VSレナ <後編>
視界いっぱいに広がるのは無数の枝で造られた槍。ノアの足は葉が絡みつき動けない。つまり動かずに槍の雨を対処しなければならない。
ーー斬るしかないッ!
魔剣ルガーナを強く握りしめて、高速で振るっていく。ノアは自身を貫こうと迫る無数の槍の中でも、急所になるものだけ斬り裂いていく。それ以外はノアが最大限強化した身体能力であっても速すぎて対処できない。
ーー容赦なしだなッ⁉
擦り傷が次第に増え、肉体ダメージが精神ダメージに変換されていく。眠くなってくるというか、意識が重くなってくるというか、そんな不思議な感覚を味わいながら、容赦ない攻撃をしてくるレナに舌を巻いた。
ノアはレナに自分から攻撃するのをいまだに躊躇しているというのに。槍の雨を魔剣で防ぎつつ、ノアの意識は先ほどのレナの言葉を回想していた。
ーー私達も同じ気持ち、か。
つまり、ノアがレナ達に対して抱いていた危険に巻き込みたくないという気持ちは、レナ達も同じだということ。
こんな簡単なことにも気づかない自分に自嘲的な笑みを浮かべて、ノアは意識を切り替えた。ノアに残された道は、レナの気持ちに応えるしかない。
「ーーここからは本気だッ! <魔力変異・伸縮自在・カラドボルグッ!>」
英雄紋に魔力量を最大限流し、ノアは一層、纏う純黒のオーラを高めた。そのオーラを魔剣に宿すと、刀身が何倍にも伸びた。
一閃ッ!
ゴオッ‼っと音が鳴った後、全ての枝で構成された槍は真っ二つになった。
覚悟を決めたノアの姿に、レナは満足気な顔をした。
「ノア、勝負ッ!」
レナを対等な仲間だと認めなくてはならない。小さな身体で、力強く告げたレナの姿を、ノアは脳裏に焼き付けた。
「<世界樹槍>」
世界樹の枝の一つが、槍状になってレナの手元に収まる。緑のツタが絡みついた緑の槍をノアに向けて、森妖精の女王が号令を下す。
槍の穂先をノアに向ければ、無数の枝が降りそそぎ、切れ味鋭い葉が切り刻もうと四方八方から襲い掛かってくる。足元は先ほどと同じように葉やツタが絡みついてきて身動きしにくい。
圧倒的な地理のアドバンテージだが、世界樹から降りても周囲にある木々で永続的に襲われ続けるだけ。だったらこのまま、葉やツタで造られた舞台で戦うしかない。
攻撃方法自体は先ほどと変わらない。予想を超えない攻撃は、ノアが使えるもう一つの技術で対抗できる。瞬時に意識を集中し、足元へ魔術陣を展開する。
ーー<空間転移ッ!>
英雄紋の力ではない魔力を用いた技能、魔術。この時ばかりは、教えてくれたヴァレールに感謝した。
無詠唱で使ったノアの魔術は、レナでもそうそう捉えられるものではない。そもそもこれまでの戦闘から分かったことだが、レナはやはり近接戦闘は得意ではない。
ノアはレナの背後に転移、背中を斬り裂こうと魔剣ルガーナを真横に一閃しようとした時にーー
走馬灯のように、レナと過ごした日々を思い出した。
メルギスの街で出会うまで。幼少期に家族が殺されて、盗賊に奴隷商に売られ、ヴァレールに拾われて、一人で生きていく力を身につけた。サマエルという魔物の友達もできた。それでも、ノアは世界を見て回りたいと思って、街に来た。
