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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
39/41

繋いだ手

 物陰から滲み出るように、クロネコが姿を現す。

 それに気づいたときにはすでに遅い。


 2人の兵士は、いずれも首筋を裂かれて床に倒れた。


 それを見届けてから、クロネコは顎で扉を示す。

 カラスが素早くその扉を開け、室内へ。

 続いてクロネコも、絶命した兵士を引きずり込みながら室内に入る。


「思った通り、書斎に兵士はいないみたい」

「俺たちを逃さないよう、屋敷の包囲に人員を割いているだろうからな」


 天井まで届く高い本棚と、大量の本。

 書物特有の匂いが充満する書斎で、カラスは壁に背を預けて一息ついた。

 ヒールで廊下を駆け回ったせいで少々疲労していた。


「つまり……ヤーセン子爵はヒゲン侯爵を裏切ったのね?」

「十中八九そうだろう。だが、あの子爵が独断でこれだけ多数の兵士を動員できるはずがない」

「同感だわ。たぶん、侯爵よりも大物の後ろ盾を得たのよ」


 ヤーセン子爵の後ろ盾は誰か?

 侯爵よりも上位の貴族となると、まさか宰相あたりだろうか?

 しかしそれを推測したところで意味はない。


 今は一刻も早く、この屋敷から脱出せねばならない。

 下手に時間をかけて増援でも来られては困ったことになる。


「ここまで確認した限りでは、恐らく100人規模の兵士がこの屋敷に集まっているはずだ」

「しかも町を巡回しているような下っ端憲兵ではなく、王城詰めの正規兵ね」

「……厳しいな」


 100人。

 たかだか犯罪者一人に対して、よくこれだけの人数を動員したものだ。

 どうやらクロネコは、王城のお偉い方々によほど恐れられているらしい。


「奇しくもあなたがリンガーダ王国で仕事をしたときと同じ人数ね」

「あのときとは状況が違う」

「ええ……」


 リンガーダ王国では1ヶ月という充分な期間があった。

 それに入念な下準備もした。

 そのうえで100人、しかも大半が一般人だった。


 今回のように同時に100人、しかも正規兵を相手にした経験など、クロネコの長い暗殺者人生を振り返っても例にない。


「でも、100人全員を殺す必要はないわよね?」

「魔法使いじゃあるまいし、そんなことは不可能だ」


 目指すべきは脱出であり、不必要な殺しに労力を割くような余裕はない。


「それで、脱出経路はどうするの?」

「正門と裏門は駄目だな。兵士が多すぎて突破できない」

「じゃあ屋敷の側面から?」

「そうなるが、さて……」


 馬鹿正直に廊下を走って行っては、見つけてくださいと言っているようなものだ。

 しかしそれ以外に、屋敷の側面まで辿り着く方法となると……。


 クロネコは天井を見上げる。


「クロネコ?」


 首を傾げるカラスを無視して、クロネコは本棚に足を掛けて登る。

 書斎の天井板をガタゴトと弄る。


「うむ、外れそうだ」

「まさか、天井裏を行くの?」

「ああ」


 カラスがげんなりとした表情をする。

 せっかくの綺麗なドレスで、埃っぽい場所を通りたくないのだ。


 それを見て、クロネコが厳しく目を細める。


「カラス」

「何?」

「俺たちは今、追い詰められている。その状況を理解しろ」

「……そうね、ごめんなさい」


 カラスは己の甘さを恥じた。

 戦場においてドレスなどどうでもいい。

 優先すべきは命であり、他はすべて二の次だ。


「それと、ヒールを脱げ。まともに走れまい」

「……ええ」


 カラスは素直に従い、ヒールを放り捨てた。


 このヒールは、彼女が持っている中で一番高いものだ。

 クロネコのめでたい日に、彼に恥をかかせまいと良いものを選んできた。


 とはいえ、どうせ彼はそんなところまで察してくれないだろうし、彼女もそれを口に出すつもりはない。

 ヒールはまた買えば良いが、命に替えはないのだ。


「カラス」

「何?」

「ヒールは窓際に置け。そして窓を少し開けるんだ」

「……窓から逃げたように偽装するのね?」

「そうだ」


 カラスは彼の指示通りにする。

 少しは時間を稼げるだろう。

 確かにやれることは全部やっておくべきだ。


 クロネコは音を立てないよう、静かに天井板を外す。


「カラス」

「ええ」


 手を差し伸べ、カラスを引っ張り上げる。

 2人は順番に天井裏へと登る。


「板を元に戻せ」

「わかったわ」


 カラスが静かに天井板をはめ込む。

 これで書斎に兵士がやってきても、すぐに天井裏に目が向くことはないだろう。


「俺は暗視が効くから先導する」

「ええ」


 予想通りの埃っぽさに咳き込みながら、カラスは頷く。

 天井裏は暗いうえに天井が低く、屈んで歩くしかない。

 彼女の目には何も見えないので、頼りは手のひらに感じる彼の手の感触だけ。


 皮が硬くなり、ごつごつした手。

 普段から武器を扱っている職人の手だ。

 彼が歩んできた人生を反映しているように思えて、カラスは彼の手を少しだけ強く握った。


「……」

「……」


 互いに無言。

 だが静かではない。


 下からは兵士たちがドタドタと走り回る音と、誰かの怒号が聞こえてくる。

 まだ屋敷内にいるはずの2人が見つからず、指揮官がお冠なのだろう。


 相当数の足音が飛び交っている様子から、やはり屋敷中が兵士だらけのようだ。


 暗闇を歩く。


 歩く。


 歩く。


「カラス」

「何?」


 暗闇に目が慣れてきたカラスは、彼女の手を引く彼の姿がぼんやりと見える。

