1 ついに《魂替えの儀》が始まります
そこからは忙しかった。……と言いたいとこだったけど、やっぱり俺自身に特別にやることなんてほとんどなかった。だもんで、基本的に通常運転。
つまり、依頼された医療施設に出向いて患者を治したり、地方へ出かけていって疫病の対策をやったりってことね。
俺の中身が入れ替わることは、ごく少数の人──要するに魔王とウルちゃんだけ──を除いて完全オフレコだったんで、魔族の国の中では別にお別れを言って回る相手もいないし。
ただ、ドットのことは心配だった。
俺がなんとなく寂しそうにしてることは、敏感なこの子はちゃあんと気づいていたみたいだ。でも、それを言葉で理解させるのは至難の業だった。あたり前だけどさ。
何度か「実はさ、ドット」って話をしてあげたんだけど、ドットは「きゅるるん?」って小首をかしげて──それがまためちゃめちゃ可愛いんだよ!──くるだけで、やっぱり理解はさせられなかった。
そうして遂に、その日がやってきた。
その朝、俺はしっかり沐浴させられ、最初にこっちに来た日と同じ騎士団の軍服姿になって、自室で呼ばれるのを待っていた。
やってきた魔王とウルちゃんは、魔族の王族としての正装をしていた。それぞれ、こっちでは最上級の色とされる黒や紫色をつかった貴族的な装束に黒いマント姿だ。
「では。用意はいいか、ケント」
魔王はどこかにピクニックにでも行くみたいな気軽さだった。対するウルちゃんはかなり緊張してるっぽい。
ウルちゃんからは個人的に「色々と本当にありがとう存じました」と言われ、お別れも済んでいる。できればこれから、魔王とウルちゃんには帝国のみんなとうまくやって行ってほしい。だから俺はそのこともウルちゃんに伝えておいた。
魔王がひょいと手を動かすと、部屋の中に緑色に光る魔法陣が出現した。《転移》の魔法陣だ。ドットを連れて魔王とウルちゃんとともにその真ん中に立つと、すぐに周囲の景色が変化した。
(あれは……北壁?)
そうだった。
幸い、晴れていて雪なんかは降ってないけど、ここはあの北壁だった。麓の砦や町なんかからは離れた、少しだけ開けた場所だ。周囲は殺風景で、雪の残った岩だなやらしょぼしょぼ生えた草に覆われた地面しかない。
そこに、魔族と帝国の魔導士の集団がほとんど勢ぞろいしていた。あっち側とこっち側、それぞれ数百名ずつはいるだろうか。
帝国側の中心には、魔塔の宗主、グウェナエル様の姿が見える。
そして。
(クリス……!)
宗主さまの隣には、青白い頬を緊張させた皇子、クリスが立っていた。その目はひたと俺を見ている。俺だけを。
知らないうちに、ドットを抱きしめる腕に力が入った。苦しそうにちょっと鳴いて、ドットが羽ばたき、舞い上がった。
「さあ、参るぞ」
魔王にうながされて、俺はみんなの中央に当たる場所に歩いていった。
それは、なんとなく昔の遺跡みたいな場所だった。円形になるように、周囲に大きな細長い石が立てられている。前に、写真で見たことがあるような気がする。確か、ええと……「ストーンサークル」とか言うんだっけか。
世界じゅうに色々な種類のがあるそうだけど、イギリスにあるやつは特に「ストーンヘンジ」なんて言われてるらしい。
そう、ちょうどあんな感じだった。
岩は人の身長の二倍ぐらいはあるでかいやつで、真ん中にくぼみが作られている。そこに、色んな色をした石が置かれていた。多分これが、今回の術式の触媒になるんだろうと見当をつける。
「さて。ではそろそろ始めよう。そちらの準備はよろしいか」
「いつでもどうぞ」
宗主さまが軽く会釈をして答える。
皇子が両手の拳を血がにじみそうなほど握りしめて、こっちをずっと睨むみたいに見つめている。
なにも言うことはできなかったけど、俺は必死に目で語り掛けた。
(元気でな、クリス)
(ヤケなんか起こすんじゃねえぞ)
(こっちでちゃんと皇帝になって、幸せになるんだぞ)
(帝国のこと、頼んだぞ)
と、ばたばたと翼の音をたてて、慌てたようにドットがこっちへ戻ってきた。
いつものように、俺の肩にとまろうとしたんだ。
だけど。
「ぴぎゃうっ!?」
魔王が人差し指を軽く動かしたと思ったら、ドットは空中で光る網みたいなものに絡めとられ、ボール状になって浮かんだきりになった。
「ドット……!」
ごめんな。お前にちゃんとわかるように話をしてあげられなくて。
でも、今までありがとう。ドットにはめちゃくちゃ世話になったよな。
お前なら、次にここに来るシルちゃんのこともきっと好きになれると思うよ。彼女ならきっと、お前のこと可愛がってくれるし。
シルちゃんのこと、よろしくな。
ちゃんとお前も幸せになるんだぞ。
「グギャアア! ガウルルルルルッ」
ドットは大騒ぎを始めて、急に体を巨大化させはじめた。前みたいに、ぐぐぐっと体じゅうの細胞が大きくなり始める。
でも、魔王の魔力のほうがはるかに勝った。
輝く網に押し込められて、ドットの体はある程度以上大きくなることができなかった。光る網は今にもはちきれそうに見えたけど、決してドットを自由にはしなかった。
「フギュウ……?」
そこでとうとう、ドットの目に理解の光が宿った……みたいに、見えた。
びっくりして、目を見開いて。
その名前の由来になった橄欖石の瞳が「信じられない」っていう思いをいっぱいに溢れさせて俺を見ている。それでもまだ「うそでしょ? うそだよね?」って訊いている。
「フギャアア! ウワアアアアン!」
ドットが大暴れして、泣き叫んでいる。
知らない人にはわかんないかも知れないけど、俺にはわかった。
離れたくない気持ちが溢れて、ドットがもう赤ん坊みたいに泣いてることが。
「ドット……!」
ああ。とうとうわかっちゃったな。
ごめん。
これでお別れなんだ。
ほんとにごめんな。
絶対にここでは泣くまいと思ってたのに、気が付いたら俺の両目からぼたぼたと涙がこぼれていた。
情けねえ。こんなん、だれにも見せたくなかったのによ。
必死でごしごし目元をぬぐうと、俺はドットに、それから皇子に、できるだけ明るい笑顔を作って手をふった。
「皇子、ドット。宗主さま。魔王さまも、ウルちゃんも。ほんとにありがと。……俺、行くな」
「ケントッ……!」
皇子の叫び声が聞こえたのが最後だった。
魔王がサッと手をあげたのを合図に、魔導士たちが術式を完成させるための呪文を唱え始めた。
ストーンサークルの足元が緑色に光り始めて、複雑な魔法陣が浮かび上がる。
それと同時に、ふわっと重力を感じなくなった。地面から足が浮き上がっている。長い髪が、わきあがった魔力の風で吹き上げられる。
──さよなら、異世界。
いろんなことがあったけど、俺、けっこう楽しかった。
お別れはほんとに寂しいけど。
でも、これはどうしようもないことだよな。
それから。
──さよなら……皇子。
一生懸命笑って見つめた先に、顔を歪めた皇子が見えた。
今まで見たこともないぐらいに歪んだ表情。
周りの兵たちが、今にもこっちへ走って来そうな皇子の体を必死に押しとどめている。
バイバイ、皇子。
みんな、バイバイ!





