第164話 もうひとつの夢
☆
「––––はぁっ! はぁっ、はぁっ」
気づくと私は片手を床につき、ボロボロと涙をこぼしていた。
「お嬢様っ!」
聞き慣れた声とともに温かい腕が背中にまわされる。
「大丈夫ですか、お嬢様?!」
「う……うん。大丈夫……」
アンナの温もりに包まれながら、顔を上げる。
そして、理解した。
さっきまで私が見ていた光景。
あの魔法陣が描かれていたのは––––
「ここだったのね……」
目の前に佇む女神ディーリアの像。
その像の台座に刻まれた彫刻は、風化と損傷の違いはあれど、あの老人がココとメルを足元に寝かせていた台座のそれと全く同じものだった。
「あの……本当に大丈夫ですか?」
隣に跪いたリーネが声をかけてくれた時だった。
「ぐっ! ぐぅぅっっ……!!」
皆の右端で祈りを捧げていたテオが片手で顔を押さえ、もう片方の手で自分の胸のあたりを掴んで、苦しげに呻いた。
「ちょっと……貴方までどうしたの?!」
隣のオリガが近寄り声をかけると、テオは手で彼女を制し、ぶんぶんと首を振った。
「テオ?」
私の声にテオがこちらを見る。
その顔は私と同じ。
涙でぐちゃぐちゃだ。
そして––––
「レティ……っ」
ふらつきながらこちらに歩み寄り、恐る恐る私の手を取った。
––––まるで、私が本当にここにいるのか確認するかのように。
「よ、よかった……」
彼はさらに泣きそうな顔をすると、そのままその場に崩れ落ちたのだった。
☆
「……白昼夢を見たんだ」
帰りの馬車の中。
私とアンナの向かいに座ったテオは、先ほど取り乱したことが恥ずかしいのか、赤い眼を窓の外にやったままぼそりとそう言った。
「現実かと思うくらいリアルで、最悪な夢だった。––––無様なとこ見せてごめん」
顔を顰めてそんなことを言うテオ。
私は首を振った。
「無様なんて思わないわ。大聖堂で不思議なことが起こったなら、ディーリアからのメッセージかもしれないし」
「メッセージ? あれが??」
目の前の男の子が引き攣った顔でこちらを見る。
「わからないけど、その可能性はあるでしょう?」
実際、今世では一度も白昼夢なんて見たこともなかった私が、大聖堂では不思議な白昼夢を見ている。
それも、二度も。
一度目は半年前。
前世で私が処刑されたあとのハイエルランド王国と元婚約者の末路、そして私たち家族を罠に嵌めた黒幕の正体が示唆されていた。
そして今度は、そこからさらに数十年後の未来の光景。
あれは、どちらの未来なんだろう?
私が処刑された前世?
それとも私たちが生きる『今』……この世界線の未来なんだろうか。
いずれにせよ、私があのビジョンを見たことについては誰かの意図的を感じざるを得ない。
その『誰か』が女神か悪魔かは分からないけれど。
そんなことを考えていると、しばらく黙りこんでいたテオが苦々しい顔で口を開いた。
「メッセージか。もしそうだとしたら女神ディーリアは随分と悪趣味な伝え方をしてくる」
「悪趣味?」
「ああ、最悪だ。よりによって君が––––」
「私が?」
「……いや、なんでもない」
そう言って再び視線を逸らすテオ。
私はしばし逡巡して、こう尋ねた。
「私が死ぬ夢?」
その瞬間、テオはぎょっとした顔で私を見た。
「なんで分かったんだ」
「さっき『君が』って言ったじゃない。貴方の様子を見てたら、私に何かあるような夢だと想像がつくわ」
わざと核心をぼかす。
「……ごめん」
しゅん、と肩を落とすテオ。
その姿に思わず苦笑する。
「大丈夫よ。それより私はどうやって死んでた? 事故? 病死? それとも––––」
質問しながら、また核心から逃げる言い方をしてしまう。
––––怖い。
答えを聞くのが怖かった。
でも、避けてばかりはいられない。
「それとも、殺された?」
すっと目を細める、目の前の男の子。
「言わなきゃだめか?」
「聞きたいわ」
「でも––––」
「聞かせて、テオ。ディーリアのお告げかもしれないでしょ?」
私の言葉に、彼はため息を吐いた。
そして、その言葉を口にする。
「処刑されたんだ。––––僕の目の前で」
やっぱり。
そうじゃないかと思った。
大聖堂でのテオの動揺は相当なものだったから。
––––思わず私の手に触れるくらいに。
やっぱり、前世で私が処刑された時の光景だろうか。
それなら構わない。
その未来はもう回避した未来だから。
でももし私が知る光景でなかったとしたら……。
「…………」
確認する必要がある。
「ねえ、テオ。もし貴方が見た光景がディーリアからのメッセージだとしたら、私たちはその意図を知る必要があるわ」
私の言葉にテオは少しだけ考え、頷いた。
「そうだね」
「嫌な夢だったと思うけど、できるだけ詳しく話してくれる?」
「分かった。レティがそう言うなら、僕が見たことを話そう」
そうしてテオは、彼が見た夢について話し始めた。
☆
「夢の中で僕はハイエルランドの王都にいた。大勢の人間が広場に詰めかけていて、杖をつきながらその人波をかき分けて広場の中心に向かっていくんだ。……その時の僕はなぜか君が処刑されるって知ってた」
「杖をついてたの?」
「ああ。左半身が思うように動かなくてさ。脚を引きずってたんだ」
まさか……。
脳裏を古い記憶がよぎる。
(まさか、ね)
私はその考えを横に置くと、テオに向き直る。
「場所はサナキアで間違いない?」
「ああ。建物の隙間から王城が見えた。遠目だったけど、あれは確かにサナキア城だったよ」
テオは頷くと話を続けた。
「そうして前に進んでいって断頭台が見えた時、君の姿が見えたんだ。今の君よりずっと大人になっていて…………でもあれは間違いなく君だった」
「私は、どんなだった?」
「汚れたドレスを着て、手枷を嵌められて……顔を上げて一点を見つめてた」
テオはそう言うと怪訝な顔をした。
「どうかした?」
「いや、それが不思議なんだ。君の視線の先……貴賓席に知らない男が座ってたんだ。金髪の若い男だ。ハイエルランドの王家とは僕も面識があるはずなのに、おかしいよな」
そうか。
テオは知らないんだ。
『彼』の顔を。
テオがサナキアに来たのは『あの事件』から半年近く経ってからだものね。
「他には?」
「そいつの横に女がいた。どこかで見た気がするんだけど……」
『彼女』ね。
ナタリー・クランドン・グレイシャー。
前の夢が真実ならば、前世で私と大切な人たちを皆殺しにした黒幕。
そして迷宮国ではこう名乗っていた。
「ナターリエ・バジンカ」
「えっ?」
テオが驚きとともに私を見つめる。
「ナターリエって、学院にいたスパイの?」
頷く私。
「ちょっと待って」
目を瞑り、考え込むテオ。
そしてしばしの時間が流れ––––
「クネクネの金色の髪。時折垣間見えるそこの知れない目。––––確かに。雰囲気は違うけど似てるかもしれない」
テオが顔を上げる。
「言われてみれば、確かにあの女に似てる気がする。だけど––––」
黒い瞳がまっすぐ私を見つめた。
「レティ。君はなんで僕が見た夢の内容を知ってるんだ?」









