「送り火」「楽園行き」(ウルトラQ dark fantasy)
最近、お気に入りユーザーの作品から影響を受け、死生観について考えるところがあった。今回はそんな考えの中で思い出した「ウルトラQ dark fantasy」の二つのエピソード、「送り火」「楽園行き」について。
まずは前者、「送り火」のあらすじから。
「フリーカメラマンの楠木涼は、連続する変死事件を追っていた。入院患者が四人連続で原因不明の死を迎え、現場では必ず黒頭巾の謎の男が目撃されるという。
そんな中彼女は、ヒタキという少年と出会った。身寄りが無く、パフォーマーの老人と共に旅をしながら暮らしてきたという彼は、つい最近その老人と死別している。
『死んだよ。俺の初仕事。それで一人前ってわけ』
四人の変死前に死亡していた、奇術やメイクの道具を持っていた老人。変死した四人と共通する、仏のように安らかな死に顔。『送り火』と呼ばれた、触れた相手を死なせる力を持った一族。小銭ばかり持っていたヒタキと、変死者の元から無くなっていた金銭。
取材の最中に見聞きした情報が涼の中で一つになる。ヒタキは『送り火』で、四人と一人をこれまでに死なせてきた。これからもう一人、手に掛けようとしている。
彼を止めようと涼は走る……。」
『送り火』はどういった存在なのか。ネタばれになる事柄だが、今回の話には必要なので付け加える。
彼らはただ人を死なせるわけでは無い。伝承にも「安らかな死を与える力を持っていたが、その力故に恐れられた」と伝えられている。
原風景、ヒタキは作中「マザーランド」と呼んでいたそこに、送り火は死に行く人を連れて行く。一番最初の、優しい記憶がある場所。
作中でヒタキが最後に死なせた老婦人のマザーランドには、「今は無い生家に続く小道や桜の木、故郷の原っぱ、夕方の台所で晩御飯の支度をする母親」があったと彼は言う。
また『送り火』は、最初の仕事をする際に自分のマザーランドを失う。涼は「何故自分の帰る所と引き換えにしてまで、他者に安らかな死を与えるのか」とヒタキに質問したが、彼の答えは「自分を必要としている人がいる。それが分かるからだ」という物だった。
作中に出てきた『送り火』の伝承を描いた絵巻には、役人に連れて行かれ打ち首になった「送り火」が描かれていた。そうなった同胞を見ても尚、彼らは細々と活動を続けてきたのだろう。人には「マザーランド」が必要だから。
後者の「楽園行き」は、全く雰囲気の違う話だが「どういう最期を迎えるか、迎えたいか」という点では共通したものがある(と筆者は思う)作品だ。
「失踪した父、四郎を探して欲しいとその娘である喜代子に頼られた雑誌記者の剛一は、奇妙な内容の書かれた四郎の業務日誌を受け取った。仕事一筋だった四郎が、仕事が無くただ出社退社を繰り返してストレスを溜める様子が伺えたそれを頼りに、剛一は彼の足取りを追う。
『楽園』の噂、『配達人』にコンタクトを取れば連れて行ってもらえるというそこに、四郎は行ったらしい。
小石を使った目印で、コンビニ等の店舗は『配達人』と取引を行う。食料をはじめとした生活雑貨と引き換えに、『ビデオテープのような物』を引き渡す取引を目撃した剛一。
配達人の後を追い地下へと向かった彼は、複雑な道筋を経て『楽園』へとたどり着いた。名前からは想像できない程に寂しいが、とても大きな地下空間。『配達人』は地上で得た物資と引き換えに、そこの住人から『ビデオテープのような物』を受け取っていた。
その光景を撮影して住人たちに捕まった剛一は、その中に探していた四郎を見つけた。
彼の口から語られる、『楽園』がどういう場所かという説明。そこは建設が中止された地下街跡で、配達人だけが地上と行き来できる。『ビデオテープのような物』は開発途中で廃棄された超高性能バッテリーで、これを使い盗電した電気と引き換えに彼らは必要な物を得ている。
何も無いシンプルな場所。そこで彼らは、ただ最期の時を待つ。娘の為に、地上へ戻ってくれないかと剛一は言ったが、四郎はそれを聞かない。
楽園の住人を脅かす者たち。毒ガスや殺人ロボットを使い彼らを追い立てる「ネズミ捕り」に、剛一と四郎も追われる。四郎は剛一に「逃げろ」と、そして地上に戻れたら娘に「私は幸せに暮らしている」と伝えて欲しいと言い、彼らに立ち向かっていった。」
『楽園』の住人達は、「死を待つ安楽の園」だからそこは『楽園』なのだという。このあらすじを書くのに使用した小説版では、「ネズミ捕り」たちはおそらく兵器開発をしている者たちであり、そんな彼らが用意した実験場が『楽園』なのではないかという推測が語られていた。
生存した楽園の住人が、かつて四郎がした試算を思い出し涙を流す。彼は、四郎ほどに絶望できていなかったのだろう。
『楽園』の住人がそこに住むのは、「どん底を諦めきって怠惰に終わった生に、自作自演で救いを授けるためだ」とも、小説版では表現されていた。
『送り火』の与えるそれとはまた違う、逆のベクトルでありながら似たような救い。与えてくれるものがいないなら、自分でそれを作り出すしかない。
「幸せというのは自分自身で見出すものであり、他者から与えられるそれを幸せと思い続ける限り、絶対に幸せにはなれない」という言葉をどこかで見聞きした覚えがある。
そういった価値観で言うならば、『送り火』に手を引かれた人々とはまた違った形で、『楽園』の住人達も幸せなのではないかと思う。
はっきりとは覚えていないが、マンガ版では「しがらみに縛られないシンプルな生活や、楽園を守るために死ぬことによる幸福」という側面が強調されていた覚えがある。
どんな形であれ、死者には安息という救いが必要なのだろう。




