30話、生きる意味
「そんな人生、辛すぎます。私は生きていれば楽しいことや幸せなことが必ず起こると思っていました。でもそれは誰しもが感じられるものではなかったのですね」
人生経験の浅いと思っていたキルルから予想だにしなかった言葉が出てきた。
そして意味深な言葉を語ったキルルの瞳には涙がたまっていた。
それを見た遥希は静まり返った部屋の中で場違いな笑い声をあげた。
突如笑い出した遥希の周りからは咎めるような目線を感じ、1つ深呼吸をして落ち着く。
「いや失礼。別に面白かったから笑ったわけではないです」
「それではなぜ笑ったんだ?」
「皆様は、僕の歩んできた人生は悲惨だと思いますか?」
問いに答える者はいなかったが、皆同じような考えが浮かんでいたのだろう。苦虫を噛潰したかのような難しい顔をしている。
無論遥希の中にはとうに答えは出ていた。だがあえて問いたのだ。なぜなら、きっと皆が考え出した答えとは異なるからである。
「きっと、誰もが悲惨だと答えるでしょう。しかし、僕は違います」
違う、という言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。遥希を見たまま唖然としている。
その頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが目に見えてわかる。
「僕はあの家で、あの家族で過ごした時間が限りなく愛おしいです。母親がいて、姉の陽がいて、妹の恋がいるあの家が。でも幸せと感じた時間はとうに過ぎ去っていて今となっては思い出の一つ、『過去』になりました。
幸せの一時が失われてから僕はおかしくなってしまいました。しかし今はもう悲しくありません」
遥希の目にはうっすらと涙が浮かんでいたが、つい先週のような空虚な笑みとは違う、その顔は確かに穏やかで優しい笑みをしていた。
アウリールやキルル、ほかの面々は遥希の本当の姿はこれなんだと、確信を持てるほどに思った。
「今、僕はアウリール様やキルル様などのたくさんの方々に囲まれています。一緒に話をして、同じ時を過ごせる仲間がいます。僕の話を真剣に聞いて親身になってくれる………友がいます。それだけで僕は……すごく幸せです」
ついに堪えられなくなったのか、嬉しさのあまり遥希は涙を流してしまった。
その遥希の様子に心を打たれたのか、アウリールやキルルも涙している。
「この時、この瞬間、この場所で皆様に会えたことで僕の人生は意味を持ち始めたのです。それは過去に幸せが失われてからの空っぽ僕にも意味をくれた。この瞬間のために僕は生きていたのだと、そう思います。
もう一人の僕は、それを感じていました。だからこそ僕がこうして現れた。でももうさようならです」
唐突に発せられた別れの言葉に皆驚きを禁じ得ないが、遥希は「大丈夫です」とそう微笑んだ。
「そろそろ彼が目を覚まします。僕の人格は裏に消え、彼が表の人格へと変わるでしょう」
「だからお別れ、とそういうことなのですか」
「はい。僕が裏に引っ込まないとごっちゃになってしまいますから」
遥希は少し悲しそうな顔をしてから、また微笑んだ。
その顔には一点の曇りも迷いもなく、清々しいほどに輝いて見えた。
「では、僕はここらでおいとまするといたしましょう。
僕は彼の中からいつまでも皆様を見守っています。
それでは、無愛想で非常識で優しい彼をお願いしますね。
僕のつまらない話を最後まで聞いてくださり、ありがとうございました」
では、と遥希が言うと、早速呪文を唱え始める。
その様子を、涙を流しながら皆で見守る。
「ハルキ!!」
遥希は一度呪文を停止し、声の主のアウリールを見る。
その顔は涙で濡れており、頬は朱に染まっている。何か言いたげな顔をしている。
そして数秒後、決意したように震えた声で確かに紡ぐ。
「……任せろ。………私に全部任せておけ!」
その言葉に戸惑いを見せた遥希だが、次の瞬間には嬉しそうに綻んだ。そして――――――
「二文字解放、虚像」




