぜだ……。これは本物の結婚証明書ではないか……。まさか、本当に別人なのか……!?」

「世の中には同じ顔の人間が3人はいると申します。殿下がお探しの方は、ここにはいないのでは?」


 ベルンハルトがそう言うと、アシュトンは悔しそうな顔で紙を握り締めた。


「ふざけるな……。こんな紙がなんだというんだ……。お前はシルヴァーナだ……。私がここへ棺を送ったんだから、絶対にシルヴァーナだ!!」


 アシュトンは激しく言い放つと、シルヴァーナに走り寄り手を伸ばした。突然のことに驚いたシルヴァーナは腕を掴まれ、声にならない悲鳴を上げる。

 だがすぐにベルンハルトがその手を払い除けてくれた。


「おやめ下さい! 殿下!!」

「うるさい! 黙れ!!」

「他人の妻にこのような無体なことをしたと国王陛下がお知りになれば、大変なことになりますよ!?」

「こ、こんな田舎の話が、王都の父上の耳に入る訳がないだろう!?」

「人の噂は風より早いと申しますよ! どんな些細なことだとて、可能性はゼロではない!」

「くっ……」


 ベルンハルトの強い言葉に、アシュトンが初めて怯んだ。うろうろと視線を動かし、ちっと激しく舌打ちすると、くしゃくしゃになった紙を床に叩きつける。


「……私に楯突いたこと、後悔させてやるからな」


 聞いたことのない低い声でそう言ったアシュトンは、踵を返すと騎士を引き連れて屋敷を出て行った。

 バタンと激しい音を立ててドアが閉められると、シルヴァーナはへなへなとその場に座り込んだ。


「シルヴァーナ!」

「だ、大丈夫……、腰が抜けただけ……」


 驚いたベルンハルトが膝を突いて顔を覗き込んでくる。その顔を見て、シルヴァーナは余計力が抜けてしまう。


「こ、怖かった……」

「よく頑張った。シルヴァーナが冷静でいてくれたから、乗り切れたんだ」

「ううん……、全部ベルンハルトさんのお陰です……。それにしても、結婚証明書って?」


 床に落ちているくしゃくしゃの紙に視線を向けて言うと、ベルンハルトは立ち上がり紙を拾って戻ってくる。


「何かあった時のために、作っておいたんだ」

「……本物?」


 平民も貴族も誰かと結婚する時は、教会の結婚証明書が必要になる。広げられた紙を見ると、教会の印も押されている。王都の教会で何度も見たものと、違いはないように見える。


「君が見破れないなら、王太子は本物だと信じただろうな」

「偽造なの?」


 ベルンハルトの言葉にシルヴァーナはまじまじと紙を見つめるが、偽造らしいところは見当たらない。


「こんなものでどうにかなるとは思わなかったが、時間稼ぎはできたな」


 ベルンハルトは肩を竦めると立ち上がり、シルヴァーナに手を差し伸べる。その手を握ると、シルヴァーナも立ち上がった。


「王太子を間近で見たのは初めてだったが、ああいう顔が女性には人気なのだろうな……」

「まぁ、そうですね」


 なんとはなしに返答してしまうと、ベルンハルトの眉間にぐぐっと皺が寄る。


「あ、いえ! 私はあんな甘ったるい顔は全然好みじゃないですよ!」

「そ、そうか……」


 シルヴァーナが慌てて言った言葉に、ベルンハルトがあからさまにホッとした顔をする。その顔を見て、なんだか妙に気恥ずかしくなってきてしまい、シルヴァーナは視線を逸らした。


「とにかく、一度落ち着いてからこれからのことを考えた方が良さそうですね。エルナ、奥様の着替えのお手伝いを」

「ドナート!」


 しれっと『奥様』と言ったドナートに、ベルンハルトが声を上げる。だがドナートはまったく悪びれた様子もなく「失礼」と言うと、踵を返し玄関ホールを出て行ってしまった。


「す、すまない。ドナートが変なことを……」

「い、いいえ……」


 二人はそれぞれ赤い顔を隠すようにあさっての方を向いて、ぎこちなく言葉を交わしたのだった。

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