第23話 妹と恋の話
<氷ヶ峰こおり>
雨の日の午後、私は、自分の部屋で写真を見ていた。
先日、竜太郎の家で桜子と話していたときに少し思うところがあったのだ。
春出水桜子──最近仲良くなった可愛い子。
私と竜太郎のことをカップリングで推してくれてるらしい。
竜太郎のことを男性として好きなわけではない────と言っていた。
でもなんかそのわりには、竜太郎の目の前で水着姿になってかなりえっちなポーズで誘惑してるように見えたけど、まぁ、許しましょう。あれは竜太郎も悪い。
久々にできた友達だ。大切にしたい。
それにしても、
「似ている……」
写真を見ながら呟く。
私と、竜太郎と、彼女が写っている。
高校時代の写真。
────そう、私はかつての親友、坂嶺葉子のことを思い出していた。
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<犬飼竜太郎>
「ただいま」
俺は坂の上にあるアパートの一室に入る。
久々に嗅ぐ匂いに安心する自分がいた。
「おかえり、竜太郎」
足の悪い母は、一日の大半を椅子に座って過ごしている。
立ち上がろうとするところを手で制する。
まだ夕飯まで時間がある。
荷物を置き、ソファに座る。
間が持たないからテレビをつけた。
チャンネルを回し、自然とアイドルが出ている番組を見てしまう。
そしてこの番組に氷ヶ峰がもし出ていたら、そんなことをすぐ考えてしまう。職業病だ。
CMが入ったのでふとテレビ台の横に並べられた数々のトロフィーを見る。
俺は学生時代ボクシングに明け暮れていた。
「……なぁ、いい加減アレ捨てたらもっと部屋広くなるんじゃねーの」
「何言ってるの。捨てるわけないでしょ」
母が呆れたように笑いながら答える。
「……仕事は順調なのか?」
「あんたねぇ。普通そういうのは親から子供に言うものなの。……おかげさまで上手くいってるわよ。だからあんたはもう仕送りとかしないで自分に使いなさい」
俺は母がおぼつかない足取りで接客業に勤しむのが見てられなくて、無理やり動画編集の仕事を覚えさせた。
皮肉なことに氷ヶ峰のせいでやたらと上達した俺の教え方が分かりやすかったのか、母は頭が良いからなのか、すぐに出来るようになった。
口が裂けても言えないが、俺は出会った人間の中で母より地頭が良い人を見たことがない。
そういう業界とコネのある俺の紹介もあって生きていけるくらいの仕事はあるはずだ。
「ああ。今月までにしとくよ」
「それ言うの何回目なのよ。あと、つーちゃんにもお小遣いたくさんあげてるでしょう。あんたそんなに稼いでるの」
「使うヒマがねーんだよ」
そんなことを話してると、玄関の鍵が開く音がする。
噂をすれば、つぐみ────妹が帰ってきた。
「ただいまーーー。あ、お兄ちゃんもう帰ってきてたの」
手を挙げて答える。
これを言うのも久々だ。
「おかえり、つぐみ」
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三人で晩御飯を食べたあと、実家をあとにして、妹と二人で駅に向かう。
「ずっと思ってたけど、今日のお兄ちゃん、なんか顔色いいね」
歩きながら俺を見上げるつぐみが聞いてくる。
「あー、まぁ最近寝てるからなぁ」
相変わらず氷ヶ峰の考えは読めないが、拘束時間は劇的に減っていた。
「……やっぱり寝れてなかったの?」
心配そうに聞いてくるつぐみの頭を笑いながら撫でる。
「だから、今は大丈夫だって言ってるだろ」
大人しくされるがままのつぐみ。
さらさらの髪が撫でやすい。
「……お兄ちゃんさー。こういうこと、軽々しく女の子にしてないでしょうね」
「うーん。してないと思うけどなぁ」
うん。してない。たぶん。きっと。
「ぜったいダメだよ。刺されても知らないからね」
ないない。
「こえーよ。それよりつぐ、こないだ言ってた高校の先輩の男とはどうなったんだ?」
前回会ったときに誘われてて迷ってるって言っていた気がする。
「あー。良い人なんだけどねぇ。なんかパッとしないんだよねぇ。あと……」
「あと?」
首を傾けると、いきなりつぐみが俺の腹をパンチしてきた。
いてぇ。
「腹筋が割れてないとね……ってあれ? なんか柔らかくなった!?」
「もう鍛えてないからなぁ」
ボクシングに本気のときは常にバキバキだったんだが。
「もー。カッコイイままでいてよー。まぁ、お兄ちゃんと比べちゃうから私の恋愛は上手くいかないんですけねー。やっぱりどんどんダサくなってくださいー」