 背中しか見えないので、彼の表情は窺えない。


「お前は本来、この場に来る必要性はなかった」

「……そうね」

「巻き込んでしまって悪かった」


 カラスは驚いた。

 まさか彼から謝罪の言葉が出てくるとは思わなかったのだ。


 しかしよく考えれば、クロネコは職人気質は強いものの、決して自己中心的な人間ではない。

 判断を誤れば反省して、同じ間違いを2度は繰り返さないし、己の命に抵触しない限りは義理も重んじる。


 最強の暗殺者というイメージに惑わされがちだが、彼とて完璧ではない一人の人間なのだ。

 そしてそういう人間だからこそ、カラスは彼を好きになったのだ。


「クロネコ。最終的にあなたに同行する判断をしたのは、私だわ」

「そうだな」

「だから、あなたが気にすることじゃない」

「そうか」


 会話はそれで終わった。


 自分のことを負担に思う必要はない。

 カラスはそれを彼に伝えたつもりだが、果たしてわかってくれただろうか。


 彼女はお姫様として彼に守られたいのではなく、パートナーとして彼と共に歩みたいのだ。

 今後の人生において、彼に守ってもらうことも多かろうが、彼女も力を尽くして彼に貢献していくつもりだ。


 一方的な関係ではなく、共に生きて、相互に協力する関係。

 少なくともカラスはそういう夫婦になりたいと願っている。


「ここだ」

「えっ?」


 カラスが我に返ると、クロネコは立ち止まっていた。

 天井裏は行き止まりになっていた。


「この真下の部屋が、屋敷の一番側面のはずだ」

「じゃあ?」


 クロネコは天井裏の床に伏せ、耳をつける。

 音と気配で人数を探る。


「3人いる」

「どうするの?」

「少し待て」


 クロネコは足元の板を、音を立てずに横にずらす。

 そこから部屋を見下ろす。


 客室だ。

 屋敷の一番端にあるということは、恐らく位の低い客用の部屋なのだろう。


 予想通り、そこに3人の兵士がいた。


 クロネコは躊躇なく、天井裏から客室へと身を躍らせた。

 僅かの音もない。

 背後に死神が降り立ったことに、兵士たちは気づかない。


 ナイフが二閃する。

 2人の兵士が、何が起きたのかもわからず倒れた。


「なっ、だ、誰か……!」


 声を上げようとした最後の兵士も、すぐさま喉に刃を受けて絶命した。


 何度見ても鮮やかなその手管に、カラスは感嘆の息を漏らした。


「カラス」

「ええ」


 カラスも天井裏から、客室へと飛び降りる。

 クロネコは室内を観察し、ここからの経路を考えているようだ。


「窓が一つしかないようだけれど……」


 その窓は、中庭に向いている。

 あそこから脱出しては、多数の兵士とご対面する羽目になってしまう。


「あの窓から、一度屋根に登る。そして屋根伝いに、屋敷の側面の壁を降りる」

「私、壁降りなんてできないわ」

「それはサポートする。まずは窓から出るぞ」

「そうね」


 クロネコは身を屈めて窓に近づく。

 ゆっくりと窓を開ける。


 広い中庭に何十人もの兵士がひしめいているが、こちらに注目している者はいないようだ。


 クロネコは窓枠に足を掛け、窓から出ると屋根に登る。

 そしてカラスへ手を差し伸べ、彼女を引っ張り上げる。


 2人は手を繋いだまま、静かに屋根の傾斜を移動する。


 屋根の上は遮る物がない。

 すぐに終端へと辿り着く。


 カラスは屋根の上から、真下を見下ろす。

 当然ながら屋敷の側面には庭などなく、通路のような狭いスペースがあるだけだ。

 兵士もちらほらとしか見えない。


 そしてその向こうには、鉄柵。

 あれを超えれば屋敷の外だ。


「ここまで来れば大丈夫そうね……」


 カラスは安堵の息をついた。

 一時はどうなることかと思ったが、何事もなく脱出できそうだ。


 やはりクロネコだ。

 彼の側にいれば安心だ。

 危険が迫ったとしても、彼はその類まれな技術と機転で、必ずどうにかしてしまうのだ。


 カラスは彼の手を、ぎゅっと握り締めた。


 改めて決意した。

 これからもずっと、クロネコについていこう。

 良き伴侶、良きパートナーになろう。


 自分の人生を、彼に捧げよう――。


「……クロネコ?」


 ふと見た彼の顔は、凍り付いていた。


 ここまで来たのに、どうしたのかしら。

 あとは脱出するだけなのに。


 カラスは彼の視線を追って、振り返る。

 

 そこにはいつの間にか、一人の男がいた。

 無精髭の男だ。


 誰?


 その男は、殺気に満ちた獰猛な笑みを浮かべた。


「――!」


 まるで夜空に浮かぶ満天の星々のように。

 2人の頭上に、無数の光点が散りばめられた。


 数えるのも馬鹿らしいほど大量の光の粒。


 ――魔法。


 カラスの背筋が冷たくなった。


 でも。


 でも大丈夫だ。

 クロネコがいる。


 一度は魔法使いに勝利を収めたクロネコだ。

 彼がいれば、今回も。


 だってこの危機を切り抜けて、私たちは幸せになるんだから。


「――あ」


 2人の手が離れた。


 違う。

 彼が、手を離したのだ。


 彼は頭上の光点から逃れるように、飛び退いたのだ。

 自分一人で。

 カラスと一緒では間に合わないから。


 待って、クロネコ。

 置いていかないで。

 私はようやく愛する人の伴侶になれるんだよ。


 だから。

 だから、お願い。


「クロ――」


 カラスの全身を、光の雨が貫いた。

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