277話
光の精霊は、丸顔の小柄な女性の姿をしていた。
髪は金髪で目が大きく、顔の中心に顔のパーツが寄っている。
「どうなの? 光の精霊にあった気分は」
光の精霊は倒置法で話すようだ。胸を張ってツンと斜め上の方を見ている。威厳があるように見せたいのかもしれないが、顔が愛らしいので無理をしているように見えてしまうんだよなぁ。
「別にどうと言われても、ちゃんと仕事はしているようですし、クビにする気はありませんよ。正直、もともとこの依頼も意味わからないですしね」
「投げやりね、駆除人は。違うみたい、風の妖精たちの話とは」
「ダンジョンマスターである光の精霊にはわからないかもしれませんが、世界は驚きに満ちていますよ。良くも悪くもね」
「ショックなの。こんなに簡単にダンジョンが攻略されるなんて」
「え? ああ、すみません。あまり考えずに走っていただけです」
「打ちひしがれているわ。走っていただけなんて言われて」
光の精霊はメンタルが弱いのかもしれない。
「それは、なんか申し訳ないです。ちょっとやけになっていたのかもしれないです」
「やけに? なにか問題? もしかしてあなた、私になにかお願いする気? やめてよー! 敵国とか滅ぼせないしー、愛する人を生き返らせることもできないわよー」
光の精霊は仰け反りながら一歩下がった。動揺して、倒置法を忘れている。口調が定食屋のおばちゃんのようになってしまった。光の精霊になにかお願いする人が多いのかもしれない。
「いや、別に光の精霊にお願いしませんよ。ちょっと自分の身体のことで問題があっただけです」
「あ、そうなの。なら、いいけど。身体? 身体ね。まぁ、そんだけ異常なレベルですもの、身体に異変くらいあるわよね」
「え!? そうなんですか? レベルのせいで、EDになっちゃったんですかね?」
「ええっ!?」
数秒、お互いに止まってしまった。
「いや、あのぅ……ちょっと生殖機能が不全になってしまいまして、相談する相手も見つからずに、ちょっとやけになっていた次第でして……」
初対面の光の精霊に俺はなにを言っているのだ。
「そうなの……驚いたわ。へぇ~、驚きではあるわね、それはね。人としてはそれはショックよね」
「ええ、まぁ」
「そう。でも、私たち、精霊や悪魔なんてそもそも生殖機能がないわよ。それでもやっていけるんだから、大丈夫よ」
バシンと肩を叩かれた。急激に近づいてくる近所のおばさんのようだ。
「でも、俺、精霊とか悪魔じゃないですからね」
「やっぱり神々と関わりすぎたために精霊に近づいたのか、それともレベルとか経験値が与える影響によってそうなってしまったのか、正直、そんなレベルになってしまった人間を見たことがないからこの世界における初めての症例でしょうね」
俺は自分の冒険者カードを裏返してレベルの欄を見ると369となっていた。「菩薩か!?」と思わずツッコんでしまった。
光の精霊の話によると原因は予想できるのかもしれない。
「神々から離れたり、レベルを下げたりしたほうがいいってことですよね」
「やってみないことにはわからないけれど、そういうことよね。あとは、まぁ、私たちと同じようなことをするしかないかもしれないわね」
「同じようなことですか?」
精霊たちがやっていたことってなんだ?
