第161話 雲の大海原をゆく
☆
アストリッド領を飛び立った私たちは高度を上げ、雪雲を突き抜けて雲の上に出る。
「うわぁ!」
私の斜め後方を飛ぶリーネが、感嘆の声をあげた。
「これは……!」
「……すごい」
オリガとレナも同様に息をのむ。
足元には雲海。
頭上には何層もの雲が青空に浮かんでいた。
前世では度々飛行機に乗った記憶のある私でも、この光景には毎回圧倒される。
「雲の大海原だな」
隣を飛ぶテオの言葉に「そうね」と返す私。
大海原、か。
海上交易国家エラリオンの王子であるテオならではの表現ね。
なかなか詩的なことを言うじゃない。
私は心の中でくすりと笑った。
空気が薄く気温の低い空の上を私たちが飛べるのは、みんなのサポートベアに仕込んだ『飛行補助』の魔導回路のおかげだ。
この回路は起動すると使用者の周囲に空気の膜を作って外気を遮断し、内部の気圧と温度を保つようになっている。
至近であれば仲間同士で内部の空気を共有できるので、会話も可能。
実際これまでアンナと一緒に飛ぶときはそういう状態で会話していた。
だけど今回の旅で一緒に飛ぶのは六人。
魔力量の多い私とテオとリーネが、それぞれアンナ、オリガ、レナに魔力を供給しながら飛んでいる。
さすがに距離をおかないとぶつかってしまうので、前方組と後方組は五mほど離れて飛ぶように打合せていた。
では離れて飛ぶ私たちがなぜこうやって会話できるのか。
実は今回みんなを実家に連れて行くにあたって、私はサポートベアに新たな魔導回路を追加していた。
それは『魔導無線』の魔導回路。
名前こそ違うけれど、実は回路は『拡声』のものとほぼ同じ。あれを双方向にしたものだ。
原理はオリガにプレゼントした『魔力授受の腕輪』に近い。
送信機側で音の振幅を魔力の波長に変換して出力し、受信機側でそれを空気の振動に再変換する。
出力とノイズの関係で実用通信距離は今のところ百mくらい。
将来的にはフィルタを入れてもう少し距離を延ばしたいと思っているけれど、どのくらいまでいけるだろう?
私がそんなことを考えていると、後方を飛ぶオリガの声が聞こえた。
「ねえ、レティ。今さらだけど目的地の方向は大丈夫なの? これだけ目印が何もないとさすがに不安になるわ」
そういえば彼女は、迷宮国でも北西の内陸部の出身。
前に聞いた話では、船旅の経験もなくかろうじて港を見たことがあるくらい。
対して今私たちの眼前に広がるのは、見渡す限りの雲海だ。
それは不安にもなるだろう。
私はオリガを振り返った。
「大丈夫よ。ココとメルに方位磁針と航法装置が仕込んであるから」
そう言って自分の右目を指差す。
今、私の目には例によって高度計に速度計、方位、そして目的地の方向を示す三角の矢印が映し出されている。
さらに今回仲間と編隊飛行するにあたって追加の機能を実装し、視界の右下に自分を中心に仲間の位置が光点で表示されるよう改良を加えていた。
ようするに、一種の魔導レーダーだ。
みんなのサポートベアが放つ『魔導無線』の魔力波を拾って、その方向と強弱で位置を特定、表示する。
こうなるともう、フライトシミュレータというより3Dフライトシューティングの画面に近い。
「射撃してる時にも似たようなものを見た気がするけど……それ、すごい技術よね」
「色々制約があって、私にしか使えないけどね」
感心するオリガに、あははと苦笑いする私。
そう。
今のところこの多機能HUDは私にしか使えない。
–−−−というより、ココとメルにしか搭載できない。
なぜならこのHUDを実現するために、サブ回路を含め数十の魔導回路を並列動作させているから。
今の技術で普通にこの回路を組もうとすれば、会議用の大机いっぱいくらいの魔導回路基板が必要になるだろう。
ココとメルがこの回路を起動できるのは、二人が中型魔石を記録媒体とした大容量記録装置と、その管理能力を持っているからだ。
一度組み込んだ魔導回路を記憶し、動作させる能力。
オウルアイズ旧領のあの奇跡の夜に二人が獲得した力は、日々少しずつ成長している。
未だ他のサポートベアには発現していない不思議な力を、ココとメルは持っていた。
☆
「ここからは本当の大海原ね」
空に上がってしばらく飛ぶと、北海に出た。
人に見られる可能性が減り、雪雲も少なくなったので高度を下げる。
そうして海上を飛ぶこと数時間。
前にテオに教えてもらった、エラリオンの秘密の補給拠点が見えてきた。
「ねえ、テオ。いまさらだけど本当にあの島を使わせてもらっていいの?」
私の問いに、「うっ」と顔を歪めるテオ。
「ま、まあ、レティが使う許可は父上からもらってるし? 皆には正確な場所は分からないだろうし? きっと大丈夫だ。うん」
そう自分に言い聞かせるエラリオンの第三王子。
これはきっと『実家に帰ったら大目玉』ということだろう。
私たちのために彼がそんなことになったら、さすがに申し訳ないよね。
「エラリオンの王陛下には、私からお礼の手紙と魔導具を贈っておくね」
「……助かる」
珍しくしおしおしているテオを見てくすりと笑い、私たちは島に降下したのだった。
☆
「ベッドも何もないが、そこは勘弁してくれ」
先導して小屋に入ったテオの言葉に、オリガが首を横に振った。
「雨風が防げて暖が取れるんだから十分よ。迷宮の中と違って魔物に襲われる心配もないしね」
「野営に比べれば、天国ですよね」
そう言って笑うリーネ。
四ヶ月の学生生活と私たちとの経験で、彼女もずいぶんと逞しくなった。
今回私たちは、それぞれ二、三日は野営できるだけの荷物と携行食を背負って飛び立った。
飲料水は魔法で用意できるし、食べるものもある。
北海を一日で渡るのはみんなの負担が大きいので、当初の予定通り今日はここでお泊まりだ。
そうしてその日の晩は豪華なディナーとはいかないものの、硬焼きパンと干し肉、紅茶に甘味のビスケットで夕食をとり、みんなでにぎやかに過ごした。
「なんか『合宿』って感じね」
端の席でぼんやりとしているレナに話しかけると、彼女は分かるか分からないかというくらい僅かに微笑し、
「来てよかった」
と呟いたのだった。
☆
翌朝。
朝食をとった私たちは荷物をまとめ、再び空に舞い上がった。
目指すのは私の故郷がある北大陸。
約五ヶ月ぶりの帰省になる。
「あっ、あれっ!」
真っ先に陸地を見つけたのは、リーネ。
彼女が指差す先に目をこらす。
「あれは……聖国の北の玄関口、セレステポルテね」
美しい白い石で築かれた港町が、その姿を現したのだった。









