1章54話 少年の心2 二人の出会い
ノルアードが連れて来られたのは、とある貴族の屋敷だった。
見たこともないほど大きく豪華な建物は、まるで王の住む城のようで、夢でも見ているような気分であった。
屋敷に入ると、彼は着ていた服をあっという間に脱がされた。
そして知らない大人たちの手によって綺麗に洗われ、今度は高そうな服に着替えさせられた。鏡に映った自分の姿は、どこか知らない国の王子のように見える。
ノルアードは暴れることはせずに、冷静に周りの大人たちを観察した。彼らは余計な事は一切話さず、ノルアードの世話に専念していた。
どうやら傷つけられたり、酷い事をされる心配はないらしい。
しかし甲斐甲斐しく世話をされていても、彼には気になる事があった。それは母親の事だ。屋敷に連れて来られてから、母がどうしているかはわからなかった。
彼がぼんやりと思案していると、俄かに部屋の外が騒がしくなった。そしてバタバタと大きな足音をたてて、一人の男が部屋にはいってきた。
彼はノルアードの姿を見ると、目を大きく見開いて驚愕しているようだった。
「……この子が……本当に?」
独り言のように呟いた言葉に、周りの者は気まずそうに黙って俯いた。
二十代後半くらいに見えるその男は、一目で高級とわかる貴族の服に身を包んでおり、濃い焦げ茶の髪は綺麗に整えられていた。
彼の金色の瞳がまっすぐにノルアードを見つめている。その瞳の奥に驚きと哀しみのようなものが混じっていることに、ノルアードは気が付いた。
「……旦那様」
呆然とノルアードを見つめたままの男に、しびれをきらした侍従が声をかけた。
「あ……あぁ……」
このやり取りで、彼がこの城の主人であることを悟ったノルアードは、母の様子を知るために、その男に向かって話しかけた。
「俺の母さんはどこにいる?」
ノルアードの冷静な様子に、その男は驚いているようだった。そしてしばらく考えたのち、彼はノルアードを連れて部屋を後にした。
絨毯の敷き詰められた屋敷の中は、年代物の調度品が揃えられていたが、どれもよく手入れされていた。
見たこともない大きな絵画や、彫刻などが大切そうに飾られ、そこは今までノルアードが生きてきた世界とは全くの別世界であった。それが何なのかさえ分からない。どれだけの価値があるのかも。
そんな豪華な造りの廊下を進んでいくと、大きな両開きの扉の前まで連れて来られた。それまで黙ってノルアードを連れてきた男は、そこで立ち止まり、ノルアードの方へと向いた。
「ここに君の母君がいる。さぁ中へ」
そういって促されると、ノルアードは一人その部屋へと足を踏み入れた。
広い部屋の奥に大きな窓があり、薄手のレースのカーテンが陽の光を優しく部屋に伝えている。
その窓のそば近くに天蓋のついた豪華なベッドがあった。そこには青白い顔をしたノルアードの母が横たわっていた。
「母さん!」
ノルアードは母の姿を見つけると、それまで抑えていた感情を解き放つように母へと駆け寄った。
だがその時、ベッドの脇に自分と同じ年頃の子供がいることに気が付き、びくりとして足を止めた。
その子はベッドの脇に佇んで、悲しい表情でノルアードの母を見つめていた。黒髪で金色の目をした、綺麗な顔の男の子だった。
彼はこちらに気が付くと、不思議な顔をしてノルアードを見つめた。
「君は……だれ?」
ノルアードは警戒して眉を顰めながら答えた。
「俺はノルアードだ。君は?」
「ラスティグ……」
彼は自分の名だけを答えると、それきり黙ってしまった。
色白な少年は、いかにも貴族の子息として、可愛がられて育てられてきたようだ。同じような綺麗な服を着せられていても、自分とは大違いだなとノルアードは思った。
ラスティグは再びノルアードの母に視線を戻すと、あろうことかノルアードの目の前で彼女の手を握った。
「やめ──っ」
その行為をとがめようと手を伸ばしたが、ラスティグの目に涙が浮かんでいるのをみて、一瞬思いとどまった。
そんなノルアードの様子など目にはいっていないラスティグは、母の手を握り静かに呟いた。
「……母様」
その少年の言葉を聞いた瞬間に、ノルアードは総毛立った。
「違う!お前の母親じゃない!」
ノルアードはラスティグの胸倉につかみかかると、彼を母親から引きはがした。
驚いたラスティグは、涙で濡れた目をいっぱいに見開いてノルアードを見た。その瞳はノルアードの母と同じ、美しい金色の瞳であった。
ノルアードはその瞳に驚き、動きを止めた。
「やめなさい」
それまで部屋の外にいた屋敷の主人がノルアードとラスティグの間に入った。
「父様……」
ラスティグは潤んだ瞳で父親を見上げた。
「ノルアード君……というそうだね。君の名前は」
ラスティグの父親はノルアードを見下ろすと、そう聞いてきた。ノルアードはそれに頷いて答えると、睨みつけるような強い目で彼を見返した。
「私たちは長い間、君たち母子を探していたのだ。そしてミーリアはこの子、ラスティグの母親でもある。ラスティグは君の兄だ」
そういってラスティグの背中に手を当てて、彼らが向かいあうように促す。しかしノルアードは目の前のラスティグよりも、父親の言葉の方に食いついた。
「こいつと兄弟だって?じゃああんたが俺の父親なのか?」
その鋭い質問に、ノルアードの父は目を伏せて首を横に振った。
「…いいや、わたしは君の父親ではない。だが君を養子に迎えるつもりだ」
そういって優しい目をしてノルアードを見つめた。その瞳は、母と似た金色に輝く瞳だった。
「……ふぅん……そう」
優しい眼差しで見つめられて、ノルアードはなんだか気まずくなって顔を伏せた。
「私はハーディン・イルモンド・ストラウスだ。これからは私を父親と思って接してくれ」
ハーディンは優しい笑顔をみせると、大きな手でノルアードの頭をぎこちなくなでた。だがそれはとても優しく、温かいものだった。
父親というものを知らなかったノルアードは、その温かいぎこちなさに、思わず涙を浮かべて、それを隠すように袖で拭った。
こうしてノルアードはストラウス家の養子となった。




