聖王国では
宿に着いたノアはまず外観に驚いた。妖精の癒し亭の名に相応しく、木で造られた建物の外壁には所々に緑の蔦が絡んでいて、それはまるで自然と共生しているような不思議な落ち着きを感じさせる。
レミーナが宿の扉を開けるとカランと綺麗な鈴の音が聞こえた。木の匂いが、鼻腔を通り気分が落ち着いてくる。
「母さん、今帰ったわ。あと、お客様を一人連れてきわよ」
宿に着いたノア達を出迎えてくれたのは、受付にいる女性。レミーナが十歳くらい年を取ったらこの女性になるのでは、というほど似ている森妖精の女性。
「あらあら、ようこそ、妖精の癒し亭へ。私はそこのレミーナの母であるロミーナと申します。一晩、銀貨一枚、お食事は朝と晩になりますが、よろしいですか…?ああ、それとお昼は別料金でお弁当を用意できますから」
ノアがまず感じたのは、ロミーナはレミーナとは容姿が似ているが雰囲気は全く違うということである。レミーナは洗練されたかっこよさというのが感じ取れるが、今、目の前でふんわりと柔らかな笑みを浮かべているロミーナは、荒事など何もできそうにない。
「お世話になります。Bランク冒険者、ノアと言います。とりあえず、これで泊まれるくらい泊まりたいんですが」
「あらぁ、まだ若いのにBランクなの?それに礼儀正しい子ね、冒険者とは思えないわ。それにこれ、金貨じゃない」
口元に手を当て、驚いたように言う彼女はやはりレミーナとは雰囲気が違う。ロイドが親指を横にいるノアへ向けて、口を挟んだ。
「ロミーナさん、こいつは今日この街に来たばかりなんだ。しかも、あのバッカスを負かしてBランクになった超新星だ。サービスしてやってくれよな」
「まあ、そうなの?あのバッカスさんを……ふふ、それなら、たっぷりサービスさせてもらいますね。それと、十日は泊まれますから、ゆっくりしていってくださいね?鍵はこれで、部屋は二階の突き当りを一番奥になります」
鍵を渡され、ノアはこれからの生活に、期待に胸を膨らませながら礼を言った。
「ありがとうございます。じゃあ、俺はちょっと疲れたから寝ることにするよ。何かあったら言ってくれ。気持ちよく寝てる俺を起こせるなら、ね」
ロイド達は苦笑をしていたが、ノアはそのまま綺麗に揃えられた椅子、テーブルが置かれた食堂を通り過ぎ、二階に続く階段を上がり自分の部屋へと向かった。
通路を進み、部屋へとたどり着いたノア。迷わずに木の扉に鍵を差し込み、扉を開けた。ノアは装備を外さずに、そのまま用意されたベットに飛び込んだ。洗ったばかりなのかシーツから良い匂いがする。弾力があるベットが身体を持ち上げてきて、気持ちいい。
(ああ、何か、久しぶりだな。まともな食事に、気持ちがいい寝床。お、れはこれ、か、ら……)
疲れていたのは本当なのだ。ノアは意識が闇に沈むのを止められなかった。
「それで、ソフィ。あいつは何者なんだ?本当に元冒険者なのか?」
昼時が過ぎた食堂。その一角に、丸いテーブルを四人で囲みながら座って、ロイド達赤竜の牙は集まっていた。昼過ぎはまだ他の冒険者たちが依頼で戻ってこない時間帯。食堂の席に座っているのは、他には誰もいない。
「大丈夫だよ、ロイド!ノアは少なくとも危険なわけじゃない。それに詮索はご法度だよ?」
ソフィが、明るく笑い飛ばした。しかし、反対にロイドは難しい顔をして黙り込み、何十秒か考えたすえに言葉を発した。
「豪魔の森を抜けてくる冒険者は、少ないが確かにいる。相当な実力者ってこともわかっている。だが、あいつはそれでも強すぎるんだよ。あいつはバッカスが手加減してるとか言ってたが、あいつだって全く本気を出してなかった。それに最後はバッカスの拳術を自分のものにした。あれほど強いのに、名を聞いたことがない」
いくら何でも不自然だろ、そう言ってまたロイドは眉間に皺を寄せて考え込んだ。ソフィはその姿を見て苦笑が浮かんでしまう。このパーティーリーダーはこの街を愛しすぎているのだ。得体の知れない何かが、この街を壊すのではと恐れている。ただでさえ最近は、豪魔の森から魔物が飛び出してくる異常事態が発生しているのだ。
それでも逆にソフィアは、ノアがこの問題を解決してくれるのではと思ってしまう。あの演習場で見た不敵な笑みに、ソフィアは安心感のようなものを抱いていたから。
「大丈夫よ別に。あんたは本当にこの街のこととなると、人が変わったように真剣になるわね。接してみて、確かに少し好戦的な部分はあるかもしれないけど、ノアはもう冒険者よ。それに大切なお客様でもあるしね」
レミーナも自分と同意見のようだ。ソフィは嬉しく思った。
「だよねだよね。ゲイルはどう?」
問われたゲイルは、身振り手振りで説明した。
「ふむふむ、ライホーンに真っ先に立ち向かった、だから大丈夫、と?」
ゲイルは頷いた。
「ほら、ゲイルもこう言ってるし、大丈夫だよ。あたしは、そうだな、ノアは新たな英雄になると思う。きっと、豪魔の森の件も解決してくれる、そんな気がするんだ」
ロイドはソフィの目をしっかりと見詰めて、
「……それは勘か?」
「うん。魔術師としての勘だよ!」
ロイドは吹っ切れたように笑みを浮かべて、立ち上がった。
