兄と弟
聖剣の一撃は魔の身体を一刀のもとに斬り捨てる。
黄金の髪に整った容姿。純白のマントを着て、戦場で颯爽と人々を救うレノスの働きは見事の一言に尽きる。
英雄紋所持者でも手こずる悪魔達を一撃で仕留めていくのは、味方にとっては心強い。いや、心強すぎるのだ。
レノスは反射的に聖剣を盾にして、側方からの衝撃を耐えた。吹っ飛ばされて瓦礫の山に突っ込む。瓦礫の中は闘技場舞台に続く入場口のようで、通路の壁や天井は瓦礫の下となっても健在だった。
人の眼がない通路で、襲撃者を待つ。
現れたのは予想外の人物だった。レノスはその男を一度だけ見たことがある。
紫水晶色の髪に特徴的な糸目をした青年だ。今は騎士服ではなく、黒のローブに身を包んでいる。
自然と険のある視線になる。
「今はこんな事をしている場合じゃないだろう、第四騎士団長。一体どういうつもりだ……?」
「……私も聖王国の勇者となんて戦いたくなかったですよ。大人しく避難でもしてくれればよかったのに……」
自分から攻撃を仕掛けてきたくせに、どことなく憂鬱そうな声音で言う。
「あなたに目立たれたら困るってある人から言われたので。面倒でしたけど、その代わり面白いものが見れたからいいですけど……」
「今ここで無駄な戦いしなければ多くの人々が救える。お前は騎士団長だろう。自分の職務を忘れたのか」
しかし、目の前の男、アザミ・レトールは冷笑を浮かべて剣を抜いた。
「私は人を斬るのが好きでね。犯罪者なら何人斬っても許される。だから私はこの仕事を続けていたんです……私は別に王都の民が何人死のうがどうでもいい。王国なんて滅亡してもいいと思っていますしね」
なんでこんな奴が騎士団長なんてやっているんだろうという率直な疑問が芽生えた。英雄紋所持者は皆、我が強い。
「無益な戦いは御免だ」
レノスは聖剣を鞘にしまった。今は無理をして消耗すべきではない。一際強い魔力がまだ存在していることから、レノスは一時的に剣を収めたのだ。
アザミは糸目を見開き、静かに腰を折った。
「賢明ですね、私も疲れるのは嫌だったので助かります」
「……一つ、聞かせろ」
「なんでしょうか」
「お前に俺の足止めを頼んだのはーー」
誰の眼もない真っ暗な通路で、二人の青年は会話を続けた。
* * * *
オスカー・リル・アスカテルはあふれ出る全能感に酔っていた。腕を振るえば大地が割れ、人がゴミクズのように吹き飛んでいく。
悪魔族の力に慣れるため、長い間オスカーは修行してきた。英雄紋の力と悪魔の力、それが完璧に混ざり合い、もはや敵はいない、そう確信していた。
周りを見渡せば瓦礫がそこら中に散乱して、ここが闘技場のどの場所か分からないほどだ。半壊どころか全壊に近いだろう。
周囲ではひっきりなしに戦闘音が響いている。英雄紋所持者が奮闘しているが、オスカーは貴族派の貴族全てを悪魔族に変えたのだ。そう易々と倒せるはずがない。
目の前に立つ仮面の女騎士、謎に包まれた近衛騎士団長も敵ではない。英雄級以上の実力を持つ彼女でも、自分と剣を打ち合うので精一杯だ。
「アスカテル公爵、執念だけでは魔王にはなれない。魔王は魔物を操る。貴方にはそれができない」
淡々と告げる近衛騎士団長は消耗している気配がない。それでも、オスカーは今の自分が負けるとは思えない。
「まるで魔王を知っているような口ぶりだな、”剣聖”。下等な魔物など配下にしたところで意味もない。私は次代の魔王なのだ、何も能力全てが同じなど、面白みに欠けていると思わんかね」
剣技だけであらゆる力を圧倒する彼女に相応しい異名だと思う。だが、自分は人の技量、悪魔の身体能力、英雄の魔力。全てが合わさった究極の生命体になった。
「そうですか、しかし、私に勝てないようでは魔王になるなどおこがましいにもほどがある」
「抜かせッ、究極の生命体である私が、勝てない、だと? 笑わせるな、私が本気を出さないから図に乗ったようだな」
魔力がオスカーの身体に纏わりついていく。それと同時に筋肉が隆起して、肌がどんどん漆黒の鱗に覆われていく。
悪魔と竜の二対の翼が自身の身体よりも大きくなり、額から生えている角もより太く捻じれていく。そして、手に持つ長剣を投げ捨てた。
無手になったが、その分、黒く染まった爪が鋭く伸びる。オスカーが片腕を無造作に振ると、闘技場の壁に五本の線が入り、瓦礫と化して倒壊していく。
「……魔王というよりも、これでは化け物ですね」
「減ラず口が、その余裕、いつマで続くカな?」
オスカーは先ほどと同様、片手の爪を立て、虚空を切り裂いた。それだけで風圧が斬撃となって近衛騎士団長に殺到する。五本の斬閃が迫りくる中、彼女は反応を返さなかった。
