95「オロワーン・タンカ・ムニー」★キラー・ホエール
キラー・ホエールには名前が沢山ある。
ひとつ目は【ジンカーラ・ワンジ・クテー】
「一羽の鳥を仕留めた子」という意味で、爺さんがつけてくれた。
キラー・ホエールは目が良くて、狩りが上手かったから。
この名前はとっても大切で、心の中に大事にしまってある。
ふたつ目は【ジョン・ウェイド・タナ―】
名前の意味は知らない、たぶんない。
寄宿学校に入れられた時に勝手につけられた、”文明的”な名前だ。
この名前は大嫌いだ。
一秒でも早く忘れたい。
みっつ目は【オロワーン・タンカ・ムニー】
意味は――
◆ ◆ ◆
煙が喉を焼く。
逃げようともがくと、燃え盛る炎に手が焼かれる。
何も見えない瞳では、この炎を避けることができなかった。
(どうしてこんなことに――!)
従わせていた付き人とも離れてしまったらしい。
名前を叫んでも反応がないし、叫ぶたびに煙を吸い込んでむせてしまう。
ああ、この煙には覚えがある。
あの日、寄宿学校から抜け出した夜――
自分と仲間たちは、こっそりと蒸気機関車に忍び込んだ。
貨物列車に容赦なく吹き込む機関車の煙が喉を焼いて、それでもこの機関車にしがみつけば自由が手に入ると信じていた。
でも、現実はお伽噺のように上手くはいかない。
途中で運転手に存在がばれたので、自分たちは散り散りになって逃げだした。
その時にはもうほとんど目が見えなかった。
自分がどこにいるのかも、周りに何があるのかもわからない。
朝が来ても自分だけは暗闇から抜け出せない。
どうにか腰を下ろした場所がどこかもわからないまま、空腹と恐怖に怯えながら一人で過ごした。
極限状態にいた時は、爺さんの言葉を思い出して耐え忍んだ。
これはヴィジョンクエストだ。
自分が大人になる儀式なのだ、と――
空腹で頭が朦朧とする、寒さで体がかじかむ、恐怖に震える魂を無理矢理に鎮める。
一日目、幻聴が聞こえた。
二日目、立つ事が出来なくなった。
三日目、見えないはずの目に、ついにヴィジョンが見えた。
それはとてつもなく大きな湖だった。
数年後、いけ好かない白人のガキにそれが海だと教えてもらった。
どこまでも続く水の先で日が昇る。
つまり、あちらは東なのだ。
東の果てから爽やかな歌が聞こえる。
黒いシャチが悠々と泳ぎ、しぶきを上げて飛び上がる。
あまりにも美しかった。
ヴィジョンクエストを終えて現実に戻ったらもう見ることはない姿だと思うと、悲しくて涙が出た。
「自分に何を教えてくれるのですか」
思わずそう問いかける。
黒いシャチは問いに答えることはなく、ただ美しい声で歌う。
水面から跳ね、しぶきが舞う。
陽の光を浴びたしぶきが輝く度、何もない世界に色が広がっていく。
灰色の空は青に、黒い土は赤に、草原が広がり、透けるような水の先にひとりの人間がいた。
オロワーン・タンカ・ムニー――海の歌。
自分の人生は、その人を探す為にあるのだと理解した。
目が覚めると、案の定何も見えなくなってしまっていた。
だが同時に不思議な力も得ていた。
啓示で得た歌を歌うと、人々はみな自分の言うことを聞くようになった。
その力を使って人を集め、東を目指す。
まずはニューヨーク、そしてさらにその東、さらにさらにその東……いつか【あの人】と出会えることを信じて。
ネイティブアメリカンは本当の名を軽々しく呼ばせない。
その日から自分は「キラー・ホエール」と名乗り、「オロワーン・タンカ・ムニー」という神聖な名は誰にも秘密にすることにした。
◆ ◆ ◆
(それが、いまやアメリカの中央で焼き殺されている……)
どこで選択を間違ったのか。
自分は救世主と出会えるはずだった。
【ウヅマナキ】はその人ではなかったのか、宿命に抗って天に牙剥く方法を教えてくれたのではないのか。
【ダミアン】はその人ではなかったのか、奪われた大地を取り戻すヒーローではないのか。
「……キラー・ホエールは…………」
自分は、何者でもなかったというのか。
ただ人を騙して徒党を組んだだけ。
何も成せず、天に牙もむけず、大地を取り返すこともできず……
「馬鹿だ……」
ああ、なんてくだらない人生だろう。
膝を抱えて死を受け入れようとした時、遠くに音が聞こえた。
「山に屍 川に血流る――!」
それは女の歌声だった。
「これ何の歌だ!?」
「”こーらす” ”だけで” ”いいから”」
合間合間に、男たちの声がする。
「キラー・ホエール! 声が聞こえたら合図をしろ!!」
あいつらは、自分を助けに来たというのか。
「肥薩の天地――!」
その歌を聴いていると、見えないはずの世界に何かが見える。
知らない歌を、魂で知ることができた。
「秋にさびし――!!!」
自分は……キラー・ホエールは必死に声を張り上げた。
火の熱さも構わず、声のする方へ走っていく。
何かにぶつかるが、その痛みすらもう気にならない。
走り抜けた先に、ひとりの女性がいた。
「助けに来た!」
それは黒い髪に白い肌、精悍な顔をした美しい女性。
見えないはずの光が見える。
彼女のいる場所は光り輝いて、自分を照らしてくれている。
「自分は……オロワーン・タンカ・ムニー」
この人が自分の救世主なのだと、はっきりと理解した。
「私は海神織歌」
その声が聞こえた途端、すべてはまた暗闇に戻ってしまった。
すがるように握る手は子供のように小さく、先ほどまでの美しい女性の姿ではない。
(そうだ。織歌はウヅマナキに体を小さくされて……)
それでも彼女は敵の自分に手を差し伸べてくれた。
歌ってくれた。
差し出された手を握ると、大きな音を立てて屋敷が崩れる。
低い声の男――おそらくはシュヴァリエ――が歌うとあたりがひやりとして瓦礫が崩れる音が止まる。
おそらく奴の【歌】の力だろう。
自分は織歌に手を引かれながら、屋敷をどうにか抜け出した。
(ああ……自分は)
そして、自分の心を理解した。
(この人に会うために、生まれてきた)
キラー・ホエールは名前がいっぱいありますが、「キラー・ホエール」で覚えてください!
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