109「スチェンカ! 日本軍人編」★姫宮一六八
「来い、勝殿型海魔。貴様はこの姫宮一六八が祓ってやる」
亜米利加の喧騒に吾の声は吸われていく。
海神勝――かつての友人の形をした海魔は驚いたような顔をした後、覚悟を決めて拳を握る。
「一六八」
彼の口で名を呼ばれると体から緊張の糸がほどけてしまう。
懐かしい友人、尊敬していた人、死んでしまった人。
再会の喜びを顔に出さぬよう、ぐっと体に力を込めて拳を握る。
彼が死んでから20年が経った。
彼の遺児は立派に育ち、吾は年を取り親となり、夢にさえ見ることのなかった海の果ての大陸に吾達はいる。
それでも、彼は変わらない。
呆けたような間抜け顔、仲間を見守る慈愛に満ちた顔、覚悟を決めた精悍な顔。
何から何まで、吾が知っていた頃のあの人のまま。
「知り合いなんです?」
先ほどまで熱戦を繰り広げていたセレストが、地面に腰を下ろしながら訊ねてくる。
日本では許されない無礼さだが、ここは異国。
それも子供だ。礼儀に期待するのも無駄だろう。
吾は20年前の対馬の景色を思い起こしながら、かつての日々を回想した。
「海神勝との出会いは20数年前――」
しかし、吾は忘れていた。
ドガッ!
「がっ――!!」
――目の前の海神勝こそ、最も無礼で躾のなっていない狂犬だったことを。
かつての日々に思いを馳せ、暖かい言葉で海神勝との友情を伝えようとした顔面に鋭い鞭のような拳が繰り出される。
容赦なく顎を狙われたせいで視界が揺らぎ、脳が揺れる。
だが、吾は倒れなかった。
「吾が話しておるだろうが!!!」
「”勝負” ”中” ”よ”」
怒りは吾を強くしてくれる。
こんな無礼な男に瞬殺されたなど、矜持が許さない。
ふらつく頭ごと自分を叱咤するためバチンと頬を叩き、一呼吸置けば視界は安定する。
「大将やるのう! くたばったかと思ったぞ!」
「やかましい!」
隣で水虎の無礼な声援が響く。
小僧になめた口を利かれた怒りで、吾の拳に力がこもる。
「我々は! 20年前の海魔大戦で出会った!」
そう言いながら勝殿に向けて拳を放つ。
20年前の体のままの勝殿と、20年の歳を取った吾、体力差は歴然だ。
だが負けるつもりは毛頭なかった。
彼を失った時から、吾は己を鍛え続けているのだから。
「ただの極道だと思っていた! 無口で無礼な粗忽者だと……!」
「琅玕隊対馬班の隊長を務める犬養一六八だ!」――若い頃の吾は希望に満ちていた。
はきはきと挨拶をするも、誰もまともに返答をしない。
徴兵組などこんなものか、と軽蔑の眼差しを送ると、忌々しい舌打ちが聞こえてきた。
そんなサル山の猿どもの奥に悠然と佇んでいたのが海神勝だった。
奴だけは膝を折り「よろしくおねがいしやす」と極道然とした挨拶をして吾を迎え入れてくれた。
「だが部下に嵌められ、殺されかけた吾を救ってくれた!」
「駄目じゃないですか、隊長。部下だからと油断しては――」耳にまとわりつく悍ましい男どもの声。
終わりのない海魔との戦いに徴収された兵たちの怒りは頂点に達し、逃亡を企てるため、吾に一服盛ったのだった。
動かない体に銃が突き付けられる。
終わりだ、そう確信した時に奴はやって来た。
「吾は大事な隊長だと、尊敬していると言ってくれた!」
叫ぶと同時に拳を繰り出す、顔を、胴を、肩を狙って繰り出す一撃はすべて勝殿型海魔にいなされてしまう。
「そんな貴様の死を、吾は悲しみと共に受け入れたのに――!」
思えば一度も彼に勝ったことはなかった。
今だって、勝てる見込みなど殆どない。
分かたれてしまった20年。
吾の拳は全盛期の輝きはなく、少し縮んだほどだ。
筋肉も減った、前線になど久しく出ていない。
全盛期の若い体に、この老いた腕はどこまで効くのだろう。
何もかもあの頃のまま――瑞々しい肌にギラギラとした瞳、果てしない未来を背負う大きな背中。
引き締まった胸板。
無駄のない筋肉がついた腹筋。
吾を助けてくれた傷だらけの手。
(吾は、吾は……!)
「くそ! 好きだ!!(会いたかった!!!!!)」
ぐっと拳を握りしめて、封じていた本音とさらに封じていた本心を叫ぶ。
「ええー」「大将、熱いのう」と味方であるはずのセレストと水虎の冷めた声が聞こえてくるが、もう気にならない。
想いとともに放った拳――吾の今の体力ではこれが最後だ。
「ふっ」
勝殿型海魔……いや、勝殿は笑っていた。
そして腕の構えをほどくと、吾の拳を腹筋で受け止める。
瑞々しく艶のある肌に吾の拳が重なる。
万力の力を込めて放った拳は、勝殿に膝をつかせることは叶わず、固い腹筋に阻まれる。
ぎゅっ、と暖かい感触が背中にかぶさる。
勝殿の腕で抱き留められたのだと気づいたのは、ほんの数秒後のことだった。
『俺も会いたかった』
日本語で囁かれたそれは、吾の本心と同じ。
『俺の娘を、助けてくれてありがとう。俺の魂を、救ってくれてありがとう』
ああ、この人は何もかも変わらない。
海魔――穢れた魂が形を持った存在だというのに、心は清く正しく美しいまま。
『お前の不安はすべて説明できる。どうか、俺に機会をくれねえか?』
囁かれた日本語を理解できるのは、今か今かと暴れる機会を待つ水虎と、遠くで様子を見守っている乙女だけ。
「お父様! 海魔に色仕掛けされてどうするんですの!」「大将! そういうのええんか!?」とめいめい好き放題騒いでいるが、吾はもう気にならなかった。
『はい』
この人は海神勝――吾が最も尊敬した、親友なのだから。
一六八は勝のことが大好きです。男キラー、勝。
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