276話
朝方、俺は「ごめんね」と言ってミリア嬢を抱きしめた。興奮しているヨハンはちょっと強めに黙らせておいた。あってよかった、回復薬。俺もかなり動揺している。
「恐怖にずっと曝されている冒険者さんには、よくあることよ。気にしないで」
そう慰めてくれたが、恐怖はしばらく感じていない。原因はそういうことではないようなのだ。
「また来てね」
「必ず、また来る」
俺はそう言って、気絶しているヨハンを空飛ぶ箒の柄に引っ掛けて空へと飛んだ。
上空は風が強く、俺は魔力の壁を張って、流されるままに北へと向かった。
「はぁ~情けない」
昨晩、俺は魅力的な裸の女性を前に勃たなかった。
やる気も十分。特に緊張をしているわけではなく、ただ元気にならなかった。
まさか、こんな若くしてEDになるとは。もっと性生活を楽しむはずだったのに。
愛する人を喜ばせたかったのに。いずれは子供だって……。
「まいったなぁ~」
前の世界で、よく女に騙されていた俺に、仕事の先輩が『全国の風俗嬢が俺の彼女です!』と宣言し、『彼女、紹介してやるよ』といろんな大人のお店に連れていってくれた。なんとも寂しい先輩と思うかもしれないが、俺にとっては最高にカッコイイ人だった。どうせ俺は一生女に騙されるんだろうなと思っていたが、そういう人がいたお陰で悲観的ではなかったように思う。
この世界に来た当初、女性の貞操観念がゆるいことには面食らった。奴隷とかがいたからそう思っただけかもしれないが、チャンスが多かったように思う。ただ、自分の中で、病気が怖いとか、避妊具がないとか、後々面倒なことになるとか、した後、捨ててしまえるほどの心の強さを持っていないとか、理由をつければキリがないが、とにかくあまり気持ちが乗らず、女性とセックスはしなかった。南半球ではメリッサとも一緒に風呂に入る仲だったのに、子供ができたら仕事しなくなると思ってしなかった。
昨晩は、お誘いいただいて恥をかかすわけにはいかないと思っていたので、早々に気分を上げていたのだが、結果はこの有様。なんとも情けない。気分ではなく、いつの間にか身体が反応しなくなってしまった。罰が当たったのだろうか。誰からの罰だ?
「神様か? ちょっと問いただす必要があるな!」
俺は急いで北極大陸に向かった。
風に乗ったためか、丸一日で北極大陸には辿り着いた。強風に煽られたりもしたが、あまり気にならなかった。強風より俺の身体に大問題が起きているのだから。
よく眠っていたヨハンは北極大陸で起きると、「いやぁ~、なにからなにまで本当にありがとうございます!」と何度もお礼を言ってきた。
「ヨハンも、もし自分のようなやつがいて、動けないでいるようなら同じことをしてやってくれ。男の約束だ」
ヨハンは涙を流して固い握手をしてきた。
「基地に帰ったら、ちゃんと今までのことを族長に説明しろよ」
「はい」
俺は神様に連絡を取るために通信袋に魔力を込めてみたが、いまいち反応しない。神々に見捨てられた種族の土地だからか?
