99「ラスボス親子とカウント1」
――ニューヨーク。
ブロードウェイの中央に位置する大劇場「ポセイドンシアター」では、今日も旋律が奏でられる。
開幕の直前、照明がすっと落ちる。
世界は一瞬で暗くなり、歓談をしていた観客は静まり返る。
これから始まる旋律に期待が高まる。
全員の心臓がひとつに揃う。
オーケストラピットで指揮者が立つ影が見える。
万雷の拍手の後、指揮者の合図とともに再び静寂に包まれる。
さあ――幕が上がる。
劇場の空気が、熱と期待で震える。
<はじめまして、みなさん>
しかし、指揮棒が振り下ろされるより先に謎の男の声が響き渡った。
それは英語ではない、しかし会場にいる全員に伝わる【魂の声】。
舞台に立つのは役者ではなく、痩せぎすの長髪の男が一人。
どういうわけか、警備の人間はやってこない。
最も近くにいるオーケストラも、指揮官も騒ぐことはなく、まるで眠っているかのようにその場に倒れてしまう。
――ダン!!!
と大きな音を立てて舞台の上から6つの羽根を持つ天使がダンサーの女を抱えて降りてくる。
女は静かな寝息を立て、自分が天使によって天より降ってきたことなど気づいてもいなかった。
「行儀が悪いよ、アンヘル」
「演目のためにセット上にいたダンサーです。落ちたら怪我をしてしまう」
観客にざわめきが広がるが、誰かが「これも演目だ」と呟いた途端、静かな笑いと共に異常事態は受け入れられた。
天使などいない。
こんな大きな劇場が乗っ取られることなどありえない。
そんな甘い考えがあたりに広がり、まばらな拍手と共に彼らは受け入れられる。
舞台の上の男はその様子に逆に驚いたような反応を示した後、呆れたように笑った。
「【歌】え、アンヘル」
そう言うと、アンヘルと呼ばれた天使は静かに歌いだす。
天使の歌声と共に、会場にいた全員が――眠った。
「C.A.D.!? どうしたんだヨ!?」
少し間をおいて、会場の外から少女が駆け込んでくる。
観客も演者も眠っている会場の異常さに気づいて飛び込んできたのだろう、少女はあまりの光景に唖然とする。
だが、舞台の上で眠っている友人、C.A.D.を見つけると勇敢にも舞台に乗り込んで彼女を天使から引きはがして守った。
天使は悲しそうな顔をしたが、静かに少女にC.A.D.を差し渡した。
「キミは――ハクレンちゃんだっけ。お友達の公演を見に来たのかな」
天使の代わりに男が喋る。
ハクレンはキッと男を睨みつけると、男は静かに笑った。
「だ、誰ヨ! ここで何してる!?」
「……霊力が強いな。【歌】に対抗できちゃうのか」
男はぽつりとつぶやくと、笑顔を張り付けてたった一人の観客に向き直る。
「自己紹介をしよう」
~ウヅマナキ~
「ボクはウヅマナキと言います。【日本の神】ではあるけれど、今は人間の姿を借りて【深海教団を運営しています】」
「日本の……?」
「織歌ちゃんともお友達だよ。よろしくね」
ウヅマナキは亜麻色の長髪とスカイブルーの瞳をした穏やかそうな男だった。
人懐こい笑みを顔に張り付け、敵意や悪意は一切見せない。
こんな男が劇場を混沌に巻き込んだというのか――ハクレンは底の知れない男に怯えた。
「次は僕の息子を紹介するね」
しかしウヅマナキはハクレンの反応など気にも留めず、”息子”だといって傍らの天使を指さした。
~エンゼル~
「この子はアンヘル……ああ、今はエンゼル神父って名乗ってるんだっけ」
「エンゼル神父、知ってるヨ! 織歌の婚約者だロ!?」
「はい。すべて織歌さんのためなんです」
織歌、その名前を聞いてエンゼルは悲しそうな顔をする。
だが瞳には力があり、自分の行いが間違っていないと言わんばかりにまっすぐにハクレンを見つめた。
「なんで天使ニ……」
「彼は今は海魔なんだ。一度死んで、ふたりの魂を生贄に蘇った、新たな形の海魔【神懸かり】」
「海魔……なんで神父がそんなことに」
「そこは重要じゃない。大切なのは、その情報を使ってボクたちが何をするかってことなんだ」
「お前が喋りなさい」と促されエンゼル神父は口を開く。
「私たちは人類を一度殺し、魂を選別して全員を【神懸かり】として産みなおします」
それはあまりにも残酷な宣告。
しかし純粋な正義心で紡がれた本心に、ハクレンは返す言葉が見つからなかった。
「神父は……海魔を嫌ってるっテ……」
「私はずっと、魂は穢れないものだと信じていました。だから穢れた魂が形を成した海魔が許せない」
「でも違った」とエンゼル神父は続ける。
何かを思い出したのか、アイスブルーの瞳が涙にぬれていた。
「穢れた魂の人間は、いる。だから選別をして正しい人だけを残すんです。皆が【神懸かり】になれば人種も貧富も信仰の壁もない。私たちを隔てるものは何もない。人種差別に苦しむ人を無くせるんです!」
「エンゼルの【歌】は人を眠りにーー半死半生の状態にできる。この子の能力で一度全員を眠らせ、魂を選別して正しいものだけを起こす――簡単でしょ?」
「世界中の人間に歌を聴かせるなんてできるわけねーだロ!」
「できます」
エンゼル神父は役者のように舞台の真ん中に立つ。
スポットライトに照らされる姿は輝かしくて、まるで本物の天使の様だった。
「ラジオを使います。夜間のスカイウェーブに乗せれば、中西部まで【歌】を届けることができる。アメリカの半分が、私の手に落ちます」
「!?」
「準備には少しかかりますが、深海教団の組織力を使えばできない事はない」
「ハクレンちゃんとC.A.D.ちゃんには大切なお願いしたいんだ」
眠り続けるC.A.D.に縋るようにハクレンはぎゅっと目を瞑る。
だが人間の姿をした神と天使の姿をした悪魔は残酷にも言葉を続けた。
「織歌ちゃんにこのことを伝えたいんだ。キミならできるよね?」
「ここで決着をつけましょう」
ふたりはそう言うと静かに劇場から去って行く。
残されたハクレンは大きな声で泣き出したかったが、彼女のプライドがそれを許さない。
涙をぐっとこらえると、C.A.D.を抱えたまま彼女も劇場を後にした。
ハクレンとC.A.D.久々の登場です!これで一通りの勢力が揃いました!
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