64「エンゼルとダミアン」★エンゼル・A
"Books are the legacy that genius leaves to mankind."
(書物は天才が人類に残した遺産である)
シカゴ中央図書館。
灰白色の石で作られた荘厳な建物には、知を尊ぶ銘文が刻まれている。
図書館の敷地外で、ひとりの男がサンドイッチを食していた。
高い長身は群衆の中でもとびきりに目立つ。
白銀の髪は太陽の光を浴びて輝き、影のかかった深い青い目には吸い込まれるような魅力がある。
通りすがる人々が思わず目を奪われるような、美しい男だった。
「おい、ここで寝てんじゃねえ!」
だが、彼が楽しむ初夏の穏やかな時間は、学生の喚き声によって遮られる。
声の先では、浮浪者の男が学生服の男たちに囲まれていた。
「消えろ! きたねえな!」
日差しから隠れるように建物の影に座っていただけの男を、皺ひとつない綺麗な学生服を着た男たちが集団で囲み、罵り、蹴りつけている。
「…………」
浮浪者は声を上げず無抵抗で、しかし言われたとおりにその場から動くこともなく、ただ暴力に耐えていた。
人々はそんな光景に眉を顰めるが、止めることもない。
日常に溶け込んだ暴力の元へ、男は静かに歩いていく。
「よしなさい」
「なんだアンタ――」
暴力に興奮していた学生たちは、突如現れた男を威嚇しようとする。
だが、自分よりもはるかに背の高い男の静かな威圧感を見て押し黙る。
「自分よりも格上だ」そんな原始的な、獣じみた直感が彼らの頭を冷静にさせた。
「……行こうぜ」
「くそっ、偽善者が」
小悪党のような捨て台詞を吐いた後、学生たちはそそくさと退散する。
あまりにも痛快なワンシーン。
それまで傍観者に徹していた周囲の人間は、まるで物語のヒーローであるかのように、男に拍手を送った。
「これでも食べなさい」
男は浮浪者に食べ差しのパンを施す。
ここに来てやっと、うつむいているだけの浮浪者が顔を上げた。
赤褐色の肌に、黒い瞳。
帽子で隠されているはずの髪は暴行によって乱れ、赤い髪が目元にかかっていた。
「目立つなって言ってんだろ、シュヴァリエ」
「……あなたに言われたくない」
誰にも聞こえないほどの小さな声でふたりは言葉を交わす。
浮浪者――ダミアンは、施されたパンを抱えると、静かにその場を去っていった。
◇ ◇ ◇
「――という形で、シュヴァリエからもらった情報がある」
「もっと怒ってくださいよ!」
シカゴ中央図書館から少し離れた場所にある裏路地。
華やかな表通りとは一変して、薄暗く、小汚い場所。
そんな場所で、ダミアンは起きたトラブルをこともなげに伝えてくれた。
理不尽な暴力をふるう者に、止めない周囲の人間に、それを当然と受け入れている目の前のダミアンにさえ、私は脳が沸騰しそうなほどの怒りを感じる。
「私がその学生に説教してきます!」
「目立つなつってんだろ、馬鹿」
だが、肝心のダミアンはまったく気にしていないようだった。
浮浪者に扮する為に着ている汚れた服はさらにぼろぼろになり、蹴り飛ばされた顔には小さな傷がついている。
そんな状況も気にすることなく、彼はミシェル(シュヴァリエ)からもらったパンに指を突っ込んでいた。
「行儀が悪いですよ」
「……あのなあ、俺が腹減ってパンほじくってると思ってんのか」
思わず苦言を呈すると、ダミアンは大きなため息をつきながら、パンの中に隠されていた紙を取り出す。
「シュヴァリエからメッセージだ。D病院に乗り込むぞ」
***
「エヴの弁護士の伝手で病院に探りを入れさせたら、軍の関係者としてアジア人の子供が入院してることがわかった」
「アジア人の子供で、軍関係……織歌さんしかいないですね」
「俺たちのどっちかも入院して織歌の安全を確保する。残った方は逃走ルートを探す」
「なるほど……」
織歌の話をするとき、ダミアンはすこし早口になる。
本当は今すぐにでも会いに行きたいのに、逸る気持ちを必死で抑え込もうとしているようで……
