85「だから言ったのに」★エヴラード・G・バーラム
小さな羽が空を舞う鈍い音がする。
――蜂だ
織歌の呼びかけに応じて、やり方もわからぬまま念を込めた。
ただ神父とこの子を助けたいと、それだけを願って出てきた存在。
折神と呼ばれる、人の心の結晶。
僕の心を写したその姿は、スズメバチの大群だった。
「お、おおー。いっぱいだ」
織歌の戸惑うような声が聞こえる。
どうやら彼女がシャチを操るように、本来は1人1体が主流らしい。
確かに数は力とは言え、唸るような羽音を立てるスズメバチが群れを成す姿は圧巻を超えて悍ましさもある。
「白人プロテスタントだけにスズメバチってことですか……」
つまらない冗談はさておき、これをどう扱えばいいのか。
出すだけ出したものの所在なさげに浮いている蜂の大群と共に織歌を見ると、「うわっ」と怯えながらも答えてくれた。
「おりがみ、つかえないひとにはみえない! こうしたいって、おもったことが、できるようになる!」
とりあえず蜂の針を使って麻縄の拘束を解く。
どうやらナイフくらいの威力はあるようだ。
「おい、拘束解けてるぞ!?」
「動くな! 本当にガキを殺すぞ!」
拘束を解いた僕たちに気づいたKKKが騒ぎ始める。
大多数はこれから処刑される神父に注目しているが、これ以上騒がれてはまずい。
「やれ! WASP!」
もうヤケクソになって、スズメバチに男たちを指さして見せる。
さて、何ができるのか。
(頼むから誰も殺さないでくれ、だがKKKを無効化して僕たちを逃がしてくれ――!)
矛盾した我儘な願い……だが、僕の心を形どったスズメバチはそれに応えてくれた。
「なんだ、うるせえな……」
ゴゥウ―― と、ホバリングするスズメバチの羽音がKKKを襲う。
それは男から距離のある僕には小さな音にしか聞こえないが、蜂に囲まれたKKKには不愉快を通り過ぎた音量らしい。
「な……なんだ……おい!」
「どうした!? おい、何も聞こえないぞ!」
「耳が、耳が……!!」
ぎゃあ、と情けない声を上げてKKK達がその場にしゃがみ込む。
耳をふさいで爆音から逃れようとするが、魂に共鳴するその音から逃れることはできない。
爆音による聴覚以上で平衡感覚を失った男たちはまともに立つ事も出来なくなっていた。
「えぶのハチ、うるさいだけじゃない!」
「聴覚妨害。戦争でも使用されてますよ」
この隙に僕は織歌を担いでエンゼル神父の元へ向かう。
スズメバチたちは僕に似て頭が良く、いちいち指示せずとも次の標的を見定めて無効化してくれていた。
◇ ◇ ◇
時を同じくして、エンゼルの処刑は着々と執行されていた。
「吊るせ! 木に成る果実にしてやれ!」
首に縄を駆けられ、木の枝に吊るされる。
神父殺しという背徳に狂騒はここに極まり、KKKの騒ぎなど知らないファーマーズマーケットの花火がその声をかき消す。
遠くで咲く花火を背に、エンゼルはぶらりと木に吊らされている。
「……ぐっ……ぐあっ……」
だが、常人ならすぐに死に至るこの処刑に、エンゼルの半魔という強靭な体はある程度持ちこたえてしまう。
体重で頸椎が潰れることはなく、息ができない苦しみだけが長々と続く。
もがき苦しむ様子にKKKは”異常に”熱狂し、木の下では新郎と新婦になるはずだった若い男女が己の罪に震えて泣いていた。
「苦しいよね? お前は普通に死ねないから。だから大人しく父の言うことを聞いていればよかったのに」
そんな中、冷たい水のような声がエンゼルの耳に届く。
声の主は覆面を取り素顔を見せるが、エンゼルの知る顔ではない。
だが、それでもエンゼルは彼を知っていた。
「う、づまなき……」
それは、エンゼルの父であり海魔の王であるウヅマナキが新たに得た人皮だった。
知らぬ他人の顔で、しかし慈愛に満ちた父親のように微笑むその姿に、エンゼルは怖気立つ。
「お前にはスパイを命じていたのに、どうしてみんなから離れて死んでいるの?」
