7 心もキャッチボールいたしましょう
「おお~。これ、なかなか面白いな!」
「ほらあ。そうだろ? そうだろー? ベル兄」
俺の指導のもと、キャッチボールをはじめたイケメンふたりを眺めつつ、俺はにやにやしている。
さすがに男同士、しかも騎士同士なのでふたりとも勘がよく、キャッチボールはスムーズにこなれた感じになった。
ベル兄とイケメン皇子──クリストフだっけ──は向かい合い、十メートルほど離れてゆったりとボールのやりとりをしている。パスッ、パスッとボールがグラブに吸い込まれるときの小気味のいい音が中庭に響いている。
(あー。平和だなあ)
午前の太陽はあっというまに昼の光に近づいている。今日はいい天気だし、まだ夏の訪れまでは遠くて風もさわやかだ。空はいかにも青々していて、真っ白な雲が浮かんでいる。庭木のあちこちでは小鳥の鳴く声がしている。こんな日に外に出て運動しないなんてもったいない。
ふたりが楽しげに何十球かやりとりをしたところで、俺は言った。
「ねえねえベル兄。野球は教えてあげたんだから、今度は剣を教えてよ」
「え? 剣? シルヴェーヌ嬢は剣を習っているのですか」
返事をしたのはクリストフの方だった。わかりづらいけど、ちょっとだけ目を丸くしている。かなり意外だったらしい。
俺はにかっと笑って見せた。
「はい。ちょっと興味がありまして」
「そうなんだよー。こいつ、女だてらに剣を使いたいって言い出してさー。それも短剣じゃなく、長剣だぜえ?」
「……そうなのですか。女性で剣を嗜まれるかたは珍しいですね」
あ。やっぱりこの人、否定しないのな。
野球のことだって朝の運動のことだって、お父様やお母さまや、上の兄上はあんまりいい顔をしていない。「公爵家の娘がはしたない」と思っていることは明らかだ。「そんなことより、もっときちんと花嫁修業にいそしめ」と思ってるのも。
いや、べつにどう思われようが俺はやるけどな!
今はまだ許してもらえてないけど、いずれは公爵家の守護を担当している兵士を訓練している男に師事しようと思ってるし。
「ほんと、珍しいだろ? けどまあ、女にしちゃあわりと筋がいいんだよ、こいつ。このところ、しっかり筋力もつけてきてるし。下半身が安定してきたし」
「なんだよ『女にしちゃあ』って! ベル兄こそ、言葉遣いがレディーに失礼だっつの」
「はあ? お前がレディーとか、ありえねーし」
「はあ!? なんですとー? もういっぺん言ってみろやあ!」
ベル兄、そこでまたがっくり肩を落とした。
「聞いてくれよクリストフ~。こいつ、この間っからほんと変でさあ。まるで別人みたいになっちまって、下町の変な男どもみたいなしゃべり方はするし、この通りだし。まあ、運動を始めたんでかなり痩せてきたのはいいんだけどさー」
「……そうなのか」
人にはあれだけ「言葉に気をつけろ」と叫びちらかしておいて、ベル兄自身はかなりざっくばらんな調子で皇子に話しかけている。ってか、あんただって貴族の息子にしちゃあかなり言葉づかいが崩れてっかんな。人のこと言えねえかんな?
ま、でもこの二人はご学友だもんな。ってかこの打ち解けかたはもはや親友の域なんだろうし。もちろん公式の場ではやらないんだろうし。
うーん。ちょっと羨ましいかも。
「なーなー。そろそろ替わってくれよー、ベル兄。俺もキャッチボールしたい! そろそろ昼餉の時間になっちゃうしさー」
「あーもう、うるさいな。ほらっ」
グラブをぽんと放り投げられ、俺は嬉々として兄と入れ替わると、皇子の前に立った。
ん? 皇子も心なしか嬉しそうな顔になったような……?
