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殺戮鬼  作者: 海山優
10/10

エピローグ 日常会話

《『インド人もびっくりのカレー』 というCMを見て思ったんだけどさ、そりゃびっくりもすると思うんだよなぁ。インド人が知っているカレーとは全くの別物なんだからさ》

by中田遥

《お前さん年いくつだよ……》

by四谷真崎


「それじゃ、今日はここまでとしようか」

 数学教師の村田 (三十代独身、ダンディで黒のスーツが似合う) が腕時計を見てそう呟くとほぼ同時に、四時限目の終わりを告げるチャイムが校内に響き渡った。

 学生たちにとっては、一時的とはいえ授業の終わりを告げる鐘であると同時にお昼休みを告げる鐘、歓迎されないわけがない。当然のごとく、俺もこの時間に至福を感じている。窮屈な学校生活を送るにあたって、こういった些細なことで幸福を感じるあたり、俺は現代社会に飼い慣らされているのだろう。

 まぁ、幸せを感じられるのならそれで十分。ペット最高。

「さてさて」

 振り返ってみると四谷真崎は寝ていた。

「くー、くー……」

 その寝息は文字にしてみると、なんだか可愛らしく聞こえてしまう。

 可愛いのは文字だけな。現実は非常である。なぜならこいつは男だからだ。

「ほれ、起きろ四谷。もう授業終わったぞ。昼飯の時間だ」

 後ろの席に座る四谷とは、なんとなく一緒に昼飯を食べる仲だ。――食事中に話をするというのはマナーや行儀という観点から見れば褒められるようなことではないけれど、そんなことをいちいち気にしているようでは学生の肩書が廃る。というか、知ったことではない、俺は話し相手が欲しいのだ。

 だから、四谷を起こす。起こすために頭をベシベシと教科書で叩く。

「ん、ぅんー……」

 元々眠りが浅かったのだろう、そんな呻き声を出しながら四谷はのっそりと顔を上げた。

 文章上では可愛く思えるような寝息と呻き声だが、本人はそんな可愛さとはかけ離れている。

 男にしては長く伸ばされている髪はあまり手入れが行き届いておらず、ところどころ寝癖が酷い。

 端正な顔で、肌も男子高校生にしては荒れておらず、乱雑に伸ばされている髪の毛も見ようによっては似合ってしまう。寝癖すらも髪型だと言い張ってもあまり言い返せない。その程度には顔は整っている。

 体格だって悪くない。背丈は平均のやや上、運動部に所属はしていなくとも無駄な贅肉がついているわけでもない。うん、悪くないのだ。

「んあー?」

 良い部分を全て台無しにするような、濁り、腐り、死に、廃した、こんな目でなければ。


 夏休みが明けたとはいえ、まだまだ半袖であることに不自由を感じない九月の上旬。

 世界は相も変わらず、飽きもせず、味もなく、平和だ。

 うむ、退屈とは素晴らしい。

 素晴らしきかなこの世界。


―――◇◇◇―――


「なんかお前、少しだけ雰囲気変わったよな」

 目の前でもそもそと弁当をつつく四谷を見て、俺は思ったことを口にする。

「え? どんなふうに?」

 箸を口に含みながら、四谷は何を言っているのか分からないといった顔をする。

 どんなふうに? と聞かれると、少しばかり困ってしまうな……。思ったままに口にしたから、言葉にしづらい。

「あー……」

 なんというか、落ち着いた? いや、元からこいつは落ち着いている。静か過ぎるぐらいに落ち着いてはいる。じゃあ、えーと……、

「落ち着いた……、落ち込んだ……。落ちた……。おっ、 沈んだ! これだな、うん。沈んだ」

 自分の中で納得のいく言葉にでき、少しだけ満足。

「んー、あー。沈んだかぁ……。まぁ、確かに、そうだなぁ」

 俺の言葉を否定せず、思い当たることがあるのか四谷は頷く。

「それにしても、中田(なかた)(はるか)ちゃんともあろうお方が人の雰囲気を感じ取れるとはなぁ。四谷さんもびっくりだよ」

 目は見開かれていないし、声の抑揚も変わらない。全然驚いているようには見えないのだけれど。平然とした顔でミートボールを口に放り込んでいるし。ついでにウィンナーを頬張ったら一部の女子が喜ぶ。

「色々とツッコミどころがあるな。なんでちゃん付けなんだよ。女だと思われたらどうしてくれるんだ。ていうかな、なんで俺のことをそんな人の気持ちを分からない人間みたく言うんだよ。人の気持ちが分からないとか、俺はどこのアルトリアだよ。というかそれも女じゃねぇか、おいゴルァ」

「おっと、すまなかった。中田くんは彼女の田中さん――田中(たなか)(やしろ)さんにしかちゃん呼びを許していないんだったな。二人きりのときだけにハルちゃんとか呼ばせるあたり、なんていうかもう、あれですねぇ、ラブラブっすねぇ。バカップルって言われても否定できませんねぇ」