「そこまでソフィが言うなら信じてみるか。俺はちょっと鍛冶屋にでも行ってくるとするわ。お前らはどうする?」
「……私はあの子の所にいくわ。いい加減、向き合わなくちゃいけないから」
胸に手で置いて、沈んだ表情でレミーナが言った。ソフィやロイドが沈痛そうに顔を歪めた。ゲイルも兜を下に向け、落ち込んでいる。
「レミーナ、あたしには励ますくらいしかできることないから。だから…」
「ありがと。大丈夫よ、これは家族の問題だから」
そう言って、レミーナも立ち上がった。そうして、四人は一時的に別れた。
* * * * *
ーー時は遡り、聖王国、聖城グランティノスではーー
この神聖な回廊を歩くと、自然と背筋が伸びてしまう。黄金の鎧と純白のマントを翻し、聖騎士団長、レノス・アマデウスはしっかりとした足取りで、目的地へと足を進めていた。
窓には綺麗なステンドグラスが用いられており、天井は一面、純白で無駄な装飾は一つもない。レノスが歩く廊下には、真紅の絨毯が敷かれており、真正面に見える扉を二人の聖騎士が左右に分かれて守護している。
「陛下に取次ぎを頼む」
「はっ!少々お待ちください」
片方の聖騎士が部屋の中へ確認を取りに入った。レノスは瞑目して、その間に思考をまとめた。聖王陛下に報告する上で最も大切なことを。
「確認が取れました。どうぞ中へ。陛下がお待ちです」
扉が開かれ、レノスは中へと進んだ。そして、正面にある執務机に座る人物を見た。煌びやかな刺繍が施された上下の服。首には毒無効化が施された魔道具である首飾り。芸術性も取り入れたのか、青色の宝石を魔物の羽らしきものが左右に分かれて、宝石を包み込むような作りになっている。
容姿は金を溶かしたような金髪に、目尻は少し垂れ、鼻筋はすっと整っている。簡単に言えばレノスの鋭く、他者を寄せ付けない容姿とは反対の、甘い顔立ちである。
レノスは目線で他者の目がない事を確認してから、側にあるソファへ無断で腰を下ろして、聖王へと目を合わせた。
「グラン。厄介なことが起こった。至急、何らかの対策が必要だ」
挨拶もなしに話始めるレノスを見て、聖王、グラン・ルーク・セノンは苦笑した。
「待ってくれ親友よ。まずは危険な任務を達成したことを労わせてくれないか?」
「それはいい。俺は自分の務めを果たしただけだ。それより、俺がいない間、教会側に動きがあったか?」
教会とはすなわち聖光教のことである。それは聖王国における国教になっており、国内で絶大な権力を握る組織だ。亜人種を差別し、勇者を輩出した人族こそが、至高の種であるという教え。
次々と問題を挙げるレノス。危険な任務を遂行して、それでも満足せずに聖王国と自分の為に行動してくれる。グランは、この親友を使う事は出来ても反対に癒す事は出来ない。
「……不気味な程に何もなかったね。もしかしたら私が目的ではないようだ。君が目的なんじゃないかい?」
レノスは既に答えを悟っていた。少し俯いて、グランに言葉を返した。
「ああ、ヴァレールは俺が来る事を知っていた。もしかしたら……」
グランは思わず目を見開いた。
「つまり、繋がっていた、と?」
(だったら、ヴァレールが先代を殺したのも頷ける、が……)
先代は、王国との融和を望んでいた。教会にとっては目障りだっただろう。グランも融和派だが、それを悟られずに聖王を務められるくらいには優秀であった。
フッと鼻で笑いながらレノスは腕を組んだ
「まず間違いない。ヴァレールを使って、俺を殺そうとしたのかもな。元々、俺を城から引き離そうとして、ヴァレール討伐隊に推薦したのは教会側だったからな。つながっていても不思議ではなかった」
それでも、グランは最後まで難色を示した。聖騎士団長は本来、聖王を守る最強戦力。聖王である自分から離れるなど前例がない。だが、教会側は最強戦力でなくては意味がないと主張したのだ。あの都市一つを潰したヴァレール・ブリットなのだから、と。最終的にはグランが折れた形になったが、それでも一歩間違えば、目の前にいる親友を失くす所だったのだ。グランの胸に、熱く激しい感情が吹き上がった。
しかし、見計らったようにレノスの冷静な声が響く。
「それより、新たな問題が発生した」
レノスにとって、教会勢力よりも脅威を覚えた男。夜を塗り固めたような漆黒の髪に、不気味さを覚える紅眼。中性的で整った顔立ち。もう一度戦うことになったら、勝敗は分からないだろう。あの男はきっと、もっと強くなるはずだから。
グランは怒りの感情をどうにか抑え、尋ねた。
「…それは、最初に言っていたことかい?」
「そうだ、ヴァレールの所にいた黒髪、紅眼の俺達と同い年くらいの男だ。ヴァレールが育てていたのか、詳しいことは分からない。そいつは、勇星紋を発動させ、聖剣を使った俺の最大火力の攻撃を消し飛ばした」
グランは愕然として、思わず執務机から立ち上がった。目の前にいる、勇者の再来と呼ばれる男が冗談を言うような男ではないことは、長い付き合いで知っていた。レノスの向かいのソファへ座り、
「……く、詳しく聞かせろレノス。その男は今どこにいる?」
事の重大さを悟り、友の顔から一国を治める王の顔になったグランを見て、レノスも真剣に顔を向き合わせた。




