ファンケルベルクの悪魔
「気合いはいってンなあ、お前ら」
「何者?」
漆黒の鎧に身を包んだ男が一人、門の前に姿を現した。
その男が並々ならぬ者であることは、戦いが生業ではないライザーにもすぐにわかった。
しかし、即座に戦闘態勢に入れない。
(――おかしい)
ここへきて、ようやく自らの違和感に気がついた。
通常、不審者が現われれば問答無用に警戒する。
だがこの男を前にしても、警戒するどころか歓迎してしまいそうになるのだ。
このような心の動きは、あまりに不自然だ。
「――魔法の類いかッ!?」
「やっと気づいたか。強力な催眠ってのは面白いが、これじゃァ殺る気が削がれるな。おいカラス、もう術を解いていいぜ」
「承知いたしましたぁ」
深い闇を思わせる声とともに、指を弾くパチンという音が響いた。
途端に頭がクリアになる。
己の意識が不自然にねじ曲げられた感覚に、吐き気がこみ上げる。
それは皆も同じだったようで、兵たちから動揺の声が上がる。
「うろたえるな皆の者、防御の陣を敷け!」
「「「はっ!」」」
即座に陣形が組まれる。
二百の兵が密集し、盾と槍を構えた。
兵は精強。装備は高級。
対物理攻撃においては、イングラム最強だとライザーは自負している。
そんな兵士を倒すには、それこそ街一つ落とせる魔物でもなければ不可能だ。
「残念だったな。これで貴様の攻撃は一切こちらに届かない」
「はあ、そうかい」
「しかし、貴様は何故貴族を襲っているのだ? 裏に何者がついているのか、洗いざらい吐いて貰うぞ」
ライザーの言葉を受けて、男が凶暴に笑った。
かなり威圧感のある笑い方だ。
それは一番離れているライザーですら、少しのけぞってしまうほどだった。
「ヤれるもンなら、ヤってみろよ。ま、お前には無理だろうけどな」
「なんだと?」
「俺一人しかいねぇってのに、攻撃陣じゃなく防御陣を敷いた時点で、テメェは負けてんだよ」
「平民風情が、いい気になるなよ。たとえどこへ逃げようとも、我々は貴様の一族郎党まとめて――」
「喋ってねぇで」
男がライザーの言葉を遮り、人差し指をクイっと動かした。
「かかってコいや」
「――皆の者、攻撃開始!」
兵士が一斉に男に襲いかかる。
これだけライザーを挑発したのだから、兵士の怒りも相当なはずだ。数秒の後には、首が掲げられているに違いない。
情報を抜き出せない可能性に頭を痛めるが、致し方あるまい。
情報は別の場所から手に入れれば良い。
そう考えながら、戦いの決着を待つ。
――しかし、
「む?」
十秒、二十秒立っても鬨の声が上がらない。
おかしい。
ライザーはやっと異変に気づき、目をこらして戦場の中心を見る。
そこには、槍を突き出した態勢で固まる兵士と、ポケットに手を突っ込んだままの姿勢でただ立っている男がいた。
男は、まだ無事だ。
そもそも槍が届いてすらいない。
攻撃は、している。
兵士たちは何度も槍を突き出しているが、男の前に見えない壁があるかのように、穂先が止まってしまうのだ。
「この国にャ公爵家にすら、対魔法装備の一つもねぇのか。話になンねぇな」
男が呆れたようにつぶやくと同時に、ボッ! と前列の兵士が爆ぜた。
一体、何が起ったのかわからず、ライザーも、兵士達も皆その場に立ち尽くす。
音に遅れて、僅かな熱気が頬を撫でた。
息が苦しくなるほどの、濃い血の臭い。
「ひぃっ!」
兵士の一人が小さな悲鳴を上げた。
怯えの声は周りに素早く伝播し、兵士全体をあっという間に飲み込んだ。
先ほど最高まで高まっていた士気が、一瞬にして地に落ちた。
「な、何をやっている! 攻撃を続けるのだ!!」
叱咤するが、もう遅い。
実戦不足の兵士たちに、ライザーの鼓舞を聞くだけの余裕はもうなかった。
「うわぁああああ!!」
一人が声を上げて、男に向かって槍を投げる。
訓練もへったくれもない、穂先が相手に向いてすらいない投擲だ。
なんの脅威にもならないそれを、男は軽く払いのけた。
その隙に、兵士が一人逃げ出す。
それを見た兵士が一人、また一人と同じように敵に背中を向けた。
「逃げるな、戦え!」
誰も立ち止まらない。
ライザーの言葉が、完全に耳に入っていない。
「今この場から逃げ出した者は、親子兄弟まで処刑だッ!!」
怒鳴り声を上げても、無駄だった。
蜘蛛の子を散らすように、一気に兵士たちが広場から敷地外へと脱出していくが、
「誰が逃げていいって言ったよ」
パチン。
男が指を弾くと同時に、拳大の炎が無数に出現した。
「あれは、魔法ッ!?」
それも、かなり凶悪な雰囲気を宿している。
どうやら先ほど前列の兵士を一瞬で蹴散らしたのは、この魔法のせいであったようだ。
「行け」
男が短くつぶやくと、炎が暗闇の中、残像を描きながら猛烈な速度で兵士達へと飛んで行く。
近くにいたものは即座に、遠くまで逃げていた兵士も遅れて、堅牢な装備ごと上半身がはじけ飛んだ。
そして動く者は男と、兵士を除くライザーのみとなった。
まるで悪魔の所業。
これほどの殺戮を尽くす必要が、一体どこにあるのか。
いくら戦争でも、ここまで人を殺さない。
「……まさか、悪魔なのか?」




