4-12
冷厳とした声でコーヒーカップを見下ろしながらアウレリアは、宗教指導者らしいよく通る凜とした声で論拠を並べ立てた。
「この精巧すぎる……外典にあった仮想現実とやらですか。これは間違いなく人間を堕落させます」
「堕落?」
「この夜景、この居心地の良い部屋、この正餐の茶よりも香しき茶。外典に従えば、これらはいとも容易く用意できるのでしょう?」
まぁ、その通りだ。所詮は仮想現実、データの塊、私が指を一つ鳴らせばハンバーグを主菜とした立派な食事が卓の上を所狭しと埋め立てた。
「私が経験した物、それを更に専門職が調整した物、全てデータだからね。電脳化さえできれば誰にでも、無限に供給可能だ」
「ですが、私達は形持つ人間。これに溺れれば、夢の中で幸福を貪って人々は次々に餓死していくでしょう」
あー……あー……そうね、うん、そっか、忘れてたけど、これ彼等にとっては危険なのか。
そういえば、昔歴史の事業で聞いたな。機械化を中途半端にした人類の一派が仮想現実に浸ったまま帰って来なくなって、独善的な数列自我亜種に乗っ取られて基底現実に帰還できなくなったなんて事件が。
そのコミュニティは旧人類系の一派が邪悪だとして滅ぼしたそうだが、言われてみれば肉の体を持ち、これより乏しい食糧事情の中で生きている身としては毒も毒か。
飲食が基本不要で、趣味になっている種族なので、そこら辺の気遣いができてなかったな。
「そして、今でこそある程度の制限をしているのですが、それでも聖堂の上層部は正餐を貪って堕落しています。もし貴方が天蓋聖都で権限を得れば、どうなりますか?」
「……生きている工場があるなら再稼働させて、人々の暮らしを豊かにしたいところだが……」
「そうはなりません。必ず、貴方の目を誤魔化して利得を貪る者達だけが肥え太るでしょう。千年の時を超えて、聖堂は堕落しました」
そんなに? と問うと、彼女は痛々しげに顔を埋めて、基底現実ではなくしているはずの左手で額を覆った。
どうやら、私が異端として引っ立てられることになったエグジエル辺境伯領での陳情騒ぎであるが、あれは辺境伯とアウレリアに左遷された悪徳ギアプリースト、そして個人的に権力を得るため財貨を蓄えんと奔走していたヴァージルが結託して行った〝私掠〟であったようで、それを誤魔化すために私を異端者に仕立て上げたかったようだ。
なるほど、一切の証言をできないようにして証言台に引っ立てたがった理由が分かったよ。単純に宗教的な理由じゃなかったんだな。
「お飾りの枢機卿、ギアスペルが扱えることを神に許された特権だと勘違いしている愚か者、利得を貪ることばかりを覚えた豚……このような者達で聖堂は溢れています」
そりゃあまた難儀だと言いたいところだが、有り触れた話だな。
絶対的な権力は絶対的に腐敗する、過去の記録からサルベージされた偉人の言葉だが、これは真理だ。中世のローマや近世イタリアも大概酷かったから、ここがとびきり腐っている例外って訳ではない。ヤバいところはもっとヤバかったからな。
ガラテアの記憶から探る限り聖堂は三権――司法・立法・行政――のみならず軍権すら握っており、天蓋聖都の領域における絶対権力者だ。
即ち掌握している権力は、この地に生きる人間全ての生殺与奪に等しく、あらゆることが望み通りになる。
そんな物を欲しがる人間がどれくらいいるだろうか?