「--どうやら貴方の相手は私ではないようです」
直後、金属を斬ったような耳障りな音が響き渡った。砂塵が舞い上がる中、オスカーは二人の乱入者の姿を目に入れた。
一人はボロボロの身体だが、その瞳には決死の覚悟が宿っている。水色の竜を模した鎧を纏った騎士。レイン・アスカテル。
二人目は紅い色のローブに身を包んだ青年。風にはためいたフードが取れ、顔が露になる。頭髪は燃え尽きたような灰色。顔立ちは目付きが悪いが、十分美形の部類に入るだろう。
全身の肌には血管のように赤黒い刺青のような線が入っている。アスカテル家次男。ギルベル・アスカテル。ただ一人、先祖の英雄から加護を与えられなかった人物。
戦場に、アスカテル家の三兄妹がそろった。
* * * *
「はぁ、はぁ……団長。ここはボクにお任せを。団長は陛下の護衛を強化していただきたい」
オスカーから目を離さず、レインは息切れをしながら言う。怪我を負っているレインとは違って、ギルベルはほぼ無傷だ。
彼も大鎌を肩に担いで、人を視線だけで殺せるような眼差しでオスカーを見つめている。
剣聖と謳われる王国の守護者は静かにオスカーと対峙する二人に目を向けた。
「きっと、私が何を言おうと引かないのでしょう。ここは貴方達の顔を立てることにします」
背を向けた剣聖は一瞬で姿を消した。
「我が妹ガ、何の用カね? 君がこコにいるトいう事はノアに勝っタのかな……?」
オスカーはレインとノアの戦いを見ていない。だが、悪魔の力を手に入れたレインは制御こそできないだろうが、それでも戦闘力は飛躍的に上がったはず。
万が一にも、レインが負けるとは思わなかったが、奇妙なことは悪魔族の魔力がレインから感じられないことだ。
そんなオスカーの問いを無視して、レインは隣に立つギルベルに気まずそうに目を向けた。
「……久しぶり、その……」
「兄、なんて間違っても呼ぶんじゃねえ。オレはただ目の前にいるこの化け物を殺しに来ただけだ……クソッ、あの仮面女さえいなけりゃ、暗殺して終わりだったはずがッ」
鎌を持つ右手に力を込め、苛立ちに顔を歪めるギルベル。エルマはアスカテル公爵が貴賓席に行ったのを確認した後、戦闘を唐突に切り上げて姿を消したのだ。
逃げに徹した生粋の暗殺者であるエルマの気配を、ギルベルは追うことができずーーそもそも追おうとはしなかったがーーすぐにオスカーを始末しようとしたが、すでに何もかもが遅くなっていた。
気付けば闘技場は崩壊し、悪魔族たちが好き勝手に暴れまわっている。オスカーは変身して化け物のような姿になっていた。
こうなっては暗殺は無理だ。彼の隠密技術はそこまで高くない。気配を消して近付いても、悪魔化したオスカーには気付かれてしまう。だったらまだこれでいい。
「てめえは引っ込んでろ、その怪我じゃ足手まとーー」
ギルベルの言葉の途中で、空に変化が起きた。薄らと薄緑色の雲が空を覆い、そこから同色の雨が降り出す。それは悪魔の肌を焼き、人族の身体を癒やす。
ギルベルは気付いた。辛うじて原型が残っている来賓席。そこで胸に手を当て、詠うように詠唱をしている純白のドレスのような法衣を着た少女の姿を。
莫大な魔力が少女の身体から放出されている。
ーーあれが聖女、か。
天から降り注ぐ薄緑の雨は魔を祓い、人を癒やす。オスカーの身体も例外ではない。まるで酸のように雨に当たるたびに身体から蒸気が発生して溶けていく。
「目障りだな、だが、悪魔族でもあり人でもある私にはたいして効きはしない」
堂々とした姿勢を維持するオスカーは見る限りでは、その言葉は嘘ではないようだ。隣を見ればレインの身体が全回復している。
「……これで、戦えます。あなた一人では兄は……オスカーは倒せない。ボクの力が必要なはずです」
しかし、ギルベルは視線も向けずに、無造作に大鎌の柄をレインの溝に打ち込んだ。
「ぐッ……兄さ……」
「ちっ……」
悲痛な顔でその場に崩れ落ちた妹に、ギルベルは舌打ちを一つ。ギルベルは一人の方が強い。別に巻き込みたくないとかそんな理由では決してない。
端的に言って邪魔だった。
オスカーの縦長の瞳孔がやっとギルベルを捉える。
「ふむ、ゴミが残ったか、一族の出来損ないが私と戦えるとでも? 禁術に手を出し強引に身体能力を上げているようだが、それは寿命を縮めるだけで無駄な事だ」
「はっ、ゴミはてめえだろうがッ。醜い化け物が」
二人とも鏡合わせのように、相手を嘲るような笑みを浮かべている。ノアがいれば、流石兄弟だ、と余計な事を言い火に油を注いだことだろう。
二人の視線が鋭くなる。二人の殺気がぶつかり合う。瓦礫と化した闘技場で、兄弟の殺し合いが始まろうとしていた。




