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第20話 新たな聖女の出現

 アシュトンは長年の胸のつかえが取れ、晴れ晴れとした気持ちでサロンに顔を出した。

 この頃はパトリックの話も耳に入るので、あまり貴族たちの集まりには参加していなかったが、今日はそんなことも気にならないくらい機嫌が良い。


「殿下が久しぶりにサロンに顔を出して下さり、皆喜んでおりますわ」

「お忙しい中、本当にありがとうございます」


 アシュトンを囲むように座っていた貴族の令嬢たちが口々に感謝を述べる。部屋には同年代の貴族の令息令嬢が10名ほど集まっていた。

 全員アシュトンがそばにいていいと許可を出したお気に入りの貴族たちだ。


「今日はコンスタンス様もいらっしゃると聞いて、楽しみにして参りましたのよ」

「コンスタンス様はまだいらっしゃいませんの?」


 王太子の自分よりも後に来るなど言語道断だが、本物の聖女であると証明して見せたのだ、このくらいは許してやろうと、アシュトンは笑みを見せる。


「聖女は忙しいからな。少しの遅刻は許してやろう」

「殿下は寛大ですわね。それにしてもコンスタンス様は聖女認定の儀式の前だというのに、もう奇跡を起こしてしまうなんて驚きましたわ」

「本当ですわ! 癒しの力を持つ聖女は特別な聖女と言いますもの。素晴らしいですわね」


 貴族たちの話題は、コンスタンス一色だった。あれだけの奇跡を見せつけられては、誰もが噂したがるのは当然だろう。

 噂が広まれば広まるほどアシュトンに有益になるので、自分の話題が中心ではないこともまったく気にならない。


「あら、わたくしの噂話かしら」


 高い声がして全員がドアの方へ視線を向けると、そこには満面の笑みを湛えたコンスタンスが立っていた。


「まぁ、コンスタンス様!」

「やっとお越し下さったわ!」


 女性たちが腰を上げてコンスタンスを取り囲む。コンスタンスは誰よりも豪華なドレスを着ていて、誰よりも華やかな装いだった。


「ごめんなさいね。教会に寄っていたので遅刻してしまいましたわ」


 コンスタンスはそう言うと、アシュトンの隣にゆったりと座る。


「お待たせしてしまったかしら、アシュトン様」

「いや、そんなことはないよ」


 アシュトンが笑顔で首を振ると、また周囲に集まってきた女性たちが、甘い溜め息を吐いた。


「まぁ、なんてお優しい。お二人はもうすっかり心を許し合った仲なのですね。羨ましいわ」

「殿下、コンスタンス様とはいつ婚約発表ですの?」


 興味津々で聞いてくる女性にコンスタンスは苦笑して扇を広げた。


「皆さん、気が早いですわ。すべては先代の聖女様の喪が明けてからですわ。わたくしも彼女のことは心を痛めておりますの。婚約なんてまだ早すぎますわ」

「コンスタンス様はなんて謙虚な方なんでしょう」


 感心する声に、コンスタンスは柔らかく微笑む。

 アシュトンはその横顔を見つめて、軽く咳払いすると口を開いた。


「コンスタンスは遠慮してこう言っているが、結婚は早い方がいいと思っている。父上の許可が出れば、すぐにでも日程を調整するつもりだ」

「アシュトン様……」


 アシュトンの言葉に、コンスタンスはこちらを向くと、嬉しそうに笑った。

 その目を見つめたまま、細い手を握り締める。


「なんて仲睦まじいのでしょう。聖女であるコンスタンス様が王太子妃となれば、ルカート王国は安泰ですわね」


 女性たちの話が一段落すると、遠巻きに見ていただけだった男性たちが近付いてきた。


「殿下、聖女と言えば、面白い話を商人から聞きましたよ」

「なんだ?」


 背後に立っていた男性は、アシュトンの前方に立つと、得意げに話し出した。


「西の方の田舎に、聖女が現れて人々を救っているという話です」

「なに……?」


 コンスタンスの髪を指先でいじっていたアシュトンは、驚いて男性に目を向けた。


「聖女? 今、聖女と言ったか!?」

「はい。流行り病で身体が弱った村人たちを、全員元気にさせたようですよ」

「な、なんだと!?」


 アシュトンは動揺を隠せず顔を顰めると、コンスタンスがギュッと手を握ってきた。


「な、何かの間違いですわ。そんな……、村を救うなんて、ペテン師か何かでしょう?」

「コンスタンスは黙っていろ! その話は確かなのか!?」

「え、ええ。村に立ち寄った商人が、元気になった村人を見たと言っていましたから」


 男性が頷くと、他の男性が「思い出した」と声を上げた。


「それ、メルロー村でしょう? 私も噂を聞きましたよ」

「メルロー村だと!?」


 アシュトンはその名前を聞いて、思わず立ち上がる。

 その反応に全員が驚いた顔でこちらを見たが、気にしている心の余裕はなかった。


「本当にメルロー村なのか!? 間違いはないな!?」

「はい。間違いありません」


(どういうことだ!? メルロー村はシルヴァーナを埋葬した村だろう!? なぜそこに聖女が現れるんだ!?)