「人化の魔法を習得するってことですか? 人である俺が?」
「いや、肉体を手に入れようとしていたでしょ。私もチラ見だったからよくは知らないけど、土の精霊も水の精霊も、火の精霊も人に化けたり、人の体を手に入れようとしていなかったかしら?」
そういえばそうだった気がする。
「あなたは、他の世界からこの世界に来たのよね? 魂を運ばれて?」
「そうです」
「それで魂を適当な身体に移し替えられ、転生してきたのよね?」
「少し前に神様たちから、その説明を受けました」
かなり衝撃だった。まさか親の顔と同時に自分の顔すら忘れていたとは。
「名前だけでも残って良かったですよ、本当」
「そうねぇ。だから、また同じことをすればいいのよ」
光の精霊にそう言われても、一瞬、理解が追いつかなかった。
「ん? 新しい身体を用意して、魂を移し替えるってことですか?」
「そう! 魂の引っ越しね」
それってやっていいことなのか。そもそも生物として、自分の遺伝子を残すために生殖行為をして、子を成すわけだから、そんなことして意味あるのか。
「あれ? ちょっと待って。俺、この世界に来た時点で、自分の遺伝子残せなくね?」
肉体がないのだから当たり前だ。
「そうね」
光の精霊にはっきり言われてしまった。
「借り物の身体で借り物の遺伝子を残すことって意味があるんですかね? 俺的に」
「それは、人それぞれ考え方の違いがあるからなんとも言えないわね。肉体を手に入れた時点で、魂も同化して自分になるわけだし。私も一度身体を手に入れたことがあるのよ、脆くてすぐに壊れてしまったけど。でもあの人の不自由さと命の多幸感は忘れられないわ」
光の精霊が言うと素敵なことのように聞こえる。
生物としての話をしているんだけど、どうも精神的な話になってしまう。
「ん~また、悩みが増えてしまいました」
「そうなの? 神々に弄ばれて光の精霊にも弄ばれたわね。うふふ」
笑ってるよ。
違うアプローチをしなくては騙されてしまいそうだ。人の願いをたくさん聞いてきたことだけはある。
「たとえ、肉体を入れ替えるとしても、どうやって肉体を手に入れるんですか?」
「それは……」
「まさか、まだ自我も目覚めていない子供攫ってくるわけにもいかないでしょう? そういえば、邪神が北極大陸のダンジョンから肉体を見繕ってきたって言ってたんですけど……?」
「ああ、生き物に関してはヨハンが担当だから。そうだ! 彼に聞けば、レベルによる肉体の変化もわかるかもしれないよ」
「生き物? 生き物って言いました? 今」
「い、言ってないわよ」
光の精霊が明らかに動揺したように、目をそらした。
「魔物ではなく、生き物って言いましたよね?」
「ほら、南半球にいる魔石が入っていないものに名付けていたじゃない。あ、あ、あなたにわ、わ、わかりやすく、言っただけよ」
しどろもどろだ。
「もしかして人間を作ったんですか?」
「さ、さあ? ヨハンに聞いて頂戴、それは」
ダンジョンでは魔物を発生させられるようだが、人間も作れるのか。そんなことしていいのか。タブーを犯している気がする。前の世界でも技術はあれど、倫理的に人間のクローンは作ってはいけないことになっていたはずだ。
「ただ、どう考えても7回も心臓手術を受けちゃってるおかしな大富豪ってのがいたからなぁ」
人間の好奇心がまさるというのか。
「精霊なのに、そんなことをしていいと思ってるのか?」
俺は攻め時とばかりに、光の精霊に迫った。
「私は光の力、人間がすることに関われない部分だってあるわ。知りたければ、光の勇者に聞くことね」
さらっと逃げられてしまった。
「クビの理由にはなりそうですけどね」
「できるものならすればいいわ。でも、明日の日が昇らないかもしれないけど、それでもいいの?」
「水の精霊をクビにしても水はなくなりませんでした」
「光は人間の誕生よりも前にあるのよ。あんな神の分際で……あなただって、きっと正体を知ったらバカげていると思うわよ!」
神の正体って邪神も言っていたなぁ。なにか関係しているのか。
「しゃべりすぎたわ。残念だけど、これでおしまい。出入り口はポーラー族の基地だったわね。それじゃあ」
急に足元に魔法陣が浮かび上がった。たぶん空間魔法。俺を飛ばす気だ。
「ちょっと待って、もう少し話を!」
「今度は迷路をもっと難しくしておくわね」
そう言った光の精霊が残像に変わり、俺はいつの間にか基地の地下に飛ばされていた。