「だ……まれ……」
「難しいことは頼んでいないはずだけどなあ。いつも通りみんなと家族ごっこしていればよかったのに」
「これは……おまえの……」
「ボクの罠だって? そんなまさか。僕は”神父がいる”としか伝えてないよ」
なかなか死に至れず苦しむエンゼルを案じることなく、ウヅマナキは楽しそうに話し続ける。
「そしたらこの大熱狂! そしてまともに対抗できない君たち……ボクは学んだよ。社会に生きる君たちを揺さぶるのに必要なのは、雑魚海魔による暴力なんかじゃなかったね」
ウヅマナキはくすりと笑って、あたりを見回す。
神父の死に熱狂する人々、己の罪にむせび泣く男女、遠くでは悲鳴のような声が聞こえる。
「必要なのは人間だ。信念なんて言葉ひとつで殺し合い、憎しみ合い、愛し合う……それがキミたちを邪魔するのに一番適した方法だった」
「だまれ……!」
「だからアンヘル。お前はもういいよ」
ウヅマナキはそう言うと、ハグを求めるかのようにエンゼルに向かって手を広げる。
「父の元に帰っておいで」
ウヅマナキの言葉は、首を絞める縄よりもエンゼルを苦しめた。
「半魔のお前に居場所はないんだよ」
◇ ◇ ◇
「エンゼル神父!」
折神というのは便利なもので、スズメバチの大群が音でKKKをいなしつつ、一匹が道を示してくれる。
先導するスズメバチの先に、木に吊るされた男がいた。
「えぶ、しんぷさまが!!」
小さな織歌にも状況がわかってしまうのだろう、悲痛な叫びに心が痛む。
「すぐに助け――」
「お前ら何してる!」
「見張り役はどうした!?」
スズメバチでエンゼル神父の縄を切ろうとするが、KKKはいつまでも沸き続ける。
妨害しようとする彼らを音で封じている間にも、エンゼル神父の首は締まり続けている。
「くそっ、KKKが多い……」
エンゼル神父は強靭な肉体を持つが、それでも無事でいられるとは思えない。
焦る心が動揺となり、スズメバチの動きが鈍る。
早く助けなければいけないのに――!
「レディ!!」
「たすける! たすける! たすける!!!」
僕は織歌に助けを求めた。
腕の中の織歌はとめどない暴力と怨嗟に怯えつつも、はっきりとした声で答えてくれる。
パシャン、とここには無いはずの水音が聞こえたかと思うと、宙に小柄なシャチが浮かび上がる。
本来はもっと大きいと聞いていたが、小さな彼女が呼び出せるのは小さなシャチということなのだろう。
水をまとった海のギャングはエンゼル神父を吊るす縄に喰らいつき、どさっと音を立ててエンゼル神父は地面に落ちた。
「はは、できるじゃないですか」
「できた……わたし、たたかった!!」
暴力の恐怖を乗り越えた。
思わず力強く織歌を抱きしめると、織歌もまた小さな体でぎゅうと抱きしめ返してくれる。
「ゲホッ……お、織歌さん、エヴラードさん!」
「エンゼル神父!」
「しんぷさま!」
エンゼル神父も無事なようだ。
むせこんではいるが強靭な肉体はすでに回復の兆しを見せており、よたよたと歩き出そうとしている。
感動の再会だ。
僕は織歌を腕から降ろすと、ふたりで彼の元へ走っていった。
さあ、早く逃げよう。
そう言いたかった。
「えっ」
ぱしゃっ、と再びの水音がする。
だがそれは水ではなく、饐えた臭いのする――
「――ガソリン?」
僕が思わずそう呟くのと同時に、新郎新婦になるはずのカップルがガソリンに濡れたまま叫んだ。
「お許しください……神よ!!!」
「馬鹿、なにを――!?」
ゴウウ!! と音を立てて燃え上がる炎が、僕の声をかき消す。
カップルは自らとエンゼル神父にガソリンを被せ、そのまま焼身自殺を図り――燃えた。
「だから言ったのに」
どこか遠くで、誰かの冷たい声が聞こえた。
エンゼルは強靭な狂人ですが燃やされたらさすがにまずいです。
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