 得体の知れない恐怖が湧き上がってきて、アシュトンは自分の手が震えているのに気付いた。


「ア、アシュトン様、そのような噂話、気にすることはありませんわ。田舎者はよくそういう嘘を吐くのです。そんな話、田舎ではよくある話ですわ」

「そ、それはそうだが……」


 コンスタンスが引き攣ったような笑みを見せて、諭すように言ってくる。

 確かに下々の者が知性も品格もない人間だということは分かっている。平気で嘘を吐くし、人の金を盗む。


(だが……)


 それがメルロー村だということがどうしても引っ掛かる。

 メルロー村にシルヴァーナの遺体を運んだ騎士は、なぜかその遺体が消えたと報告してきた。あの時はもうシルヴァーナに関わりたくなくて放っておけと言ったが、やはり遺体を探させるべきだったかもしれない。


「部屋に戻る……」

「アシュトン様、お待ち下さい!」


 アシュトンが部屋を出ようと歩きだすと、追い掛けてきたコンスタンスが腕を取った。


「まだもう少しいて下さらないと困ります」

「私に指図するな」


 コンスタンスを睨み付けると、腕を振り払って歩きだす。


(メルロー村を調べなければ……)


 このまま放っておく訳にはいかないと部屋に戻ると、追い掛けてきたコンスタンスが部屋に勝手に入ってきた。


「アシュトン様、どうなさったのです? 突然部屋に戻られたりして」

「コンスタンス……。メルロー村の噂、お前はどう思う?」

「どうって……、さきほども言いました通り、田舎者の戯れ言ですわ。まさかアシュトン様は信じるのですか?」

「聖女だぞ!? そう簡単にそんな噂が流れると思うか!?」


 声を荒げてそう言うと、コンスタンスは眉を顰めてこちらを睨み付けた。


「わたくしが聖女です! 他に聖女などおりませんわ!」

「メルロー村はシルヴァーナを埋葬した村なのだぞ!? もしかしたらシルヴァーナが……」

「何を馬鹿なことを!!」


 怖ろしさについ口走ってしまうと、コンスタンスはこちらが最後まで言い終わる前に口を挟んだ。


「シルヴァーナは偽聖女です! 何を恐れることがあるのですか!」

「恐れてなぞおらん!!」

「ならばそんな噂、捨て置いて下さいませ!」

「元はと言えばお前がシルヴァーナのことを偽聖女だと言ったのだぞ!? もし聖女だったらどうするつもりだ!!」

「ですから、シルヴァーナはもう死んでいるのです!」

「悪霊になって村を彷徨っているかもしれないではないか!!」


 結局埋葬はしていないのだ。殺された者はしばしば悪霊になって、殺した相手を探し現世を彷徨うのだという。

 シルヴァーナがそうなっている可能性はあると訴えると、コンスタンスは呆れたような顔をした。


「そんなものはおとぎ話です!!」


 こちらを馬鹿にしたような目をして言い放ったコンスタンスに、アシュトンは手を上げそうになってぐっと堪えた。

 コンスタンスが聖女であることは確かなのだから、ここで機嫌を損ねさせてはいけない。


「……そうだな。シルヴァーナは死んだ」

「分かって頂けたなら良かったですわ……。今日の夜会には一緒に出られますわよね?」

「ああ……」


 低い声で返事をすると、コンスタンスはホッとした顔をして部屋を出て行った。


「ふん……、小賢しい女だ……」


 アシュトンは顔を歪め呟くと、部下を呼びメルロー村の探索を命令した。



◇◇◇



 数日後――。

 探索に出ていた部下の報告は驚くべきものだった。


「シルヴァーナが生きているだと?」

「はい。『シェーナ』と名乗っていますが、シルヴァーナそっくりの女が村におりました」

「ほ、本当にシルヴァーナだったのか?」


 教会で見たシルヴァーナは確かに死んでいた。あれでどうやって生きていたというのだろうか。


(まさか……、聖女というのは本当だったんじゃないのか……)


 コンスタンスが嘘を言っている可能性はある。だがそうすると、今この国には聖女が二人存在することになる。歴史上、同じ時代に聖女が二人現れたことはない。


「私の見た限りではシルヴァーナで間違いないだろうと思います。ですが私は棺に入っていた顔しか知りませんので、完全に本人かと言われると断言はできません」

「そんな……、じゃあ、どうすれば……」

「シルヴァーナをよく知る人物が確認するしかないかと」


 騎士の言葉に、アシュトンは険しい顔で考える。


(本物のシルヴァーナか、確かめなければ……)


 奇跡を起こせる聖女なら、シルヴァーナは絶対に手に入れなければならない。シルヴァーナとコンスタンス、どちらかを選ぶとしたら、絶対にシルヴァーナを取る。

 コンスタンスはエドニー侯爵の娘で、父親が常に口うるさく命令してくるし、本人もそれを笠に着て横柄に振る舞っている。このままコンスタンスと結婚すれば、後々面倒になるのは明白なのだ。

 それでも本物の聖女なら少しくらいは我慢しなければと思っていたが、シルヴァーナが本物ならば話は別だ。シルヴァーナは昔から口数も少なく、従順な態度でいつも静かに控えていた。きっと妻になっても邪魔になることはないだろう。


「私が行く」

「殿下」

「すぐに準備をしろ」

「はっ!」


 アシュトンはその3日後、西の国境を守る砦を視察に行くと嘘の予定を立て、城を出た。

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