1章35話 開戦の序曲
キャルメ王女とエドワード王子の失踪からすでに一日の時が経っていた。
結局手掛かりは見つからないまま、時間だけが無為に過ぎていく。
進展をみせない捜索に、ラスティグ達は落胆と苛立ちを隠せなかった。多くの人間が王女達を探すために奔走していた。アトレーユ達も必死で駆けずりまわっていた。休むことなく様々な場所を探していたため、皆疲労が色濃く出ていた。
そんな彼らの様子にラスティグは心を痛めた。アトレーユ達への疑いもまだ心の中にくすぶっていたが、感情はそれとは反対の方向へ傾くのだった。
しかしこれだけの精鋭の目をかいくぐり、ましてや目の前での失踪に、どうしても拭いきれない疑問が残る。一体どうやって?なんのために?
ぐるぐると何度も同じ考えが頭の中によぎる。巨大な迷路に放り込まれて、同じところを回っているだけのような、途方もない無力感が襲ってきた。
その時ふと街道の方に目をやると、複数の旗が丘の上にはためくのが見えた。紅い旗に黒色の獅子が描かれている。そしてそれを掲げているのは、軍馬に跨った鎧の騎士達である。
それは王城に残してきたラーデルス王国騎士団であった。
ラーデルス騎士団は、徐々にこちらの方へと近づいてきていた。
一瞬応援の部隊が来たのかとも思ったが、それにしては戦でもするかのような重装備のようだ。そのことを疑問に思いながら、ラスティグは騎士団の様子を注視していた。
アトレーユはそんなラスティグの様子に気づき、彼の見つめる方へと目をやった。遠くから徐々に近づいてきた一団に、アトレーユは目を瞠った。
「あれは……ラーデルス騎士団?」
アトレーユがそうつぶやくと同時に、ラスティグはすぐさま馬に跨り、弾かれたように騎士団めがけて走り出した。慌ててアトレーユもラスティグの後に続く。
彼らが近づくにつれて、ラーデルス騎士団の異様な雰囲気が肌で感じられた。逞しい軍馬に跨る黒い甲冑を身に着けた騎士たちは、物々しく今にも戦を始めようとするかのようだ。
そんな騎士団の前に馬をつけ、ラスティグとアトレーユは彼らと対峙した。騎士団長であるラスティグは、自国の騎士たちに厳しい目をむけて言い放った。
「これはどういうことだ?なぜ私の指示なく騎士団が動いている?」
怒りをにじませた重々しい言葉に一瞬沈黙があったが、騎士団を率いて来たらしい男が前へでて言葉を紡いだ。
「彼らを率いてきたのはこの私だ」
そういって現れたのは、ハーディン・イルモンド・ストラウス公爵その人であった。予想もしていなかった自分の父親の登場に、ラスティグは驚きを隠せなかった。
ストラウス公爵は2代前のラーデルス王国騎士団団長であり、ケガによって退役するまで勇猛な騎士として名を馳せていた。国王の信任も厚く、前任の騎士団長が亡き今は、現状ラスティグ以外で騎士団を動かせるのはストラウス公爵のみである。
「勅令により参った。これより我が国へと戦を仕掛けんと目論むロヴァンスの兵を迎え撃つ」
「なんですって!?」
その言葉に一番に反応したのはアトレーユだ。緊迫した面持ちで思わずストラウス公爵へと詰め寄る。それをラーデルス王国の騎士らが制するが、アトレーユはそれをものともせずなおも問い詰めた。
「ロヴァンス王国が戦を仕掛けるなどありえません!一体どうゆうことです!?」
今にも掴みかからんとするアトレーユを、ラスティグも必死に抑えた。同時に父親の言葉に説明を求める。
「何故そのような話になっているのですか?いまは戦などしている状況ではないというのに……」
キャルメ王女が失踪した経緯は、すでにラスティグが極秘に王城へと使いを出して、一部の人間に知らせてはある。しかし事を大きくしないために、極秘で使わしたのにも関わらず、王国の騎士団が戦をせんと出張ってきたのはどういうことであろうか?
「すでにロヴァンス王国から開戦の宣言があったのだ。我が国の者がロヴァンス王国第3王女をかどわかし、その手にかけたと……」
「なっ……!?」
ストラウス公爵の言葉に、アトレーユ、ラスティグの両名は言葉を失った。アトレーユの顔は青ざめている。
一方のラスティグはどこかまだ信じられなかった。一時はロヴァンス王国の計略の可能性も考えていたが、王女を心配するアトレーユの様子に偽りがあるようには見えなかったのだ。
「話し合いの余地があるのではないのですか?いくらなんでもこのまま開戦とは……」
ロヴァンスとの戦で、ラーデルスが勝てるとは到底思えない。なんとか戦を避けることはできないかとラスティグは問うた。
「こちらから仕掛ける戦ではないのだ。見よ。すでにロヴァンス軍は王城へと進軍している」
はっとして振り返ると、遠くに街道をこちらへ向けてロヴァンス騎士団がやってくるのが見えた。
恐れていたことが現実となり、またその引き金の一端を自らが引いてしまったことをラスティグは悔やんだ。愚かにも他国の軍勢を自国へと引き入れることを容認し、ロヴァンスの騎士に肩入れしていたのだから。
ラスティグは唇を噛み締め、きつく拳を握って項垂れた。自らを罰するかのように、眉間の皺を大きく歪め、細めた瞼はかすかに震えて顔を上げることはできなかった。
一方ラスティグの横に馬を並べていたアトレーは、誰に向けるとでもない小さな声で呟くと、彼らに背を向けた。
「すまない……」
美しい銀髪をふり乱しながら、アトレーユは心中の焦燥を現すかのような速さで馬を走らせ、遠くロヴァンス軍の方へと去っていった。




