王女との時間
聖王国まで出立する前日。
ノアは王から呼び出され、王城に足を運んでいた。ギルドマスターからの呼び出しを終えたら、次は国王という訳である。
それだけ、聖女という存在は重要だという事だろう。
「……ノアよ、分かっていると思うが、絶対に聖女殿を守るのだぞ?」
「……分かっています、陛下」
現在いるのは、王城の一室だ。
広い部屋の真ん中に置かれた卓に、ふかふかの椅子が二席用意されている。王とノアは向かい合う形で座り、会話をしていた。
この部屋には、護衛の近衛騎士二名と王、それにノアしかいない。
「聖王国の詳しい立場は分からない。だが、さきの一件、聖王国の教会派は我が王国の貴族派と繋がっていたのだろう」
「……」
「”種”と呼ばれる悪魔化の原因、あれがどこから流れているのかは未だ分かっていない。おそらくは魔人種の一つ、『悪魔族』が絡んでいるのだろう。だが、公爵亭から数多くの”種”が発見された。直接の搬入経路は未だ調査中だが、様々な人物を介して取引されているようだ。何人かの売人は殺されているのが発見されている」
「……そうですか」
”種”がどこから流れたのか、そんな事は少し考えれば分かる。そして、きっと王も薄々は気付いている。
(だから俺をわざわざ呼びだしたんだ。注意喚起をするために)
聖王国。そこしかない。正確に言えば、教会派だろう。悪魔族と結託して何を企んでいるのか。
だが、何をしようとノアはこちらに手を出さなければどうでもいい。もし、フィリアを狙ってきたら遠慮なく潰すだけだ。
それより、ノアは別な事が気になっていた。
「”種”をどうするつもりですか?」
「……申し訳ないが、それは君にも教えられない」
王は申し訳なさそうにするが、ノアはさしたる落胆もなく頷いた。
「そうですか。当然といえば当然ですが」
「……君には国を救ってもらった。ヘレンも君を気に入っている。だが、もし君が”種”を探ろうとするのなら……」
「分かっています。ただ、アレは危険なものですから、充分取り扱いには気を付けた方がいいと言いたかったんです。俺は自分の仕事に集中しますので、そんな暇はありませんよ」
「信じよう。話が逸れたが、くれぐれも聖女殿を頼むぞ」
「ええ、分かっています」
* * * *
王からの用事も済み、ノアが王城の門をくぐると、そこには一人の少女がいた。プラチナブロンドの髪に、気が強そうな吊り上がった眼をした美少女。
彼女に付き従う形で、近衛騎士団副団長レイン・アスカテルもいた。彼女らの背後には、大きな馬車が用意されていた。
もしかしたら、どこか出かけるのだろうか。
それとも、ノアを宿まで送るつもりなのか。
ノアは聞いてみようとヘレンに声をかけた。
「こんな所でどうかされましたか? お散歩でしょうか?」
「……み、見てわかりませんの? 貴方を待っていたんですわ」
口を尖らせて言う彼女に、少しだけノアはなつかしさを感じた。騒動の後、ゆっくりと話す機会もなかったからだ。
「おや、アスカテル家の現当主も元気そうで何よりです」
「……ノア……兄を……その……ありがとう」
小さな声で、囁くように告げたレインは、それからバツが悪そうに身体ごと背を向けた。
「それはオスカーの事? それともギルベルかな?」
「……どっちも」
「いいさ。俺も良い経験になった。アスカテルの力は有用だしね。でも、君がギルベルを心配していたとは思わなかった」
「別に、そんな事は……ただ、あの人がボクを気絶させたから、今、ボクはこうして生きてるってだけ」
レインがむっつりと黙り込むと、ヘレンがやれやれと首を振った。それから、レインを呆れたような眼で見つめた。
「レイン、お礼の一つも素直に言えないんですの?」
「……いや、君にだけは言われたくないような……」
「ノア、何か言いましたか?」
ノアの余計な一言に、ヘレンは目ざとく反応して睨んできた。その視線から眼を反らし、ノアは誤魔化すように話題を変えた。
「何でもないさ。それより、後ろにある馬車はもしかして俺のために?」
すると、ヘレンは顔を赤く染めて、
「……まあ、その、最近話できなかったですから、送るついでに……その、王都の復興の様子でも見に……」
「……そ、そうだね。もちろんいいよ」
「……」
歯切れ悪く、ノアは頭の後ろに手を当て、ヘレンは前で組んだ手をもじもじと動かす。二人の様子に、レインは首を傾げた。
「で、では、レイン。護衛はここまででいいですわ」
「ヘレン姫は俺が責任をもって守りますので……」
レインが返事をする前に、ノアはヘレンの手をとって、背後にある馬車に乗り込んだ。御者に一言かけ、二人はそのまま馬車の中で楽しそうに声を上げて会話を始めた。
出発した馬車を見つめ、
「……女ったらしが。王女殿下も大変だなぁ……」
レインはため息交じりに、空を見上げた。
* * * *
「じゃ、じゃあしばらく王都を離れるんですの?」
「まあね。でも、心配ないさ。危険なんてない、簡単な仕事なんだ」
「そう。なら安心ですわ」
普段あまり目にできないヘレンの柔らかい笑みに、ノアは心臓がドキッと跳ねた事を自覚した。
初めて会った時より、ヘレンは優し気に笑うようになった。
最近は目を合わせてくれない事もあったが、何か吹っ切れたのか、今は以前のように普通に会話できていた。
知り合った頃より、ヘレンは魅力的になったと思う。
そんな彼女の純粋な心配に、嘘をついたノアは少しだけ罪悪感を抱いた。
今回の護衛任務は、内心ではヤバイと思っている。アスカテル家のクーデターに聖王国の教会派が絡んでいた以上、それは密かに聖女暗殺も視野に入れていたという事だ。
もし聖女であるフィリアが殺されていれば、王国と聖王国は戦争になる。
戦乱を望むオスカーの希望にも合致したし、人族を滅ぼすという悪魔族の望みも叶えられることになったはずだ。
今回、フィリアから依頼がなくても、ノアは独自で後をつけて行こうと思っていた。その時はレナやエルマを王国へ残していったと思うが、それだけフィリアの身は危ないと思っている。
オスカーの計画は潰したが、王国内を出るまでは油断できない。それに、このまま聖王国にフィリアを置いていくのも考えものだ。
「ノ、ノア……つまらないですか?」
考え込んでいたノアを覗き込むように、ヘレンが不安げな眼差しで見つめてくる。ノアは慌てて首を振り、はっきりと否定した。
「違うよ。ちょっと考える事があって……」
「難しい顔をしていましたわ。わたくしといるのが嫌なのかと……」
「そんな事ないって。ごめん」
なぜこんなに申し訳ない気持ちになるのか、ノアは分からない。人を殺しても、そんな感情は沸かないのに。
ノアは気持ちを切り替え、ヘレンに向き合う。
「本当にごめんね。大した事じゃないんだ。今日の夕飯の中身とか、そんな事を考えてた」
「謝らせたい訳じゃないですわ。違うのならいいんですの。でも、そんなくだらない事をあんなに難しそうな顔で?」
ヘレンは口元を手で隠し、クスクスと笑った。その様子に、ノアは安堵する。
「じゃあ近況でも報告し合おうか。本当なら街に出て買い物でもしたかったけど、二人とも有名人だからね」
「そ、そうですわね。まだ破壊の爪痕もありますもの。今回は街の様子を遠目から眺めながら会話しましょう」
今だけは難しい事を忘れて、ただ目の前の女の子との時間を楽しもう。ノアはそう思い、ヘレンに向けて優し気に笑った。




