聖女の副官
聖王国使節団として”聖女”フィリアに同行した副官、ロベリアは闘技大会準々決勝の試合を見つめていた。昨日はトラブルがあったようだが、試合進行に影響はなく今日は問題なく進行していた。
『決まったーッ! 準決勝に進むのは近衛騎士団副団長にして、去年の優勝者、レイン・アスカテル様ですッ!』
実況の声が闘技場内に響く。レノス、フィリアと共に貴賓席で観戦していたロベリアは、準決勝の組み合わせを見てわずかに顔をしかめた。
準決勝
第一試合 ノアVSレイン・アスカテル
第二試合 ゼンVSリンフェルト・アスト・シルフィード。
アスカテル家はヴァレールの弟子ともいえる少年、ノアを始末できなかった。ついには準決勝まで来てしまった。オスカーにこのことを抗議したが、次で終わらせると言って流された。だが、その言はロベリアとしてはもはや信用できないのだ。
ロベリア・イルザーク。神官服を着ているが、彼女はもちろん神官ではない。その正体は暗殺組織『星影』の幹部、『赤蛇』。『星影』の中で、唯一隷属の首輪で縛られていない暗殺者である。
彼女が枢機卿であり上官、エストビオから受けた任務はアスカテル当主への協力とノアの殺害。そして。
ロベリアは横目で椅子に座って闘技場を見つめる二人に視線を向けた。勇者レノスと聖女フィリア。この二人は聖王国で大きくなりすぎた存在。
「……レノス様、やはり、その、どうにかならないのでしょうか……?」
白銀の髪に碧眼、月の女神のように儚げで美しい少女が金髪の美青年へと尋ねる。憂うような表情で懇願してくる彼女の申し出を、金髪の勇者は頑なに拒んだ。
「どうにもなりません。あの男とあなたが以前、どんな関係だったか知りませんが、もうあなたが知っている人物とは違います」
「……会ってみなければ分からないでしょう」
「少なくとも、あの男は私を敵視している。私にとって、命をかけた戦いをした敵だ。そんな存在を、貴方に近付けるわけにはいかないと言っているんです」
「レ、レノス様は席を外せばいいのですっ。護衛なら聖堂騎士達で十分でしょう」
「あの男は強い。聖堂騎士では相手になりません」
不平不満を一切言うことがないフィリアだが、ノアという少年のことになると一歩も引かない。レノスとフィリアの言い争いは、ここ何日も続いている。ロベリア個人としては聖女がノアと知り合いという事実に驚いたが、逆にこの状況を利用できるのではないかと考えた。
だが、聖女の副官である自分の立場で、フィリアの申し出に賛同するわけにはいかない。そんなことをすれば、鋭いレノスに何かを感づかれてしまう恐れがある。
「……フィリア様、失礼ながら、わたくしもレノス様に賛同せざるを得ません」
「今日行われる試合は全て終了しました。お支度を」
レノスが強制的に会話を打ち切った。フィリアは何かを言おうとしたが、レノスに視線を向けられると、俯きゆっくりと頷きを返した。
王城リンスレッドへ。闘技大会観戦から戻ってきた聖王国使節団だったが、その後の予定は決まっている。
夜には王国の貴族のもてなしを受けて食事会があるのだ。こちらをもてなす上で、失礼のないよう品格を兼ね備えた貴族を選別しているのだろうが、どんな貴族でも”聖女”には見惚れるようだ。
フィリア自身は応対するのに精一杯で自覚がないだろうが、これまで会ってきた王国の貴族の中には言い寄ってくる人物もいた。レノスに睨まれた瞬間、青い顔して我に返るのが、見ている方としては面白い。
だが、近くで”聖女”を見るうちに、ロベリアは薄らとだが彼女に嫉妬の感情を向ける自分に気が付いた。自分よりも美しくて、真っすぐで、でも少し頼りない。
(魅力的な人物ですね。”聖女”の異名通り、優しくて……)
貴族はフィリアが笑うと、子供のようにして喜んだ。彼女はぎこちなく愛想笑いしただけだと思うが。だが、異国である王国の貴族にこうも好かれるのは、単に異性として魅力的なだけではないだろう。
「今宵はとても楽しかったです。つい、饒舌になってしまいました。またご一緒したいものですが……」
「は、はい。機会があれば是非とも」
「……フィリア様、そろそろお時間になります」
レノスが貴族を前にしてそう言う。当然、失礼に値する行為だが、レノスにじっと見つめられると、貴族は急速に勢いを失わせた。
「そ、それではいつか……」
「はい、ボメル伯爵も本日はありがとうございました」
しっかりと礼をした聖女と、興味なさそうに一瞥しただけの無愛想な勇者。正反対な二人が、何となく面白く感じた。
レノス達が住む客室に戻る時、城の廊下を歩きながら、珍しくフィリアが苦言を零した。
「……レ、レノス様、その、いくらあなたが聖王国の聖騎士団長でも、少し無礼だったのではないでしょうか……?」
「そんなことはありません。私は聖王国では聖騎士団長、権威で言えばこの国では公爵位に相当します」
そういうことを言っているのではない。人として接する上での礼儀というもの。それを態度で表すように不満そうなフィリアは口を尖らせたが、レノスは相手にせずフィリアに視線も向けずに城の廊下を進んでいく。彼ら二人から二歩ほど下がった場所を歩いているロベリアは二人のやり取りに何も口を挟まずにいた。
だが、急に立ち止まったレノスが、背後を振り返った。ロベリアは驚き、思わず声をかけた。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、気のせい、か。なんでもない」
鋭い瞳で素早く背後を確認したレノスは、そう言って何事もなかったように歩き始めた。勇者の奇妙な行動に、ロベリアとフィリアはそろって首をかしげた。ロベリアはレノスの行動に少し引っかかるものを感じたが、時間が経つに連れて気にならなくなった。
すべての予定を終えて。すでに深夜と言ってもいい時間帯。与えられた一人部屋で、ロベリアは報告のために魔術石を取り出した。以前、『黒狼』がエルマと通信するために、持っていた物と同じものである。
だが、その時。一人でに自室にあった窓が開いた。ガラッと勢いよく誰かが開けたように感じたが、部屋には誰もいない。
ロベリアは知らなかった。『星影』に所属していた、妖魔族の存在を。彼女の存在は組織でもごく限られた者にしか伝わっていなかったのが仇になった。
「? これは……」
夜の風が室内のカーテンを空に泳がす。思わぬ強風に、ロベリアは一度目を閉じた。
「--やあ、こんばんは」
部屋に見知らぬ声が響き渡り、驚きでロベリアがすぐに眼を開けると、月光差し込む窓の淵に座っている人物が一人。
夜を凝縮したような漆黒の髪。そして血のように紅い瞳。少年は、月の光を浴びながら柔らかく微笑んでいた。