そこで一番仲良くなった森妖精族の小さな女の子。初めてできた、仲間ーー
一瞬の躊躇が生んだ隙を、レナは見逃さない。
「<槍から弓へ、秘めし力を開放すーー>」
再び目標を補足した世界樹がオートでノアを攻撃する中、レナは詠った。
世界樹の枝がレナの所まで伸びて、弓の形状になった。そこに、レナは世界樹槍を矢としてつがえた。レナの背から生える蝶の羽が光り輝き、女王の意思に呼応するように矢も薄緑の輝きを放ち始めた。
絶好の機会を棒に振ったノアは、その一撃が耐えられない一撃であることを本能的に悟った。無詠唱で再び転移すれば逃げることはできるだろう。それでも、ノアはここで決着がつくことを望んだ。
ノアは魔剣を握る手とは逆の左手に、黒のオーラを収束させながら。三度目の正直として、自分に言い聞かせる。
刹那の瞬間、ノアはレナと確かに視線で言葉を交わした。
ーーノア、私は支えたい。貴方を守りたいの。
ーーレナ、俺も同じ気持ちだ。大切な存在をもう二度と失いたくない。
重なった二人の想いを確認し合って、二人は互いの全力を解き放つ。
「<魔力変異・消滅槍・グングニルッ‼>」
「<妖精女王の樹矢ッ!>」
消滅の魔力に変異さえた漆黒の槍を全力で投げ、緑の輝きに包まれる妖精の矢とぶつけ併せた。ぶつかった風圧はすさまじく、舞台上に張ってある結界まで届き、世界樹の分厚く太い幹と揺らした。
緑の輝きと漆黒の輝きがぶつかる迫力ある光景に観客は感嘆し、紋章使い同士のぶつかり合いを、手に汗握って観戦した。
やがて、片方の力が押され始めてーー
妖精がふわりと笑った。
ーーありがとう。
ーーん、よくできたッ。
満ち足りた表情で漆黒の槍に貫かれた妖精に、愚かな少年は泣きそうな表情で笑みを返した。
闘技場は熱狂の渦の中にあった。素晴らしい戦いに、ほとんどの人が立ち上がって拍手を送っていた。だが、勝者であるはずの黒髪の少年はレナが創り出した<世界樹>から空を見上げていた。観客に応える様子も見せずに、闘技場のシステムで粒子となって場外へ消えていったレナの残滓に手を伸ばしながら。
レナが魔力供給を止めたせいか、木々は巻き戻しのように種に戻っていき、世界樹も小さくなっていく。闘技大会の係員二人が、舞台の外に気絶しているレナをタンカに乗せて運んでいくのを見送った。
ひび割れた舞台は宮廷魔術師たちが修復するようで、ノアもさっさと舞台を降りた。
結局心配していたことは起きなかった。闘技場の結界が壊れることはなく、レナも無事だ。もちろんノア自身も。そのことに安堵しながら、ノアは殻を一つ破ったような、そんな感覚を覚えた。
レナに文字通り教えてもらった。レナはノアに守ってもらうような、そんな弱い存在じゃない、と。自分はレナやエルマ、仲間たちを信じていなかったのだと。
(……あ、あるじよ、安心するのは早いぞッ!)
気を抜いていたノアの脳内に鋭い警告が飛んだ。
(どういうこと?)
(今、どす黒い悪意の感情を察知したのだ。増幅された悪意の感情ッ)
嫌な予感が背筋を伝う冷たい汗と共によぎる。
(場所は?)
