黒狼の少年
その少年は、特に旅装も無いまま草原に佇んでいた。遠目からもそれは見えていて、心の葛藤を表すように重い足を動かしたり立ち止まったりしている。
顔を見合わせた四人は不安しか誘わないその行動に、素通りなんてできないと意思確認する。少年の苦悩はかなり深いらしく、近付いてもなかなか気付けないでいる。
カイが声を掛けると、きょとんとした顔をして見返してくる。
「冒険者になりたいんだ。あんたたちみたいな冒険者に。だから南に向かわなきゃ」
それはただ焦って口からまろび出ただけの言葉に思えた。だから彼らは少年を取り囲むように動いて話を聞こうとする。
「休憩にするわ。彼と一緒にね」
てきぱきとお茶の準備がされていく。随所に魔法も使われていて、それが少年の目を輝かせた。
座らされた少年は当然のようにカップを手渡され、その湯気に目をパチクリさせている。目まぐるしい展開についていけてないのだ。
「お菓子です。嫌でなければ食べましょう?」
冒険者たちの内の一人は犬系の、自分と同じ獣人だ。勢いに押されて口にすると味わったことのないような甘みが口内に広がり、お茶の熱さが身体に染み込んでいく。
「美味い…」
この時になって初めて少年は自分がただ衝動に駆られるように駆け出していたのに気付いた。
◇ ◇ ◇
「で、私がチャムよ。君、名前は? どこの郷の子?」
この時、彼らはまだこの少年が、年齢にありがちな憧れで冒険者を目指しているのだろうと思っていた。だから簡単な自己紹介の後の聞き役は、少年から見てその憧れの対象になるであろうチャムに任せることにしたのだ。
「アキュアル。カラパル郷のタテガミクロオオカミ連。姉ちゃんは獣人に詳しいんだね?」
「そうよ。ちょっと縁があってね」
アキュアルはチャムが郷まで訊いてきたことで、ちょっと北側まで入り込んできた冒険者ではないと解ったようだ。
「ここから北にある犬系の郷ですぅ」
チャムに視線で尋ねられたフィノが答える。
「遠いの?」
「少しあります。その…、スーチ郷に近い郷なので知っています。そうじゃないかと思ったんですけど」
「フィノはスーチ郷の人だったんだ!?」
「ええ。今は出てしまっていますけど」
アキュアルは彼女が隣郷の出身だと知って俄然勢いが増してきた。
「すげえなあ。今は冒険者なんだろ? やっぱり大変だった? いっぱい魔獣狩ったんだろ?」
「待ちなさい、アキュアル。いい? 彼女は『魔法士』よ」
「あ…」
彼はすぐに自分の間違いに気付いた。『獣人の魔法士』という符号には、それほどまでに直結する意味があるのだ。
「…ごめん、フィノ」
「いいんですよ、慣れましたから。だからこそ、郷産まれの獣人が人族社会で生きるのがどれだけ大変か知っています。あなたにはそれをしなくてはならないほどの事情があるんですか?」
「……」
その質問にアキュアルの口は重かったが、ポツリポツリと語り始める。
◇ ◇ ◇
アキュアルはカラパル郷に生まれて家族で暮らしていた。父は優秀な狩り手だったが、母は身体強化も持たない普通の女衆だった。ムルクという姉が居たが、彼が物心ついたころに妹のピルスが産まれ、家族も賑やかになってきた。
しかし、獣人にありがちなその事故は唐突に訪れる。狩り手に守られて採集を行っていた母が、守りをすり抜けた暴猿に襲われる。奪い返そうとした父だったが、母を盾にされて強引な攻撃ができずに返り討ちにされ、母も連れ去られて魔獣の餌にされてしまった。
獣人郷では連を中心に、郷全体で子育てする。だから残された兄弟は生活に困るようなことは無い。それでも拠り所を失った仔狼たちは心細い毎陽が待っていた。身を寄せ合うように生きていた兄弟だが成長するにつれ、姉は狩り手として家を支えられるようになり、アキュアルも家事に関しては手伝えるようになった。二人で力を合わせて幼い妹を育て、それなりに幸せな暮らしが戻ってきた。
