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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
36/41

前日の謀略

「では失礼を……」

「うむ」


 軍務大臣の退室を見届けて、宰相は盛大にため息を付いた。

 自然と眉間に皺が寄る。


 ここ数日で、実に十数人の貴族から直接的、あるいは間接的にヒアリングを行った。

 結論から言えば、臭いものに蓋をしたままでいたかった。


 宰相は政務の最高権力者であり、軍務の担当は軍務大臣だ。

 だから戦争については、彼はせいぜい軍費程度にしか関与していなかった。


「まさかかつての隣国リンガーダ王国への侵略に、暗殺者クロネコが一枚噛んでいたとはな……」


 しかも軍務大臣からの話を聞く限り、決して表舞台には現れないものの、その功績は目覚ましいものであったらしい。

 現地からの報告によると、最強の存在である魔法使いまで打ち破ったとか。


 もちろん、だからといって大量殺人犯に恩義を感じているわけではないし、その存在を許容できるわけでもない。

 とはいえあくまで裏舞台に留まっているぶんには、殺人を犯そうが見逃して構わないと思える程度には、暗殺者クロネコは国益のため役に立ってきた。


「だが奴は今、表舞台に出てこようとしておる」


 実のところ、臭いものに蓋をしたいというのは、単純に暗殺者クロネコだけの問題ではない。

 要は暗殺者ギルドという犯罪組織そのものだ。


 どこの国にも、小規模な犯罪組織はある。

 例えば盗賊ギルドなどはその最たるものだが、彼らは大抵において国と繋がりがあり、国の諜報機関としての側面を持っていることが多い。


 だが暗殺者ギルド――殺人を目的に据えた組織というのは、非常に稀だ。


 この大陸には多くの国が存在しており、中には同じように暗殺者ギルドが存在している国もあるのかもしれない。

 ただ宰相が把握している限りでは、暗殺者ギルドの存在を許容しているのは現状ではこのキャルステン王国だけだ。


 それの何が問題かというと、要人の死亡率だ。

 暗殺者ギルドを利用して利益を得ている一部の上級貴族のせいで、この国の貴族の死亡率は、他国と比較しても飛び抜けて高い。

 もちろん大半は事故死として処理されているが、この国の貴族の死にどれほど暗殺者ギルドが関わっているかは想像に難くない。


 簡単に言えば、暗殺者ギルドは貴族を殺しすぎているのだ。

 元を正せば、暗殺を是とするろくでもない貴族たちが原因だが、それでも暗殺者ギルドが存在しなければこんな状況にはなっていない。


「儂にも責任があるな……」


 直接の関わりがなくとも、宰相は暗殺者ギルドの存在を知っており、黙認してきた。

 実態を正しく把握しようともせずに、暗黙の了解という言葉に甘えて問題を長らく放置してきた。


 そのツケが、この突出して高い貴族の死亡率だ。


「……膿を切除するときが来たのかもしれんな」


 暗殺者クロネコは、公には評価されずとも、確かに国益に貢献した。

 しかしそれ以上に、暗殺者ギルドは一部の貴族の依頼を忠実に実行しすぎた。


 一度表舞台に出てきてしまえば、いくら国益に沿おうとも、大量殺人を犯した重罪人に恩赦を与えることはできない。

 それは国民が納得しないし、宰相としても到底容認できるものではない。


 無論、一部のろくでもない貴族たちから、非公式な反対意見は挙がるだろう。

 しかし犯罪組織の摘発という名目は誰から見ても善であり、公に反対できる者はいまい。


 そして暗殺者ギルドは、規模としてはさほど大きな組織ではない。

 一国が軍を動員すれば、潰すだけならそれこそ半日あれば終わるだろう。

 国とたかだか一組織では、戦いにすらならないのは道理だ。


 残党狩りにはある程度の日数を要するだろうが、組織がなくなってしまえば暗殺者ギルドとしての活動はできなくなる。

 暗殺者が活動するための基盤を奪うのが目的なので、残党を全て狩り尽くす必要まではない。


「そうと決まれば、陛下に承認をいただかねばな」


 宰相は豪華な椅子から立ち上がる。


 面倒ではある。

 知らないままでいれば、余計な手間をかける必要はなかった。


 だが知ってしまった。

 ヤーセン子爵の直談判のせいではあるが、それ以上に、裏社会の重罪人が分不相応な地位を望んでしまったことが原因に他ならない。


 そして、そう。

 知ってしまった以上、これは良い機会なのだ。


 キャルステン王国に巣食いながら長らく放置されてきた病巣を、切除する。

 これをもって、上昇傾向にある犯罪率に歯止めをかける。

 伝統ある王国は一歩、綺麗な身体へと前進するのだ。


 暗殺者クロネコ当人も、表舞台の爵位という分不相応な望みが、このような事態に発展するとは予想もしていなかったことだろう。

 彼が爵位を得て何をしたかったのかは知らないが、いずれにせよろくな使われ方はすまい。


 結果として、暗殺者クロネコの分を弁えない望みが、間接的に暗殺者ギルドを滅ぼす。


 宰相はふと、おとぎ話を思い出した。

 愚かな人間は太陽を手に入れようと近づきすぎて、焼け死んでしまうのだ。





◆ ◆ ◆