「そんなに政争は激しいのかい?」
「今年に入ってからだけで四人が〝病死〟する程度には」
わぁお……病死、かっこ意味深か……そらエラいこって。
正直、我々機械化人や数列自我は基底現実よりも電脳世界の方が自由ということもあって〝足るを知る〟生き物になっており、高次連の元締めこと〝光子生命体〟曰く最も悟りに近い人類種だそうだ。
欲はあるが薄く、義務と職責を知り、自分達を何たるかと厳然と定義できる。生まれた日より教育を受けて、ロールアウトされた後も自分達が何であるか絶えず定義できるし、やろうと思えばコントロールできる我々には理解不能な欲求ながら、どうにも旧人類の欲というのは飽くことがないらしい。
「では大司教猊下、貴方のご出世は?」
「端子に特別適性があったこと。それと清廉派と呼ばれる貴重な殉教者達の後押し合ってこそです」
正直、上尉という士官を束ねる上級士官という立場でさえひいこらしているのに、百万人都市だけではなく、広大な領邦全ての独裁者になりたいとかいうヤツの気持ちは分からん。大司教でさえ大変そうなのに。
最後には義務に押し潰されて大変なことになるって分かってないのかね? 私が起きてた時期の高次連の枢密院は、光子生命体が1/5くらいを占めてるけど、総代表なんてクッソ大変そうだぞ。議員をやってる機械化人も「禁忌だと分かっているが、自分があと二人欲しい」とか愚痴ってたくらいだから、少なくとも真面な神経をしてたらそんな激務は御免だ。
権利は素晴らしかろうが、どれだけ輝かしかろうと後から義務という棍棒が助走を付けて後ろから殴りつけてくる。これから逃げられた者は古今東西存在しない。生きている間に勝ち逃げできても、大概子孫がツケを払っている。
かの歴史シミュレーションゲームで強キャラの名を欲しいが儘にしているナポさんですら、最後は酷い物だったのだ。自分が彼より上手くやってのけると考えられる増上慢の源は何処に行けば売ってるんですかね。
「一服失礼する」
「え? ああ、はぁ、どうぞ」
どうあれ、竜が来ているというのにヴァージルは相当に度し難いことをしていたようで、私は仮想空間で煙草を呼び出して沈静プロトコルを働かせるハメになった。
「それと貴方が悪魔になり得る理由はまだあります」
煙草を吸って落ち着いたところで、彼女は端子を握ってウンと力を込めた。
すると仮想現実に干渉が起き……って、ちょっとまて、ここは何重にも防壁を貼っているエントランスだぞ!? ただのゲスト権限を与えた人間がどうしてプログラムを動かせる!?
困惑する私を余所に彼女は〝イナンナ12〟の映像を呼び出した。
断面図を何層にも重ねた地図は色分けされており、グリーンに居住地という表記が、黄色に生産区画、そしてレッドに封印区画と記してある。
「この封印区画は貴方のもくろみ通り数多の製造機械が残っていますが、神祖達、貴方の言葉を借りるなら〝イナンナ12〟の乗組員が封印した物です」
「封印? いや、それよりどうやって私のエントランス領域に働きかけて……」
「機械精霊にお願いしただけですが……」
またそれか! 勘弁してくれ! 最初は機械が動いている原理が分からないから精霊や妖精のおかげってしてただけかと思っていたが、完全に未知の原理が働いていやがる。
『セレネ! 精神防壁を全チェック!』
『……もう二度実施しました。攻性、防壁、欺瞞、囮、どれも反応ありません』
答えを聞いてゾッとした。
もしかしたら、やりようによっては私の自我領域を破壊することができるんじゃなかろうか。
うわ、こわ。今後絶対、気軽に直結しないようにしよ。
『弾き出しますか? 上尉』
『いや、一応会談だから、それは失礼どころじゃないだろ』
でも一応見張っておいて貰おう。いやマジで怖いよ。
そりゃ軍人なんだから墓なき最後を遂げる覚悟くらい家を出た瞬間からしてるけど、妖精だが精霊だか神のご加護だかの意味不明な理由で死んで堪るかってんだ。これからはもっと厳重に精神プロテクトをかけて、事前事後で逐一整合性チェックをかけよう。いや、何なら恒常化しよう。
「この禁忌化された区画には様々な噂があります。不老化できる技術がある、死者をよみがえらせる方法があるとか、喪われた聖剣が保管されているとか」
「喪われた聖剣?」
「なんでも、あらゆる物を斬り割くことができるとか」
何だ、普通の単原子分子ブレードか。それくらいなら一々気にする必要もないだろう。量産型は汎用装備だし、我々にとっては有り触れた物だ。
怖かったのは〝聖剣〟を自称する超大型レイルガンとかじゃないだろうなってヤツだよ。あれエネルギーさえあれば物体を亜光速まで加速できるのはいいんだが、惑星表面上で下手にぶっ放すと地軸が傾いたりするから洒落にならんのだ。特に対艦攻撃用とかだったら気候変動じゃ済まんだろうし。
しかし〝イナンナ12〟の乗組員達は、それでも危険だと思って封印し、最低限身を守れる物と食っていける物。そして保守点検の技術だけを与えて去ったのだろう。