目の前には見たことのあるダンジョンの門。俺は尻もちをついて幾何学模様が施された門柱を睨んだ。
周囲にいたポーラー族は突然現れた俺に驚きすぎて声を失っている。サメの魔物の解体で汚れた床や壁をモップで洗っているところだったようだ。なぜクリーナップの魔法陣を使わないのかはわからない。
「ヨハンはどこにいるかわかる?」
俺はクリーナップで床と壁をキレイにしながら、近くにいたラッコ顔の青年に聞いてみた。
「族長室」
ラッコ顔の青年は指を差して教えてくれた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
互いにお礼を言って、俺は族長室へと向かった。
コンコン、バン。
ノックはしたが、返事を聞かずに中に入った。
そこにはショーンさんとヨハンの他に、なぜかうちの社員たちが勢揃いしていた。
「なにやってんだ? お前ら」
「いや、やけになったナオキが基地を襲ってやしないかと思って慌ててダンジョンから戻ってきたところだ」
長い付き合いのアイルは察しがいい。
「やけにはなったが、誰かに危害を加えるわけないだろ」
「私もそう言ったんだけど、裸踊りを教えたりするんじゃないかって言われて否定できなかったんだ」
今度はベルサが答えた。
「確かに、自分のことを一気に明かされて動揺しているのは否めないが、そんなに俺はいつもわけのわからないことばかりやっているのか?」
「「「「うん」」」」
社員全員が頷いた。
「わかった。少し落ち着くよ」
そう言って、大きく深呼吸をした。
「謝ろうと思って。僕たちまで笑ってしまいましたが、考えてみれば男として深刻な事態だなと」
「女の私には全くわかりませんが、深刻なことは理解できます」
セスもメルモも俺の症状を理解してくれたようだ。
「それは、うん、笑われたのはショックだけど、それは今ちょっと置いといて。ヨハン、お前、ダンジョンで人間を作ったことあるか?」
「ええ、作りましたよ。ただ、魂の入っていない全然使えない代物でしたけどね。そのためにわざわざ死者の国からネクロマンサーまで連れてきたっていうのに、完全に失敗しました。どうにか助手が欲しかったんですけどね」
「俺は、たぶんその使えない代物の1人だ。いや、肉体だけな」
「えっ!? あ!? え!? 髪だって生えてるし、顔も……あ!? 顔が!? いや、だってシワもないし、ええっ!?」
ヨハンは、あからさまに動揺している。
「ナオキさんって、転生者だって今聞いたんですけど、いつ転生してきたんです?」
「3年くらい前かな」
「3年くらい前!? 確かに一体だけ消えたことがあったような」
「ヨハン、お主がネクロマンサーを連れてきたのは3年前じゃぞ」
ショーンさんがヨハンに教えた。
「だったら符合する! まさか!? そんな!?」
ヨハンは驚きすぎて、椅子から転げ落ちている。アイルたちも衝撃だったようで「ダンジョンから生まれたのか?」などと引いている。
「驚いているところ悪いんだけど、説明してくれ。その出来損ないの人間たちは経年劣化はするのか?」
「そりゃ生きていれば劣化くらい普通の人間だってしますよ。正直忘れていた研究ですし、失敗した時点で燃やしましたけど……でも、肉体としては完全に動いていたはずで呼吸だって……」
その肉体を邪神が盗んだのか。
「じゃ、じゃあ、レベルが上がると人間の肉体に異常は起こり得るのか?」
「程度にもよりますよ。ドアノブ壊すくらいの力加減の異常は見られるので」
「そう言うんじゃなくて、肉体内部の機能不全のようなことは……経験値がなにか悪さするとかさ?」
落ち着いたはずなのに、だんだんまた興奮してきてしまう。
「いや、経験値ってのは種における殺された経験の値ですからね。そういうんじゃないと……」
ヨハンがわけのわからないことを言った。
「何言ってんだ?」
「なにって経験値ですよ。あれ? 北極大陸以外で経験値って解明されていないことになっているんですか?」
そう聞かれて、俺はアイルたちを見た。アイルたちは全員首を横に振り、「知らないよ」と言っていた。
「え!? そうなんですか? まぁ、でも現実を分析すれば自ずと答えが見えてきますよ」
「いいから教えてくれ」
俺の問題につながるようなことは、とにかくなんでも知りたい。
「自分が倒した魔物の量や強さに比例するんじゃないのか?」
アイルがヨハンに聞いた。
