113「サバイバル」★海神織歌
空気が薄い。
降り立った場所はどこかの森のようだった。湿った夜風が森の奥から吹き抜け、木々のざわめきはまるで海鳴りのよう。濃い霧で回りは何も見えず、ホウホウとフクロウの鳴く声が遠くから聞こえる。
「ここは……山か?」
「アパラチア山脈、かもです」
キラーがぽつりとつぶやく。目の見えない彼には周りの光景などわからないだろうに、くんくんと鼻を使い、地面の土を触って状況を把握しているようだ。なんて頼もしいのだろう。小さな背中――6歳の体の私からすれば十分大きいが――を撫でながら礼を言うと、かわいい少年は褐色の肌を赤らめて恥じらった。
「君たちを追いかけるにあたり……中継地点として利用した。急な転移だったので街から座標がずれたな」
「ああ。そういえばピッツバーグの近くにきてたのう。――ん、酒は……?」
水虎の腕の中で一六八閣下が荒く息をしている。私を乙女からかばった傷は深く、血の匂いが霧に交じって漂っている。水虎はといえば、あたりをきょろきょろしながら酒瓶を探しているが、ともに転移してこれなかったことを知るととたんに子供のように慌てふためていている。
状況は最悪だった。
私は6歳児の姿、一六八閣下は大けがを負い、水虎は酒を持ってこれず、キラーは目が見えない。
この状況で、まず私がすべきことは決まっていた。
「一六八閣下……この度の大失態、大変申し訳ございません……」
土下座だ。
なあなあになってしまっていたが、私は任務で大失態を犯していた。一六八閣下はその後始末に来てくれたのだろう。ここは部下として、誠心誠意謝らねば。
「いや、私のほうこそ娘が申し訳ない」
しかし、一六八閣下にも思うところがあるようで、痛むわき腹を抑えたまま土下座で返してきた。
「おるかあ~。酒がない~~」
ちなみに水虎は酒がなくて地面に付して駄々をこねているだけだ。
「申し訳ございませんー!!!」
「申し訳ない!」
「おるかあ~」
「大変じゃねーですか」
各々好き勝手に土下座をする私たちを見て、いや、感じて、キラーが困惑しているのがわかる。「キラーが、しっかりしないと……!」というつぶやきが聞こえてきたので、どうやら彼の中でまともなのは彼一人になってしまったようだ。
「織歌サマ。今は夜ですか?」
「あ、ああ。夜だな。あたりには何もない、民家もない。明かりがないからよくわからないが……」
「まずは山の中腹に行きやがりましょう。風下にいるとそのジジイの血の匂いで獣が来やがります」
「あはは、大将。爺じゃって!」
「こら、水虎!」
無礼な水虎を一発殴って黙らせる。まったく痛くないようで、「小さいのう、小さいのう」と抱っこされて終わったが。
「……きみは、そうか。ネイティブアメリカンか。この辺りには詳しいのか?」
「そーですよ。てめーがどれだけえらいかは知らねーですけど。ここではキラーの言うことを聞きやがれ」
「わかった。うちの新兵どもは野外演習の知識が乏しい。君の采配に任せよう」
水虎にもまれている間にキラーと一六八閣下の間の話はついたらしい。土地勘のあるキラーの指導の下、私たちはアパラチア山脈のどこかで夜を明かすことになった。
「ジジイは織歌サマが見ていてください。デカブツは乾いた枝をあたりにまいて、獣が来た時に音で分かるようにしやがれ」
「チビすけ~。酒は造れんのかあ」
「おめーは酒のことしか頭にねーのか!」
キラーの知識は大したものだった。水虎がどこまでも動ける体力の化け物ということを抜きにしても、大きな枝と木の皮と葉で簡易テントを作り、石を打って火花を起こし、草の煙で獣除けをする。これらすべて、彼の一族が彼に伝えてきた技なのだろう。
「ジジイ、中で休みやがれ。織歌サマも、中にどうぞ。背中同士を合わせるとあったけーです」
「ジジイとガキはさっさと寝るんじゃ」
そして、私と一六八閣下は完全にお荷物だった。きびきびと指示を出すキラーと、体力仕事が得意な水虎に促されるまま、情けない気持ちでテントに入った。
「傷薬はないのですが水があります。一六八閣下、お飲みください」
「二人きりの時くらい、昔の呼び方でいいんだぞ」
「いや! 私も大人ですし! なにより軍人ですから!」
背中合わせの一六八閣下の背は、相変わらず大きい。思えば一六八閣下とは長い付き合いだ。20年前に私の命を救うために死んだ父の代わりに私を母のもとへ届けてくれ、その後は盆のたびに会いに来てくれた。
「……大人になった姿をお見せしたかったのに、こんなありさまで情けないです」
「状況については後々聞こう。今は休みなさい」
一六八閣下の息が少し荒くなる。傷が痛むのだろう。だが一言も弱音を漏らさない彼の矜持が理解できるので、私から心配を口にすることははばかられた。
少しの間無言の時間が流れる。幼い体は疲労でうとうとと眠りに沈もうとしているので、大人の精神で必死にあらがう。
「彼は、隊員か?」
一六八閣下もまだ寝ていなかったのだろう。後ろから静かに声をかけられた。
彼、キラー・ホエールのことだろう。そうだ、私は一六八閣下に伝えなければならないことがたくさんあった。
「隊員でもありますが……」
ベイブリッジの罠にはまったこと、ウヅマナキに体を変えられてしまったこと、それだけではない。
「私の大切な婚約者です」
愛する人が、たくさんできたこと。
父親代わりだった彼に、伝えたいことは山ほどある。私たちはアパラチアの濃い霧の中で、互いの状況を報告しあった。
バラバラになった一行。織歌組です
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