114「夢」★海神織歌
それは濃い霧の中で見た夢だった。
「おるか!」
私を呼ぶ懐かしい声がする。幼いころから何度も何度も、うんざりするほど聞いてきて、とてもなじみのある暖かい声。
「すいこ!」
振り向いた先にいたのは着物姿の少年。赤銅色の髪の毛に、真っ白な肌。夕焼けのような瞳には、昼の高い日差しの名残の様にうっすらと水色が差し込んでいる。身体は大きいが顔つきが幼く、舌っ足らずな声でしゃべる、”まだ6歳”の水虎だった。
それが夢であることはすぐに分かった。なぜなら私の知る水虎はとうに成人していて、背丈はどんな大人よりも大きくなっていたからだ。だが、私を姉の様に慕うその姿は相変わらず、昔のまま。
「なんでお前も小さくなってるんだ!」
「しらん! なんかなっとった!」
そう言って水虎はからからと笑う。昔と変わらない無邪気な笑顔にほっと心がほぐれる感覚がする。
水虎に厳しく当たってしまうが、私は水虎といる時間が大好きだった。水虎といると、昔の無垢な頃に戻れる気がするから。
「そいつらはなんじゃ! あたらしい、てしたか?」
水虎は私の後方を指さして、不思議そうに尋ねてくる。そいつら? 私たち以外にもここには誰かいるのだろうか。
驚いて振り返ると、そこには絵画の中でしか見たことのないような”美少年”がいた。白銀の髪に藍色の大きな瞳。
「わたしは、オルカの婚約者だ」
振り返った先にいたのは、6歳のシュヴァリエだと直感で分かった。いつも低く響く声とは違い、子供特有の高い声。だが、堂々と振舞い、ゆったりとした口ぶりから、何者にも負けない完ぺきな存在だという自負を感じさせる。
「なんじゃあ?」
水虎がつまらなそうな顔をしてむくれる。私が理由を答える前に、金髪の少年と赤い髪の少年が答えた。
「僕たちも婚約者ですよ。ね? シンクゥ」
「……うん」
そこにいたのは幼いエヴラード先生と、シンクゥと本名で呼ばれているダミアンだった。エヴラード先生は子供のころから相変わらずの利発そうな顔つきではきはきと喋る。だが、ダミアンはその後ろに隠れるようにしてもじもじと地面を見ていた。
「赤いの! はっきりいったらどうじゃ!」
「こら、すいこ――」
「けんか、してんじゃねーですよ!」
「……」
また私が何か言う前に、誰かの声がする。だんだんわかってきたぞ。この夢の世界では、私の婚約者たちが6歳児の姿になって現れるんだ。
案の定、振り返った先には黒髪の少年と枯草色の髪の少年がいた。枯草色の髪の少年――キラー・ホエールはこのころはまだ目が見えていたのだろう。色素の薄い淡い瞳には瞳孔が輝いていて、はっきりとした目線を私にくれていた。
隣でぼんやりしているのがおそらくはお父さん。彼は一言もしゃべることなく、ぼんやりと空を見て、こちらには目もくれなかった。
「みんな……」
「かわいい!!!(どうしたんだ!?)」
私が大声を上げる前に、ひときわ大きな声がそれをさえぎる。おかしいな、エンゼル神父以外の婚約者はここにそろっているはずなのに。そう思ってまた声のするほうを見ると、金色の瞳の少年が心臓を抑えて感激していた。
「いろは……かっか?」
「はっ!? あ、としたことが!」
多分一六八閣下だろう、そう思って声をかけると正解だった。本音と建前、心がふたつある彼は自分の口から飛び出た本能に驚いている。
(……これで全員、か。エンゼル神父がいないなあ)
少し黙って待ってみたが、それ以上の人は現れなかった。私の夢だというのに、肝心のエンゼル神父がいないのはとても寂しい。
「まさるどの! あ、とあそぼう!」
「……」
「日本人だ! エヴともあそんでください!」
「あかいの! なんでかくれる!?」
「や、やだ……。こないで」
「こら! レッド・ボーンからはなれやがれ!」
「オルカ、オルカ。いっしょにいよう」
だが、幼い婚約者は感傷に浸らせてはくれなかった。
みんな好き勝手に騒いで、遊んで、まとまりなどどこにもない。私の夢の中とはいえ、なんでこんな状況になって、どうやったら元に戻れるのか誰も考えていない。
「エンゼル神父がいてくれたら……」
彼がいたら、まとめ役として機能したかもしれない。そうでなくても、目の前でずっこけたらみんな心配して心が一つになったかも。
今はいない彼を思うと、幼い体は勝手に涙を流す。はらはらと泣いていると、私の夢は思い通りに彼を出現させてくれた。
「みなさん」
透き通るような清い男性の声がする。振り向くとエンゼル神父がいた。だが、こんな状況で、彼だけは大人の姿のままだった。
「いい子ですね。選別を始めましょう」
嫌な予感がするよりも早く、あたりは暗闇に包まれる。
光の柱が沸き立ち、そこに触れれば死んでしまうということが本能で分かった。
「エンゼル神父!」
こんなことはやめて。私は大きな声で彼に助けを求めるが、エンゼル神父は聞く耳を持ってくれない。
「こんな平等な世界を、私は作りたいんです」
そう、悲しそうにつぶやく彼の瞳からは、静かに涙がこぼれていた。




