引導①
戦闘開始の合図はありませんでした。ただ、お互いに剣呑な雰囲気を感じ取って、構えを取ります。それはつまり、臨戦体制に入ったという事。初撃はキリカナンからだでした。この空間にいる限り、魔法はお互いに制限された状態。つまり、必然的に肉弾戦となります。携えていた剣を鞘から解き放ち、唸り声をあげて獰猛にこちらに肉薄してきます。
「ぎゃはっ!」
「……ッッ!」
反射でスカート裏からナイフを二本取り出し、両手に構え、キリカナンの上からの振り下ろしを受け止めます。キン、と金属が叩き合う音が響き、それは二度三度と奏でられます。四合目で、私は身体を翻し、脚でキリカナンを蹴り飛ばしました。
ごふっ! と吐き血を散らしながら、彼は後退していきます。ここまでの一連に、ステータス差は関係ありませんでした。がむしゃらで粗雑な突撃に対し、技術でいなしただけ。例えるとしたら、剣を握り始めた弟子に片手で対処する剣の師匠のような手抜きの打ち合い。
そもそもとして、一度私に敗れた彼からすれば、私の職業は戦技も兼ねた戦闘メイドであると予測できるはずです。それなら、魔法以前に近接戦闘の心得ぐらいあって然るべきだと考えなかったのでしょうか? 魔法を封じたぐらいで、私を倒せるとでも?
――あ、そういえば今の私はアルシェードの姿でしたね。なら、これはアリスとしての私では無く、王太子であるアルシェードとしての私が舐められているという事だろうか。それとも、麻薬の影響が脳に深く浸透し、まともな判断も出来なくなっているのか。
「ちっ、舐めるなよッ」
怒号と共に、直ぐに第二手が迫ります。今度はさっきよりは、隙の無く幾分かマシな肉薄。しかし、ステータス差の影響で、彼の動きが止まって見えます。私は、一歩下がって彼の横薙ぎの攻撃を回避し、返しの拳を鳩尾にお見舞いしました。痛みの余りか、剣を握るその手から力が抜け落ち、そのまま剣は落下します。
「げほっ……」
「遅いな、止まって見えるぞ」
「ぐっ、舐めるな!!」
挑発に乗ったキリカナンが、拳を固めて私の顔目掛けて腕を振るいます。それが、罠だとも気付かずに。愚直で単調なその腕の軌道は子供でも止まって見えるのではないかと思う程に、読みやすいものでした。私は迫りくるその腕を両腕で締め、そのまま後方へ背負い投げします。
ビクビクと痙攣し、暫く床に倒れ伏したままのキリカナンでしたが、息を荒げながらも、腰を痛めた老人が起き上がるかのように悠長に身体を起こした後、後退りながら、信じられないものを見たかのような驚愕に満ちた表情を見せていました。
「あ、ありえないッ!! 俺は、騎士団長直々に稽古を付けてもらっていたのだぞ! あな……貴様如きに……負けるはずが」
「とても、騎士団長から教えを請うたとは思えない素人丸出しの動きだったぞ。それとも、よっぽどお前に才能が無かったのかね?」
「……黙れ!! この俺を愚弄したな!? ゆるさん、許さんぞ!! もういい、貴様がその気なら俺も容赦はせん。お戯びは終わりだ。絶対に殺す、灰も残らず殺す!! 」
キリカナンは、そう啖呵を切ると、懐から今度は何やら血の色をした禍々しい錠剤を取り出しました。その正体を察した私が彼を制止する声を上げる前に、彼は迷いなくそれを呑み込みこんだ。
次の瞬間、びりびりと漆黒の電撃を纏いながら、彼の身体は見る見るうちに。膨張していった。