 ヒゲン侯爵は、屋敷の執務室で上機嫌だった。

 なぜなら明日は、クロネコへの爵位の授与式だからだ。


 もちろん名目上は、研ぎ師職人クロネへの準男爵の授与だ。


 爵位の購入には大金の他に何らかの功績が必要だが、実際は完全に形骸化している。

 今回についても、当然ながら研ぎ師職人クロネに功績などないが、侯爵が適当にでっち上げた。

 上級貴族の推薦というのは強力なのだ。


「ワシは待ち遠しいぞ。早く明日にならんものか」


 自慢の髭を弄りながら、侯爵は想像を膨らませていた。


 主題は授与式であり、侯爵はこれに手を抜く気は毛頭ない。

 王城ではなく彼の屋敷で行う略式だが、それでも人員を揃えて、クロネコをあっと言わせるほどの式にしてやるつもりだ。

 これは侯爵のプライドの問題だった。


 だがそれよりも楽しみなのは、その後の見合いだ。


 貴族の義務を盾にすれば、奴とて婚姻を断れまい。

 見るからに仕事一本の堅物に女を紹介してやるときの、クロネコの反応はいかほどか。


 そして首尾よく結婚まで話が進めば、キャルステン王国最強の暗殺者の手綱を、ヒゲン侯爵が握ることになる。


 彼ほど利用価値の高い人材は稀有だ。

 そしてヒゲン侯爵は、自分ならばその人材を使いこなせると自負している。

 良い駒が舞い込んできたものだわい、と侯爵はご満悦だった。


「……何じゃ」


 ふと階下が騒がしい。

 バタバタと複数の足音が聞こえる。


「何事だ、やかましい!」


 侯爵が一喝すると同時に、慌ただしく扉が開いて、老執事が飛び込んできた。


「だ、旦那様。大変でございます!」

「何があった!」

「そ、それが……ぎゃあっ!」


 その老執事を押し退けるように、立て続けに扉からばらばらと衛兵が飛び込んできた。

 何人もの衛兵が、ヒゲン侯爵に槍を突き付ける。


「貴様ら! このワシをヒゲンと知っての狼藉か!」


 怒号を張り上げ、侯爵が肩を怒らせながら立ち上がる。

 だが衛兵長が羊皮紙を広げて見せると、その動きが止まった。


「ヒゲン侯爵。不適格者への爵位の推薦、および陛下への詐称罪で逮捕いたします。どうか抵抗なさらぬよう」

「ぬう……!」


 侯爵は歯軋りをした。

 衛兵長が持つ羊皮紙には、罪状と、何より陛下の証印が入っている。


 ここで抵抗するということは、陛下に叛意を示すということ。

 上級貴族として、それは決して許されぬことだ。


「貴様ら、証拠はあるのか!? ワシを逮捕するための妥当性だ!」


 だから侯爵は、理屈で反論を試みる。

 しかしそれもすぐに封じられる。


「へっへっへ。ございますとも、ヒゲン侯爵」


 最後に扉から入ってきたヤーセン子爵が、下卑た声色で告げる。


「ヤーセン! 貴様!」

「おっと、侯爵。衛兵らの手前ですぞ」

「ぐっ……!」


 侯爵は激高したが、ヤーセン子爵の言う通りだ。

 ここで彼に飛びかかろうものなら罪状が重くなり、侯爵位の降格、あるいは剥奪まであり得る。


 ヒゲン侯爵はヤーセン子爵を睨み付けながらも、動けない。

 その様子を見て、ヤーセン子爵はにやにやと優越感に満ちた笑みを浮かべる。


「ヒゲン侯爵の罪状についてはねえ、私が証人です。それに宰相も裏を取ってくれましてねえ、この逮捕の妥当性を証明してくれています」

「何だと……!」


 陛下の証印、宰相の証明、そしてヤーセン子爵という証人。


「ぐぬ……!」


 侯爵は理解した。

 後々弁明の機会はあろうが、少なくとも今この場を逃れるすべはない。


 つまりは、ヤーセン子爵は自分を裏切ったのだ。


 この腰巾着が、ただ離反するだけならば痛くも痒くもない。

 しかしこの小物貴族が、こうしてわざわざ手を噛みにやってくるなど予想もしていなかった。


 ヒゲン侯爵は己の見通しの甘さに歯噛みした。


「引っ立てろ!」


 ヤーセン子爵の号令で、衛兵がヒゲン侯爵を捕まえようとする。


「触るでないわ、無礼者ども! 一人で歩ける」


 せめてものプライドで侯爵は衛兵の手を振り払い、自分で扉へと向かう。


 向かう先は王城だ。

 そこで恐らく、宰相直々に取り調べを受けることになるだろう。


 問題は、明日だ。

 クロネコはヒゲン侯爵がこれほど性急に逮捕されたことを知らない。


「ああ、ヒゲン侯爵。ご安心くださいねえ」


 ヤーセン子爵が、卑屈な笑みを一層深める。


「件の犯罪者への授与式は、明日なのでしょう? そして場所はこの屋敷なのでしょう?」


 子爵はネズミを連想させる顔で、にんまりと笑った。


「我々が上手くやっておきますからねえ……」


 ヒゲン侯爵は呻いた。

 ヤーセン子爵が、この一連の行動を独断で行っているはずはない。

 つまり宰相も、ひいては陛下も、すでにクロネコの処遇を決定しているのだ。


 何も知らないクロネコは、明日、予定通りにやってくるだろう。

 そして恐らく、この屋敷は戦場になる。


 侯爵はそれに対してもはや打つ手がない。


「よもや爵位一つでこのような事態になろうとは……」


 ヒゲン侯爵は悔恨の表情で拳を握り締めた。

 そして王城に連行されていった。

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