90「キャンプ」★エヴラード・G・バーラム
悪夢から逃れた僕たちは、ひたすらに車を走らせてインディアナから抜け出した。
インディアナ州の隣、オハイオ州。
州の境目にある少し大きめの街にたどり着くと、目覚めない勝を車に置いたまま、僕一人でホテルを訪ねた。
「こんばんは。ニューヨークまでの通話予約を頼みたいんだが」
「今からですと、お繋ぎできるのは翌朝になりますが」
「かまわない」
真夜中の突然の訪問にも、ホテルスタッフは嫌な顔ひとつせず接してくれる。
それはこのホテルの従業員への教育が行き届いていることと、ボクが安心できる人間という偏見からだろう。
「かしこまりました。ご宿泊はいかがされますか?」
正直なところ、泊まれるものなら泊まりたかった。
KKKに殴られ蹴られ、命がけで逃亡したばかりなのだ。
最高級の部屋をチェックして、暖かいシャワーを浴びて、ふかふかのベッドで眠りたい。
だが――
「ここはホワイトオンリーかい?」
「ええ、もちろんでございます」
その部屋に、僕の仲間は歓迎されないだろう。
「そうか。残念だよ」
悪気のないホテルスタッフに寂しい笑顔を送ると、僕はその場を後にした。
◇ ◇ ◇
「えぶ! かえってきた!」
高級ホテルを離れ、町はずれの農園に止めているキャデラックの元へ戻る。
待ち構えていた織歌が飛びついて歓迎してくれた。
彼女は6歳だというのに気丈なもので、エンゼルを失ったことに涙はしなかった。
だが大切な人が離れてしまうという恐怖があるためか、僕にしがみつく腕が震えている。
「はい、戻りましたよ」
「うん、おかえり……」
膝をついて小さな肩を抱きしめてやると少し安心したらしい。
鼻をすする音が聞こえる。
必死に恐怖と不安に耐えている様子が憐れで、そしてその姿を見ていると僕もエンゼルという友人を失ってしまった事を思い出して胸が痛くなった。
先ほどまでいた華やかなホテルと比べて、僕たちの今日の宿はひどいものだ。
天井に穴が開いたボロボロのキャデラックのまわりには、湿地帯の夜に無限にわいてくる羽虫がうようよしている。
灯りは焚火、ベッドは松の枝の上に敷いた毛布というありさまだ。
「ダミアンがけむりたいてる!」
「セージを焚いて虫よけにする。臭いのは我慢しな、WASPくん」
「文句なんてありませんよ。今はもう、ただ眠りたいです」
羽虫を避けるため、焚火の元ではダミアンが香草を燻していた。
湿ったスイートグラスを火に投げ入れると、白い煙が渦を巻き甘く、土の匂いのする煙が肌にまとわり、蚊の群れが離れていく。
彼は草をひと握り摘むと掌でこすり合わせ、立ちのぼる苦い香りが虫よけになると言って織歌の肌に塗りこめていた。
手際の良さに舌を巻きつつ、彼の隣に座る。
シュヴァリエは車内で勝の看病をしているとのことで、ここにはいなかった。
「首尾は?」
「電話は明日にならないと使えないです。ニューヨークのキラー・ホエールに【シンクゥテメトゥ】と伝える……でいいんですね?」
「ああ、それで十分だ」
「ホルムズ群へ向かうことも言わなくていいんですか? ここから先に電話なんてありませんよ」
「……あいつなら、それだけでわかる」
ダミアンはそれだけ言うと黙ってしまう、これ以上は詮索するなということなのだろう。
「わかりました」
ボスの偏屈など、普段なら気にもならない。
だが今は心のどこかに「仲間なのに」という言葉が引っ掛かる。
そんな不満を顔に出さないようにしながら、僕は手帳を開いて手紙を書いた。
【父さん、元気にしていますか。今回の出張は長引きそうです。預けている犬の世話をお願いします――】
それは家族に宛てたつまらない内容の手紙だった。
検閲される可能性があることを考えると深い内容は書けない。
命の危険がある旅の中、家族と繋がっている安心が欲しくて書いているだけだ。
「おえかき?」
そんなことをしていると、織歌が覗き込んできた。
膝を立てて座っている僕の足の間に入り込むと、彼女には読めない崩した英字を不思議そうに眺めている。
「お手紙ですよ。家族に無事を伝えたくて」
「かぞく? おかあさん?」
「お父さんと、お母さんですね。あと、二人に預けている犬たち」
「いぬ!」
織歌は犬の話に食いついた。
目を輝かせて、矢継ぎ早にいろいろと問いただしてくる。
「なまえは!?」
「アスターとマリーです。ゴールデンレトリバーですよ」
「かむ?」
「噛みません。しっかり躾けています」
楽しそうに話していると、エンゼル神父を失った寂しさが少し紛れているようで安心する。
今は犬を父に預けていることから、話は家族のことへと流れる。
織歌は言葉を溜めると、真剣な眼差しで僕を見て言った。
「えぶ、けっこんして」
この子供は――!
僕が弁護士でなければ変な声を出してしまうところだった。
男の意地で平静を取り繕い、さらりとプロポーズをいなす。
「はは。結婚はエンゼル神父としたじゃないですか」
「おい、俺は聞いてねえぞ」
「子供の遊びですよ。サー・ヘイダル」
案の定、ダミアンが嫉妬して文句をつけてきた。
この男は、さっきまではこれ以上話したくないと言わんばかりに無視を決め込んでいたくせに……
「だみあんもけっこんするの」
「おう」
「きしさまも、おとうさんも!」
「お父さんとは結婚できませんよ」
「するの!」
織歌は私の膝の間で焚火の炎を眺めながら、ぽつぽつと語りだす。
「しんぷさま、いないのさみしい。おかあさんも、いなくてさみしい。でも、こわくないの」
「どうしてそう思うんです?」
「かぞくだから。ずっといっしょ……はなれても。ぜったいそうだから」
だから、そう言って織歌は僕の手をぎゅっと握りしめた。
「えぶもかぞくになって。そしたら、ずっとつながってる」
子供のプロポーズをまともに受けるような未熟な人間じゃない。
だが、この子の「側にいてほしい」という願いを断るほど義理人情のない人間でもない。
この子は僕を必要と言い、魂から求めてくれている。
そんなことを言ってくれる人が、この先現れるだろうか。
「……あなたが大人になったら、考えますよ」
「すぐになる!」
「楽しみにしてますよ」
額に小さなキスをして、この話は打ち切った。
夜も更け、膝の間に座る織歌から小さな寝息が聞こえてくる。
ダミアンは織歌を回収すると、松の枝の上に引いた毛布という簡易ベッドに寝かしつける。
焚火の乏しい明かりで僕は手紙の続きを書いた。
【父さん、母さん。紹介したい人がいます。無事の帰還を祈っていてください】
そう綴って、僕も眠りにつくことにした。
エヴラードルートにはまだいけてません。扉は開きました。
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