いや、気のせいか。
「んじゃ、いきますよー。殿下」
「はい、いつでもどうぞ」
「殿下、女だからって遠慮しないでくださいねー? こっちは慣れてるんで、多少の速球でも大丈夫ですから」
「……了解です」
殿下、ちょっと苦笑したみたいだ。
でも、最初に届いたボールはベル兄のときよりもだいぶ優しいスピードになっていた。……この人、ほんと優しいんだなあ。
「もーちょっと強くても大丈夫っすよー」
「……そうですか。では」
パシン。ピュッ。パシッ。
だんだんグラブにいい感触が伝わってくるようになって、俺は自然に頬がゆるんでくるのを感じた。
これだ。これだよ!
なんたって野球はチームでやるスポーツだ。相手がいなくて壁を相手にするしかない練習なんて、つまんねえ。いや、そういうことも大事なんだけどさ。
ピッチャーだって、輝けるのは素晴らしい相方、キャッチャーがいてこそだし。
皇子の球はまっすぐで濁りがなくて、あたたかくて気持ちが良かった。
球にもその人の人格が出る。……と、俺は思ってる。
なんか、俺もこの人の友達になれそうだなー。なれたらいいなー。
……なんて思った、その時だった。
「クリストフ殿下!」
邸のほうから鈴をふるみたいな高い声がして、いくつかの靴音が響いてきた。
アンジェリクだった。
数名の侍女とメイドを連れて、足早にこっちにやってくる。
アンジェリクは少し息をきらしながら、あっという間に殿下の隣に立った。殿下はグラブを下ろして、ちょっと──ほんのちょっと、つまんなそうな顔になったみたいだった。
(……あれれ?)
アンジェリクはそれに気づいてないようだ。頬を上気させて嬉しそうに殿下を見上げ……っていうか、これは「必殺・上目遣い」ってやつだな。自分が美少女だって自覚してる女だけがやる、男を落とすための必殺技。ま、これも姉貴の受け売りだけど。
それに、アンジェリクのドレスもアクセサリーも、普段の何十倍も気合のはいったものになっている。それは俺ごときの目にもはっきりわかるものだった。
(ん? ってことは──)
俺が首をかしげている間に、ふたりはあっさりと貴族らしいひと通りの挨拶をすませている。
「今日、こちらにいらっしゃるとお聞きしていましたけれど。こんなに早くおいでになるとは思っておりませんでした。こんな所においでになるとは思わなくて、ご挨拶が遅れてしまいましたわ。お許しくださいませ」
「いえ、どうかお気になさらず。ベルトランに、先にこちらへ案内するよう頼んだのは自分ですので」
クリストフはごく自然に見える笑顔を妹に見せて会釈している。
んー。アンジェリクの台詞にいちいちひっかかってもしょうがねえけど「こんな所」よばわりはねえんじゃね? ま、いっけど。
その一瞬、ちらっとこっちを見た目の冷ややかさには正直ぞっとしたけどな。なんかほとんど殺気みたいなのまで感じたぞ。
(あー……。なるほどー)
半眼になる俺。
ちょっといろいろわかっちゃったかもしんない。
ま、それもどうでもいいけど。
別に悔しくもなんともないもんね。ふつうに。
なんとなくだけど、クリストフ殿下の笑顔の種類が変わったのがわかったし。
さっきまでのこの人の笑顔は心からの気持ちが表れたものだったなと思うんだけど、いま殿下が浮かべているのは、なんとなく「仮面」っぽかった。男女を問わず、貴族の人々が身につけている「社交のための仮面」てやつだ。
それと同時に、殿下の心の扉っぽいもんが、ガシャーンて音をたてて閉まった気がした。「本日閉店!」みたいにな。それがなぜか、はっきりとわかったんだ。
(あー。アンジェリク、かわいそー)
殿下、たぶんお前の本性を知ってんぞ?
そんで、めちゃめちゃ嫌われてんぞー?
別に教えてやんねーけどさ。