「なぁ、基地の中で教会ってある? もしくは宗教学を研究している人っているか?」
「教会はないと思いますよ。ポーラー族はほとんど神を信じてませんし、宗教学の研究者も僕が知る限りは……一番近いのはセイウチさんでしょうか?」
セイウチ顔のお兄さんはセイウチさんっていう名前なのか。
「生命の研究をしていて、牙が特徴的な人か?」
「そうです、そうです」
まんまじゃないか。
ちなみにゴマフアザラシ顔のお姉さんはコマさんというらしい。
基地の入り口で、クリーナップの魔法陣により身体をキレイにされ、中に入る。すぐに人が集まり、ヨハンが囲まれた。
「よう帰ってきたな」
族長のショーンさんがヨハンに声をかけた。
「皆様、ご心配をおかけして申し訳ありません。光の勇者・ヨハン、ただいま大人になって帰ってまいりました」
「「「おぉ」」」
と、どよめきが起こる。
そんな大層なことなのか。
俺はヨハンをショーンさんたちに任せ、セイウチさんを探した。皆ヨハンが引きこもりから脱出し、さらに大人になって帰ってきたことを祝福して拍手を送ったりしている。
「大人ってなんだろうな」
年齢が到達したり、童貞や処女を喪失したり、汚れちまった悲しみとか知ったりすると大人になるのか。祝福ムードとは裏腹に、俺の胸には嫉妬や情けなさなどが入り混じった感情が渦巻いていた。
近くを通ったポーラー族にセイウチさんの研究室を聞き、訪ねてみると、ちょうどクマムシの魔物を観察しているところだった。机の上にはガラス瓶に入った小さな魔物と、顕微鏡。前の世界で見た顕微鏡とよく似ている。他に小さなプレパラートのようなものや中で魔石が回る提灯のようなものなどよくわからないものまであった。
ガラス瓶の中の魔物がガサゴソと動き回っている以外の音は聞こえない。
「お、帰ってきたか。おかえり。どうだった?」
セイウチさんは俺が暗い表情だったためか、心配そうに聞いてきた。
「ヨハンはうまくいきましたよ」
「そうか、良かった。ヨハンは? 君はうまくいかなかったのか?」
「ええ、ちょっと問題がありまして。セイウチさん、ここに神様を拝むような場所ってありますか? 神様の像でもいいですけど」
俺がそう言うと、セイウチさんは部屋の隅にあったガラクタ置き場をガサゴソと漁り、ワインのボトルくらいの大きさの青年像を取り出した。
「これは前に、この基地に滞在していた人族の青年が作った神の像だ。ほしければやるよ。他に崇める者もいないし」
神様はポーラー族に人気がないな。
「ちょうど休憩時間だ。拝みたければこの部屋を使うといい」
そう言ってセイウチさんは俺を残して部屋を出た。ひとりにさせてくれたらしい。
俺は机に神様の像を置き、祈るように手を合わせた。
「まいったよ。神様」
「ん? んん~コムロ氏、どここれ? ずいぶんと遠くでしょ?」
小さな青年像こと神様が甲高い声で話し始めた。
「遠いよ。遠いけど、それどころじゃないんだ」
「ああ、見てたよ。邪神と一緒にね」
「覗きなんて悪趣味だな」
「神々にはそういう仕事もあるんだよ。僕は賭けに負けたよ」
賭けるなよ!
「それでどうしろって? 回復薬でも治せない症状は僕にもよくはわからないよ」
神様は机の上であぐらをかいて、瓶に背を預けた。
「神様か邪神が俺に罰を与えたわけじゃないのか?」
「そんなことをしても意味ないでしょ。罰が当たったとすれば僕らのほうだろうね」
「どういうこと?」
「僕はコムロ氏の魂を盗んだからね。まぁ、運んできたのは空間の精霊だけど」
魂?
「肉体は邪神が適当に見繕ってきたんだ」
「え? 魂と肉体を揃って地球から持ってきたんじゃないの?」
「いや、だって、肉体は死んじゃってるしさ、重いでしょ?」
俺、もしかして自分の顔が変わってるのにわかってなかったってこと?
「それは僕がちょっと記憶をイジっただけだよ。そもそも無精髭のコムロ氏はあまり鏡を見ない生活をしていたでしょ? 結構楽だったよ」
神様が俺の心を読んで答えた。確かに、清掃・駆除は基本夜の仕事だったし、客に顔を見られるということもほとんどない。鏡は顔を洗って歯を磨く時に……見てないか。顔は洗えればいいし、歯はスマホを見ながら磨いていた気がする。それ以外で鏡を見るような瞬間って、生活の中でないのだ。
身だしなみを気にしてなかったのはヨハンではなく、俺の方だったようだ。しかも自分の顔を忘れるくらい。
「でも、いいんじゃない? 仕事のやりがいはあるし、日々世界を回りながら面白く旅をしているでしょ?」
「そうなんだけど、神様、俺、思っている以上に仕事のモチベーションとかだだ下がりだよ。やる気ゼロよ」
「えー、そんな重要だったの?」
