1章58話 残酷な絆
騎士団長のラスティグは離宮に戻ってくると、そのまま、まっすぐにアトレーユの元へとやってきた。
そして部屋の前にいたノルアード王子に気が付くと、頭を下げて戦況の報告をした。
「森の中のトラヴィス軍の拠点はほぼ制圧しました。現在トラヴィス王国との国境沿いを監視する部隊を増員しております」
その報告を聞いたノルアードは、すぐに王宮へと使いをやるため、他の者に指示をだした。
ラスティグはその指示を横で聞きながら、アトレーユの眠る部屋の様子を気にしていた。そんな義兄に気が付いたノルアードが彼に声をかける。
「どうした?あの騎士が気になるのか?」
図星をつかれてラスティグは言葉に詰まってしまった。
先に戦況報告をしたとはいえ、真っ直ぐにこの部屋にやってきたのは事実だ。安易な言い訳をしても、ノルアードにはすぐにバレるだろう。
どうしたものかとノルアードを見やると、義弟の様子が少しおかしい。
ラスティグは少し場所を移動して小声で話し始めた。
「どうしたんだ?怖い顔をしているぞ」
普段ノルアードは、穏やかな表情の仮面を完璧につけている。その仮面が彼以外の前で剥がれることはほとんどなかった。しかし今は何故かひどく神経質になっているようだった。
「……なんでもないさ……」
ノルアードは誤魔化すように呟いたが、その視線はある一点に注がれていた。ラスティグはその視線をたどって、彼の不機嫌な理由がわかった。
少しだけ開かれた扉から、アトレーユ達のいる部屋の中が伺える。疲れた様子のキャルメ王女が、アトレーユのベッドの脇で眠っているようだ。
その様子はまるで、母の看病をしていた自分たちの姿のようだった。
ラスティグは目を細めて、遠い記憶に想いを馳せる。哀愁が心の中にじわじわと広がっていく。彼はその哀愁を宥めるように一つ深くため息を吐いた。
そして再びノルアードに視線を移す。ノルアードは心が悲しみに囚われないように、必死にもがいているように見えた。
剥がれた仮面の下から、傷ついた少年の姿が垣間見える。
しかしその少年はすぐに姿を消すと、王子として非情な道を歩むことを決意した男だけがそこに残った。
「……もし……」
冷たく凍るような眼差しで、ノルアードは呟く。
それは普段は絶対に周りには見せない顔だ。
その凍てつく視線は、真っ直ぐに眠る騎士へと注がれている。
「……もしもこのままあの騎士が」
心臓が大きく撥ねる。
それ以上は聞きたくないと、鼓動が大きな音をたて、続く言葉を掻き消そうとする。
ノルアードはそんなラスティグに鋭い眼差しを向けた。
「……そう思う私をお前はどう思う?」
低く、沈むような声。
明確に命じられたわけではない。
しかしラスティグはその意図をはっきりと汲み取った。
その残酷で非情な意図を。
ノルアードは知っているのだ。
ラスティグが彼の望みを叶えるために、動くことを。
ずるい聞き方だと思った。
思わず拳を爪が食い込むほどに強く握る。
表情が醜く歪んで、強張っていくのがわかる。
「…………俺に殺せというのか?」
自分でも驚くほど掠れた声がでた。
声が震えないようにするので精いっぱいだった。
今までノルアードの望みに対して疑問を返したことはない。
いつだってそれは、彼らの目的の為に必要なものであるからだ。
だが、今回のことは素直に頷けない。
唇を噛み、強い眼差しで見つめ返す。
握った拳が抑えきれないほど震えていた。
ノルアードはそんな義兄を、片眉をくいと上げて表情だけで咎めた。
まるで父ハーディンのような仕草だ。
ラスティグはその仕草に顔を引きつらせた。
彼が苦手な仕草だと知っていて、ノルアードはわざとそれをしたのだ。
冷たく嫌な汗がこめかみを伝う。
剣呑な空気は、重く鉛のように彼らにのしかかっていた。
そしてそれよりもさらに重く鋭い言葉が、弟の口から放たれる。
「私は何も言っていない。どうするかはお前の自由だ」
それだけを言い残して、ノルアードは去って行った。
その後ろ姿をラスティグは呆然と見ていることしかできなかった────