「だったら、たくさん殺す肉屋や漁師が高レベルの勇者になっていないとおかしいじゃないですか。冒険者は皆、老人のほうが優秀になってしまいます」
「魔物を倒した者の経験の値ではないのか?」
今度はベルサが聞いた。
「だったら、経験するごとに経験値は下がるということですね? だったら忘れんぼうの少年か老人が最も経験値をもらえるということでは? いつでも新しい経験をしているつもりの人が高レベルの者ということですかね。冒険者ギルドで調べてみても、忘れやすいこととレベルに相関関係はありませんでした」
ヨハンは経験値の研究をしていたと言っていたな。
「つまり、経験値とは倒している側ではなく、倒される側によって決まるということだと思います。えーっと、経験値が多い魔物ってどんな魔物かわかります? だれでもいいんで答えてください」
ヨハンが部屋にいる者全員に聞いた。
「強い魔物」
「珍しい魔物も、かな」
アイルとベルサが答えた。
「そのとおり、両方正解です。この両者の共通点は殺された経験が少ないことですよね?」
「だから経験値が多いっていうのか?」
俺がヨハンの方に身を乗り出した。
「そういうことですね」
そう言われても、あまり納得がいかない。
「もうちょっと説明しますか。誰がどうやって経験値というものを決めているのか?」
「神とか邪神とかかな」
俺が答えた。
「概ね、そうだと思います。経験値やレベルは神や邪神が作ったシステムです」
そういや、スキルについて神様が俺に聞いていたことがあったな。それで悪魔の残滓を消したことがあった。もしかしたら経験値は邪神の領分か。
「とすれば、もうおわかりでしょう? ナオキさんが僕に教えてくれたことですよ」
「は? なんだ? なにか俺は教えたか? 娼館の選び方とか?」
「違います。セックス、いわゆる交配ですね。交配があるということは、必ず突然変異が生まれるということです。突然変異と突然変異が交配すると、なにが生まれますか?」
ようやく俺は気づいた。
「新種だ。新種の経験値は誰がどうやって決めるのか? 神か邪神? でも、それって世界中で起こっているだろ?」
「そうです。たぶん、1日に少なくとも3000種以上が生まれていると思います。そのうち9割がその日のうちに死んでしまうでしょう。自然は弱肉強食、日が経つごとにさらに減少していくでしょう。それを一々、神や邪神が『お前はそうだなぁ、経験値としては2くらいかな』とかやってると思いますか? それだけで日が暮れますよ」
「思わないな。俺なら一定の数字を決めて、変動させる……それが種における殺された回数ということか……」
「そういうことです。フィールドボアやグリーンディアは多く殺されていますから、ほぼ経験値はないでしょうし、多くの戦争をしてきた人もまた然り。肉屋も強盗も経験値を稼げない」
ヨハンは大きく頷いた。
「ちょっと待ってくれよ。だったら、もっと強い魔物がうじゃうじゃしていないとおかしくないか?」
アイルがヨハンに聞いた。
「確かにそのとおり。新種を殺した魔物には多くの経験値が入る。経験値が入ればステータスも上がる。ただし、細胞を作り出すタンパク質や骨ができていませんから、そこに膨大な魔力が入ると……」
ヨハンは自分の手をパンッ! と叩いた。
「爆発して弾け飛んでしまう。新種を殺した魔物はたいていその場で死にます。まぁ、大きな魔物は繁殖の周期も遅いですから、新種は虫の魔物や魚の魔物が多いんですけどね」
「だったら漁師はレベルが上がるんじゃ……?」
俺はそう言ってセスの方を見た。
「漁師はほとんど決まった魚しか獲りません。変な魚の魔物は海に返します。漁期が決まっていますし解禁日前に漁をすると組合に怒られますよ」
セスが説明してくれた。
「うちの会社の場合は、あんまり関係なく音爆弾で獲ってましたからね。それでレベルの上がりが早かったのかぁ……」
セスは納得したようだ。
「まぁ、全て僕の仮説ですが、一応珍しい魔物というか新種に近い魔物については、フィールドワークをしてレベルが上がりやすいことは証明していますよ」
殺された経験が少ない魔物の種が経験値が多く、殺された経験が多い魔物の種が経験値が少ない。反比例のようになっているのかな。
俺もなんとなくわかってきたが、じゃ、俺はこの世界に来た当初、どうしてあんなにレベルが上がったんだ?
ガタン!
「おい! メルモ、しっかりしろ!」
アイルが叫んだ。
壁際にいたメルモが床に倒れていた。