なんだそりゃ。
「俺のせいかよ」
「それよりお兄ちゃんはどうなの。そろそろ、こおりちゃんと付き合った?」
「何でだよ。あいつとはそんなんじゃない」
「……まだ葉子ちゃんのこと忘れられないか」
まぁな。正直それはある。
「まだ半年だからなぁ。思い出しただけで泣けてくる」
「あら素直ー」
おどけた調子で俺を見上げてくる。
「こういう時、兄妹がいて良かったなと思えるよ。取り繕う必要がないからな。ありがとう、つぐみ」
まっすぐ見返してやる。
「素直すぎる!!!」
耐えきれなくなった妹が俺の腕に巻き付いてきた。
ふはは。俺の素直攻撃の勝ちだ。なんの勝負だ。
「それにな。氷ヶ峰は12月で引退するんだ。そんで許嫁と結婚するらしい」
「へ?」
つぐみが立ち止まる。
「おい止まるな」
さっきまでの穏やかな空気は見事に霧散している。
「どういうこと? 相手は誰?」
うわ、完全に顔がキレてる。このモードの妹は怖い。
急にスイッチが入るのは俺と同じか。やはり人間DNAなのか。
「霧島凛空って知ってる?」
「当たり前でしょ。マジなの?」
まぶたがピクピク動いてる。今こいつの脳内が高速で回転してるのが分かる。
「俺がお前に嘘ついたことあるか?」
「…………それで、お兄ちゃんはどうするの?」
「どうしようかなぁ」
いや、本当。どうしようかなぁって思ってんだよ。
「いつでも協力するからしっかりしてよ」
「協力って別につぐに頼むことは何もないよ」
あ、失言かこれ。やばい。妹の不満ゲージが上がった。あぶない。
「……ちゃんとこおりちゃんを守ってくれるの?」
守るってなんだよ。
「俺はやれることをやるだけだ」
「お兄ちゃんが何でもできることは知ってる。でも、独りじゃできないことだってあるんだよ?」
「別に俺は何でもできるわけじゃない」
自分が一番分かってる。
「とにかく! 私はバカだけどお兄ちゃんのためなら何でもするから頼ってよ!?」
「ああ。分かったよ」
これ、傍から見たら喧嘩してるようにしか見えないだろうなと少し思った。
「もう」だの「私もやるしかない」とかぶつぶつ言いながら妹は駅に消えて行った。
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翌日、事務所でこおりのレッスンの合間にチーフマネ───相模立夏さんから色々と細々した仕事を受けていた。
すると。
「犬飼さん、こ、こんにちは」
振り向くと、春出水さんがいた。
「こんにちは、春出水さん。えーと、この間はどうも……」
ありがとうございました───と言いかけて、水着とか桃色とかそういう概念が脳内を支配しかける。
服を着てるとそこまで分からないが、この膨らみの下にはあのメロンのような────。
「……うぅ」
彼女もそうなのかもじもじしている。まずいまずい。
リセットしろ。俺ならできる。
一度全身の空気を吐き出し、努めてハキハキした声を出す。
「えっと! なにか用事ですか?」
「あ、ああすみません。……このあと私の相談に乗っていただけませんか?」
「もちろんいいですよ。何ですか?」
俺に相談なんて、何だろう。
この子の頼みなら何でも聞いてあげたい。
「……いえ、場所を変えて、聞いて欲しくて」
小声になる春出水さん。立夏さんは横で聞こえないフリをしている。
「すみません。俺はこのあとも氷ヶ峰についていないといけなくて……」
「氷ヶ峰さんには了承をとっています」
「え? 本当ですか?」
スマホにメッセージを入れると【了解】と速攻で返事が来た。
本当みたいだ。
そしてあれよあれよという間に、気づいたら二人で喫茶店にいた。
飲み物を少し飲んで一息つく。
春出水さんは、何か言いたそうにもじもじしている。
「それで、相談というのは……」
なかなか話し出さないので、俺から切り出した。
すると、意を決したような彼女が、強く俺を見る。
「単刀直入に聞きます。犬飼さんは彼女がいるのでしょうか」
はい?
「いませんけど」
「本当のことを教えてください」
なんでこんなことを聞かれるのだろうか。
「本当にいません」
ぐぐぐと春出水さんが身体に力を込めたように見えた。
何を言われるんだ。
というか何でこんな俺が詰められてる感じになってんの。
「昨日、──駅で犬飼さんがとても綺麗な恋人と喧嘩していたという噂を聞いたんです……」
ああ、妹のことか、と気が抜けてしまった。