「俺も大人だから、こんなことで仕事は辞めたくないですよ。ただね、勇者を駆除してやろうとか思わないですね、今は。そもそも光の精霊は、今日もお日様で地上を照らしているわけだし、ダンジョンマスターくらいやらせておいてもいいんじゃない?」
「ギャハハハハ! コムロ氏は相変わらず、我々の予想の斜め上を行くな!」
青年像が急に真っ黒になって笑い始めた。
邪神に変わったようだ。
「やけになって北半球ごと破壊して回ってもいいんだぞ?」
邪神は片頬を上げて、笑った。
「それはあまりにも意味がないよ。そこまでやけにもなっていない。自分のことだし、できれば、解決できるようなら解決したいけどね」
EDには治療法があるって、前の世界のサッカーの神様が言っていた。俺はそっちを信じよう。
「いいことを教えてやる。光の勇者を拷問すれば、コムロ氏の体の秘密もわかるぞ。いや、光の精霊でもいい。俺は北極大陸のダンジョンからコムロ氏の肉体を盗んだんだ」
邪神は悪い笑顔でそう言った。
「おい! 邪神、どういうことだ!?」
「我々が見捨てた奴らを調べろ」
「やめろよ、邪神! 我らの正体がバレてしまうぞ!」
今度は神様が言った。同じ青年像だが、神様と邪神が入れ替わると、色が黒から白に変わる。
白い青年像はすぐに黒く変化して、立ち上がった。
「コムロ氏なら、我らの正体など、すぐにたどり着くさ。コムロ氏。お前はよくやってくれた。もう、我らに構うことはない」
「コムロ氏! 邪神の言うことは聞くな! 加護が消えるよ!」
「我らの加護など気にするな! 自分の好きにやってくれ。その方が俺も面白い。ギャハハハ」
青年像は黒や白に何度か変化して元の木の色に戻り、全く動かなくなった。
「なんだったんだ? ヨハンが俺のことを知っている? ん~……」
邪神が面白いっていうんだから、どうせ碌なことはない。
ただ、神様もかなり慌てているようだった。
「はぁ~神様の正体もどうでもいいし、勇者駆除の依頼もどうでもよくなっちゃったなぁ」
前の世界も含めて仕事へのモチベーションがこれほど落ちたことはない。
常日頃、「悩む前に手を動かせ」を信条としている俺らしくない。
「これじゃあ、まるでバカだ」
俺は椅子の背もたれに身体を預け、深呼吸をした。
このままなにもせずに朽ち果てても意味はない。
いったい俺はなんなんだ? この世界に来た理由は神々が与えてくれた。勇者駆除。それはいい。
だが、俺は俺についてなにも知らなかった。まさか自分の顔すら忘れていたとは。この世界に来た当初は、仕事をして生き残るのに必死だった。
アイデンティティは仕事だったのだ。その結果、身体に不調が現れ始めた?
いや、それはまだわからない。
まずは自分の身体について知ろう。そして世界を知ろう。前にいた世界とは違うのだから。
幸いなことに相談相手になりそうな社員たちもいるし、相談してみるのも悪くないと思う。
俺は部屋を出て、ダンジョンへと向かった。
社員たちは俺がやり残していたヨハンの家の掃除をしていた。
俺がEDになっていたことを打ち明けると、「それは大変だったな」とアイルが肩を叩いてきた。
そして、誰かが「プッ」と噴き出すと、全員が爆笑。
「いや、すまない。絶対、調子に乗って帰ってくると思ってたから、こっちは無視して仕事していようと決めていたんだけど……」
「まさか、予想外のことを言うもんだからさ」
アイルとベルサは目に涙を浮かべて笑っていた。
「社長、そんな深刻な顔でなにを言ってるんですか?」
「これ以上、社長の真面目な顔は見れません」
メルモとセスは腹を抱えている。
「いや、男としては結構深刻なんだよ。仕事へのやる気もなくなるしさ」
「あーはいはい。わかったわかった。それ以上言うなって」
「ちょっとしばらく私たちにだって受け止めさせる時間をくれ」
古参の2人は完全にバカにしている。メルモもセスも俺と目を合わせないようにして、笑っている。
「お前たちに相談するんじゃなかった!」
俺はヨハンの家を飛び出した。
結局は自分の体のことなのだから自分で解決するしかない。
なんとも気が晴れず、気を紛らわせるためダンジョンの中を走った。
このダンジョンのいいところは全力で走っても、誰も見ていないところだ。迷路やバカでかい部屋、強力で巨大な魔物、集団で襲ってくる魔物なども見かけたが、俺はただ自分を追い込むためだけに走った。ただ、レベルのせいで疲れにくくなっていて、追いかけてくる魔物もいなくなってしまう。
ダンジョンの光る鉱石もなくなり、暗闇の中ひたすら走っていて、走っていることの意味を考え始めた頃、目の前に光が見えた。
「来たのね。神々に弄ばれた男が」
光の中から、女の声がした。
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