しかし、彼等は何を思って去ったのか。これが五百年前とかなら脳細胞の限界など、機械化していない人間特有の現象だと思って納得できるが、神祖達は降臨から百年ほどで去り始め、最後の神祖も三百年前に全て隠れてしまったという。
何処へ行き、どうして姿を消したのか誰も知らないと言うが、本当に何があったのやら。
「ともかく、我々の身に余るとして神祖達が封印した扉です。これを開ければ利権を貪ろうと大勢がやってくるでしょう。我も我もと、信仰など関係なく我欲にのみで」
「……なるほど大司教、貴方は気付いていたな? 私が悪魔ではなく封印を開けることができる人間であることに」
「そうです。首に端子を持つ者に警戒せよ、外典に封印が解ける条件として記述されていました。そして、貴方の行い次第によっては聖都が滅ぶと神祖達は懸念していたのです」
心配とは裏腹に救われてしまったのですがね、と彼女は自嘲するように笑った。
「ですが、今や貴方は守護神になってしまわれた。もう、街の誰も我々の言葉など聞きはしないでしょう。神が使わした、街を護る小神格の前では我々の権威などあってなきようなもの」
「それまでに聖堂の求心力は落ちているのか?」
「全盛の聖堂でもかないはしませんよ。10mもある鋼の巨神。長らく天蓋聖都を脅かし、数多の騎士でさえ討ち取れなかった竜の首を捥ぎ取った小神に勝てる存在がいるとでも?」
ふーむ、そりゃそうか。確かに現世に聖T・オサム、いや、その弟子たる二八小至聖の誰かが生き返って漫画を書き始めただけで、筆を折る機械化人は多かろう。絶大的権威と言われて、やっと納得がいった。
「ですので、貴方に悪心がないというのなら心からお願いがあります。悪魔にならないでください。我々の願いを唯々諾々と叶え、堕落させる悪魔に。厳しく、そして聡い聖徒であってくださるというのなら、非礼を働いた此の身をどのようにしてくださっても構いません」
言って彼女は五体投地し、足を舐めんばかりに懇願してくる。
なるほど、悪魔とは単なる概念的な物ではなく、正しく考えなしに善意を振りまいて都市を崩壊させる者のことだったのだな。
そして、機械化人ならやろうと思えばそれができる。天蓋聖徒をソドムの市にしないよう、念に念を入れて神祖こと〝イナンナ12〟の乗組員は被造物に保険をかけておいたわけだ。
賢明ではあるけど、もうちょっと物の言いようってモンがないかな! 仮にも同盟国だぞオイ!!
今は姿を隠してしまった彼等に文句を言いつつ、私は彼女を立ち上がらせて誓った。
都市を護るために余計なことはしないし、何かするなら逐一彼女に相談すると堅く堅く。
「まぁ、今思えば丁度良いな……都市から逃げた聖職者はどれくらいいる?」
「半数は聖都に逃げ込みましたが、たしかに大勢逃げ出していますね。影響力がある地元へ逃げ帰った者も多ければ、ただ場当たり的に避難した者も多いかと……」
「その中に有力者はどれくらい?」
と聞いてみれば、佞臣の繰り言で骨抜きの枢機卿陛下から――教皇は神祖の称号なので空位らしい――彼女以外の大司教が2/3ほどと中々の数が逃げ散っていた。
これはある意味で都合が良いな。船頭多くして船山に上るというが、その船頭に阿呆と間抜けが混じっていると更に酷い目に遭う。馬鹿は馬鹿をやる前に殺しておくに限るとは昔から伝わる格言だ。
「じゃあ破門してしまえばいいのでは?」
え? と声を上げた大司教に私は腕組みをしながら頷いてみせる。
「今、私には強権があるわけだ。それで聖堂から膿を出して、民草に施しを最低限すれば威信は回復するし、やり過ぎにもならない。その上で私に天蓋を少しだけ使わせてくれればいい訳で。となると、逃げた連中全員破門してしまえば綺麗に片付くのでは?」
「そ、それはそうではありますが……」
「なに、反抗してきても最悪コレよ」
ぶんと腕を振れば、彼女はテイタン-2の巨腕を思い出したのだろう。
ふはは、恐ろしかろう、強権を持っている上に物理的に排除のしようがない神聖存在。これほど宗教家にとっておっかない存在はないはずだ。
「私に協力すると言うのなら、貴方が清浄な聖堂を取り戻すことに協力しよう。さぁ、手を取るかね大司教猊下」
「……やはり貴方は悪魔なのでは? そのような物騒な、しかし、抗いがたい取引を持ちかけるなど」
失礼なことを抜かすアウレリアであったが、彼女は結局私の仮想の手を弱々しく握るのであった…………。
【惑星探査補記】電脳エントランス。直結した人間を招く個人空間であり、ここに招待される時点で幾つかの防壁をオープンにしているという非常にプライベートな空間。友誼の証明として機械化人はここに招くが、自我領域からは切り離された遠い位置にあるため一応は安全である。
しかし、ここからクラッキングを仕掛けてくるウィザード級の電脳技師もいるため油断してはならない。
そろそろ書き溜めの残量が心許なくなってきたので、2024/08/03の更新は通常通りになります。
15:00頃の更新を予定していますので、お楽しみに。