(できれば、このまま彼を行かせてあげたいが……)
「入院は、俺が――」
「だ、だめです……!!」
それを、私は止めないといけない立場だった。
「入院してしまえばすべて闇の中……簡単に殺されてしまいます!」
「それでもどっちかが行くしかねえだろ。アンタがビビってんなら、なおさら俺が行く」
「あなたの方が危ないんです!」
私の言葉に、ダミアンは”何か”に気づいたようだった。
薄い笑いを浮かべて「ああ。インディアンの方が殺されやすいか」と自嘲した。
「……いえ、そんなつもりはなくて」
「謝るな、アンタの判断は正しい。悪いな、俺もちょっと焦ってた」
まただ。
胸の奥がざわざわする。
この作戦が始まってから、ダミアンはよく笑い、よく謝るようになった。
マフィアのボスの身分を隠すために一般人の演技をしていると言えばそれまでかもしれない。
(でも、”帝王”のこんな姿……見たくはなかった)
かつて奪われた土地を奪い返したネイティブの帝王。
彼はまるで物語の悪役のような、畏怖と憎悪と尊敬を集める存在だった。
私も親友のミシェルを奪われたと、愚かにも彼を憎んだこともあった。
(でも今は……まるで抑圧された子供の様だ)
もめ事を避けるために己の感情を封じて、怒る気持ちすら捨てて、たったひとりの存在に全ての救いを求めている。
もし織歌を失ってしまったら、彼もそのまま壊れてしまいそうな危うさがあった。
「あの……祈ってもいいですか……?」
「なんだ、ビビってんのか?」
「そういうことでいいですから」
私はその場に膝をつくと、胸の前で手を組んで祈りを捧げる。
「主よ、ここに集う者たちをお守りください。無垢な子に、戦う者に、立ち向かう者すべてに、あなたの加護を。
我らに力を、迷う心に光を――アーメン」
「……アーメン」
少しの間をおいて、ダミアンも祈ってくれた。
まさか彼が答えてくれるとは思わなかったので、思わず目を輝かせて彼の顔を覗き込む。
「……うるせえな。終わったんならアンタの入院手続するぞ」
「はい!」
ダミアンは照れくさそうにそっぽを向くと、裏路地から表通りに向かう。
表通りは活気にあふれていて、人々の話声や車の音に満ちている。
「あの精神病院は厄介者の収容所も兼ねてる。その辺で暴れて、とっ掴まってこい」
「そんな滅茶苦茶な!」
入院なんてどうやってするんだろうと思っていたが、単純なパワープレイでどうにかする気だったらしい。
「なら俺がやるけど?」
「わ、わかりました……私も演技ぐらいできます……」
突然の無茶振りに動揺していると、ダミアンが意地悪く笑う。
彼を引き留めた手前、私は私の力で入院するしかない。
(通りの真ん中にで気が狂ったふりをして叫ぼう。恥ずかしいけど、織歌さんのためなら……)
緊張にぎゅっと目を瞑りながら、私は意を決して通りに向かって歩みを進めた――
「馬鹿! あぶねえ!!!」
――キィイイ!
瞬間、私の体は車にぶつかって宙に吹き飛んだ。
運転手が全力で踏み抜いたブレーキのおかげで、大した衝撃ではない。
半魔である私の体は一般人よりも丈夫なので、「いてて」という程度の反応で済んでいる。
どこか折れているような気がするが、数時間で治るだろう。
だが、私にぶつかった車はそうはいかなかった。
緊急停止をしたせいで、その後続の車が玉突き事故を起こしている。
幸い私以外にけが人はいないようだが、突然の大事故にあたりは騒然としている。
遠くから警察官が走ってきているのが見えるので、このまま彼らに捕まえてもらおう。
(うまく行きましたよ、ダミアンさん)
どうにか成功しそうだ……
安堵の息を漏らしていると、遠くからダミアンの叫び声が聞こえてくる。
「祈りが効いてねえ!」
ダミアンとエンゼル、意外と仲がいい二人です。
次回、エンゼル入院体験記!
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