不幸は再び襲ってくる。油断で負傷した仲間を庇ってムルクが大怪我を負ってしまう。姉を負傷させた魔獣は、共に狩りに出ていた幼馴染のシーグルが狩ってくれたが、彼が背負って帰ってきてくれた時のムルクの状態は決して良くなかった。そして三陽後、兄弟たちを案ずる言葉を残して逝ってしまう。
アキュアルの絶望と怒りは限界だった。
手に入りかけた幸せをまたしても魔獣が奪っていった。今すぐにでも飛び出していきそうなアキュアルを、シーグルは実力行使を伴い強引に説き伏せる。身体強化が強めに出ているアキュアルなら、もう少し大きくなれば好きなだけ魔獣を狩れる。その時まで我慢しろ。のた打ち回りたくなるような苦しみに耐え、雌伏の時を過ごす少年。そこへやってきたのは改革の波だった。郷でナーフスを育てれば今までのように魔獣は狩らなくていいというのだ。
唇から血が滲むほどに噛みしめて耐え抜いた陽々は何だったのか? カラパル郷の皆が、新しい時代に胸膨らませている。両親の死は忘れられたのか? 姉の死は無駄だったのか? アキュアルはその思いの持っていき所を失ってしまった。
少年は考える。別に郷に縛られる必要は無い。自分は魔獣に復讐できればいいのだ。郷の狩り手でなくてもいい。人族の街に行けば魔獣を狩るのを生業にしている者が居ると聞く。冒険者という職業だ。誰憚ることなく魔獣を狩って生きていけばいいではないか?
そんな思いが頭の中をグルグルと巡り続けている。そして気付くとアキュアルは駆け出していた。
南へ、南へ、と。
◇ ◇ ◇
アキュアルの肩を抱いてフィノが泣いていた。
ずっと溜め込んできた思いを一気に吐き出した彼は頭がハッキリしてきているのに気付く。何で自分は見ず知らずの人たちに話してしまったのだろうと思う。アキュアルはまだ自分が本当は誰かに聞いてほしかったのが解っていなかったのだ。
「これも弊害っていうべきなのかしらね?」
「一因ではあるんじゃねえか?」
二人は複雑な思いを抱いている。何かが変われば、不利益を被る人間が全く出ないということはあり得ない。しかし、それがこんな形で出てくるなんて思ってもいなかった。
もちろん、彼らが間違っていたとは思っていない。少年の感情を否定することもできない。ただ、目指す未来が違っていただけだ。誰も悪くないのに苦しんでいる人が居る不条理を解決する術もない。
「君は一つだけ間違っている」
そう言われてアキュアルは黒髪の人族冒険者に目を向ける。
「あんたも復讐なんて無駄なことを考えるなって言うのか? そんなものに人生を賭けるなんて馬鹿だって?」
「違うよ」
言われ慣れた台詞が返ってくると思って、ぶすっとしながらいつもの反論を始めようとしたら一言に否定された。
「間違っているのは優先順位だ。まだ君には守らなければならないものがあるじゃないか?」
「守らなければならないもの?」
アキュアルはその答えが聞きたくなかった。彼の足を重くする一番の理由。彼の迷いの全て。その存在に気付きたくないのだ。
「まず君は妹を守らなければならない。もし、万が一、君がそんなのどうでもいいと思っているなら、僕はここで君の精神を叩き直さなきゃいけなくなる」
「……」
「確かに獣人郷には幼い子供一人残されても、生きていける仕組みになっている。でも、ピルスは君に捨てられたと思っているよ」
「あああああ!」
アキュアルの心が決壊した。思い出すまいとしていたことを思い出させられてしまった。溢れる涙が自分の罪を物語っている。
「一度帰ろうか? 一緒に謝ってあげるから」
アキュアルは涙を流し続けながら頷くことしかできなかった。
アキュアルの過去の話です。四人が出会った黒狼の少年は悩みを抱いていました。これから彼らは彼らなりの答えを持って、少年に助言を与えていくのですがそれは…、という流れになります。この話は結果より中身が重要ですからネタバレ平気です。