 口角を吊り上げ、嫌らく笑う四谷。うん、殴りたい。

「まぁ、否定はしないさ。事実だ。けれど、なんでそれをお前が知っている?」

こいつはその手の話題に興味を持たず、人の弱みを能動的に握ろうとするような種類の人間ではないと思っていたのだが。

「いや、田中さんが嬉しそうに教えてくれたから。さっきもクラスメートたちに言いふらしていたよ」

 あっさりと白状する。

「そっかー、あいつには後でお仕置きという名の虐待が必要だなぁ………」

 今現在は購買部にてパンを買っているであろう田中に思いを巡らす。主に調教の方法。

 そんな俺を見て、何故か四谷は寂しそうに笑う。

「いやはや、仲が良さそうで。いいじゃないか、仲良きことは美しき哉。大事にするべきだよ。うん」

 四谷の眼は羨むような、慈しむような、懐かしむような、そんな目だった。どうしてこいつがそんな目を浮かべるのだろうか? そんな疑問が浮かぶ。

「俺さ、夏休み中に告白されたんだよ」

 四谷は、彼の代名詞と言える死んだような目を変えることなく、どうとでもないように言った。

 だが俺は違う。もしも目の前にいるのが四谷ではなく田中だったとしたら、

『あっ、あはっ、あはははははっ! ハルちゃんがすげー馬鹿っぽい顔してるぅ⁉ 大口をっ、開けてっ、目を普段の倍ぐらいに見開いてっ、くっ、あはっ、駄目だっ‼ おかしい! 普段冷静ぶってるから余計に可笑しく見えるっ! あはははは、あっひゃひゃひゃひゃ!』

 うん。おそらくこんな感じに笑うだろう。これはあくまで俺のイメージでしかないというのにすごくイラッとしたから、田中には後で嫌がることでもするか。……冤罪? 知るか。

「で、その子が死んだ」

 続いた言葉は、高校生の昼休みに挙がる単語としては場違いだった。聞き間違いであって欲しかったけれど、我がクラスは騒ぐような輩が比較的少なく、その数少ない騒ぐ奴らも他のクラスや部活の練習へと出向いている。だから、聞き間違いだと確信できないほどにクラスは静かなのだ。普段はこの静かなクラスを心地よく感じていたのだが、今日ぐらいは騒がしくなって欲しかったなぁ。そんな勝手なことを押し付けてしまう。

「……………………」

 わーおー……。

 俺を包む空気だけが一瞬にして重たくなった。母の作ってくれた美味しい弁当から味が消えた。

 なんというか、なんとも言えないというか、本当になんの言いようもない。

 四谷真崎という人物が告白されたという事実だけでもかなりの驚きだったというのに、――それだけならまだ、軽くはなくとも重くはなく、のんびりと、昼ご飯の肴に出来る話だった。その先が気になるし、ことの顛末を話してもらいたいぐらいだ。

 ことの顛末だけを話された今、聞く耳を持ちたいとは思えなかった。

「たぶん、お前さんの言う雰囲気が変わったっつうのはそれが原因だと思う」

「そ、そうなのか……」

 あまり深く聞きたくないので、そんな相槌しかできない。けれど、四谷は喋り続ける。

「その子は結構可愛くてさ、内面も……まぁ、人は誰しも欠点を抱えてるわけだし、許容できる程度だったんだよ。で、そんな女の子に好きだと言われたら、男なら少なからず意識するし、何かしらの感情を抱ちまうもんだ。俺は当然のごとく好意を抱いた」

 あまりにも淡々と話すものだから、もしかして、もしかしなくともこれは冗談だったのでは?

 そんなことを考えるけれど、四谷真崎は度の過ぎた発言はしない。冗談は言っても、冒涜はしない。気持ちが分からずとも、汲もうとはする。この間も、死という言葉が軽く扱われることに対して愚痴っていた。自分も簡単に使っているというのに――自分が簡単に使えてしまうからこそ、何かがおかしいと、口をへの字に曲げながら言っていた。

「その子、死ぬ直前だったときにさ、涙を流しながら俺の手を握って嬉しそうに笑っていたんだ。自分がこれから死ぬって分かっているのに、満面の笑み」

 そしてそのまま死んだ―――煮っ転がしを箸で半分にしながらそんなことを話されても、どうリアクションを取ればいいのかわからないんです……。

「そんな彼女が死んでもさ、世界は変わらない。俺は生きたままで、彼女が居た痕跡は残っている。なのに俺はいつも通りに生活を送っていて、彼女に会う前の毎日を違和感なく過ごしている」

 握っていた緑茶の紙パックから手を離し、四谷は自分の左手を眺める。

 一体、彼は今なにを思っているのだろう。なにを考えて、それを俺に話しているのだろうか。

「それで、お前は一体なにを思ったんだ?」

 思ったことをそのまま口にしてしまった。まぁいいか、こうして他人に話すということは、一方的に喋りたいわけではなく、話がしたいということなのだろう。

 そしたら、四谷はなぜかくすりと笑った。

 いつものような卑屈と嫌らしさを含んだような笑みではなく、優しさを内包した微笑みだった。

 それは俺が知っている四谷ではなかった。誰か、別の人のように思えた。

 そして彼は人差し指を口に当て、儚く笑い、言葉を紡ぎだす。

 彼の言葉を、俺は理解が出来なかった。

「代わり映えのしない毎日。彼にはそれが似合うからね。だから、私はこれで十分なんだ。彼の中に思い出として存在できるなら、私はそれで十分」

 ――マサくんは気づいてないけれど、私が押し付けたのは感情と異常だけじゃないんだよね。

「………は?」

 ぼけーっと見ている(聞いている)ことしかすることがない(出来ない)俺を見てまた笑う。

「にへらっ」

 なぜだか、男だというのに――四谷真崎だというのに、その砕けた笑顔に不快感がなかった。純粋に綺麗だと思ってしまった。

「誰だお前」

 そんなツッコミ成分多めの俺の言葉にも、彼は笑うだけだった。

 ――彼?

 あれ、目の錯覚だろうか?

 目の前に座っているのは四谷真崎のはずなのに、俺の目には少女が映っていた。

 金髪碧眼で、色白で、柔和な微笑みを浮かべる綺麗な、とても綺麗な少女が映っていた。

「これからも、四谷真崎をよろしくね」

 透き通るような綺麗な声。

 心の底から嬉しそうに、彼女は笑い、俺にそう告げた。


くぅ〜疲れm(以下略


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