(闘技場に設けられた医務室……そこはーー)
今、戦い終わったレナがいる場所。無防備に気絶しているはずだ。これでレナに何かあったら、ノアが間接的に殺したことにーー
ノアは身体に魔力を流して、最大限身体強化を施す。コンクリートのタイルで造られた通路を力いっぱい蹴り、壊すことも構わずに急ぐ。
これまでどんな相手と対峙しても、ノアは恐れなかった。例え自分より強いだろう近衛騎士団団長、”剣聖”の異名を持つ女剣士だったとしても。
膨大な魔力量を持ち、息をするように魔術を使う底知れない魔術師、”預言者”と会ったときも。
ノアの身体が震える。それでも全速力で前へ。ノアは無意識に英雄紋まで発動し、身体に純黒のオーラを纏った。
ルガの案内に従って、医務室までの道を進む。すれ違った選手や係員が止める声も聴かずに走った。
(そこだッ、あるじよ、その壁の向こうからーー)
指示を受けたノアは壁をぶった切った。漆黒のオーラを纏わせた魔剣は闘技所の壁を粉々に切り刻み、目の前を開かせた。砂煙が舞い上がった先にある光景に、ノアは戦慄した。
医務室のベットで寝かされているレナの傍には、小さな胸元に振り下ろされそうになった短剣があって。
間に合わないーー
キンッと金属同士をぶつけ併せた音が響いた。振り下ろされた短剣を、横から来たナイフの一撃が吹き飛ばした。それはメイド服を着た翡翠色の髪を持つ美貌の女性だった。
眼鏡をかけた怜悧な表情で、短剣を振り下ろした相手を睨んだ。普段、無表情な彼女が明確に表情を歪めた。
「……あなたは?」
エルマが睨んだ先にいたのは、興奮したように感情をむき出しにした男だった。目は血走り、口からは涎が垂れている。闘技場の係員の制服を着ている。彼の目をよく見れば、白目の部分が黒く染まっている。
ノアは呆然とした様子でエルマに声をかけた。
「……なんで、エルマがここに?」
「ノア様、それは後にしましょう。今はこの男を片付けなくてはいけない」
(……ふーむ、あの目、あの者は操られているだけのようだぞ、あるじよ)
レナを殺されかけたことに対する増悪を今は押さえて、少しでも情報を入手できる可能性があるなら殺さないほうがいい。
そう結論づけて、冷徹な光を瞳に宿しノアは無表情で斬りかかった。だが、男は獣のように床にかがんで避けて、ノアへカウンターとして短剣で突きを放ってくる。
ノアは何も反応しなかった。自分の心臓目掛けて迫る短剣を放置して、右足を後ろへ引いて蹴りの動作をとる。ノアへ向かってくる短剣めがけて、横から的確にナイフを投げたエルマ。投げたナイフは男の手の甲に突き刺さり、男は床に短剣を落とした。
すかさずノアは後ろに引いていた右足を勢いよく振りぬいた。全力の身体能力で放たれた蹴りは男の股間を打ち抜いた。
「グギャッ⁉ ガッ……ぐ……」
魔物のような悲鳴を上げて、過呼吸気味になった男は口から泡を吹いて気絶した。ノアの殺せないことへのせめてもの復讐であった。
* * * *
ノアが壁を勢いよく壊した影響で、瞬く間に情報は伝わった。獣のようになった男が入ってきたことを、治療室に倒れていた医師の証言があって、ノアの行動は不問に付された。
犯罪を調査するのは第四騎士団の役割のため、闘技場へ来た第四騎士団の団員に後でアザミに情報を持ってきてくれと伝えて別れた。
事情聴取をを終えて、ノアが宿へ帰ってきたのは夜。宿に入り、受付で鍵を受け取ろうしたら、またレナが持っているとのことだった。
エルマの部屋に途中で寄ると、レナはノアの部屋で待っているとのことだった。何故か緊張してくる胸を落ち着けて、ノアは自分の部屋に入った。
ベットに横座りでノアを待っていたのはパジャマ姿のレナだった。ピンク色の可愛らしいデザインは王都で買い物したときに買ったものだろう。
「ん、おかえり、ノア」
いつもと変わらない眠そうな眼でレナは言う。
「ああ、ただいま」
ノアも同じように返す。それからレナが自身の隣のスペースを叩くので、ノアはそこに座る。
「……私が気絶している間、何があったのか聞いた」
レナは姿勢を正して、ノアを上目遣いで見つめた。
「エルマとノアが守ってくれたことも、聞いた。ノアに、私は守ってもらう存在じゃないって……証明できなかった」
レナの透き通った翡翠色の瞳から、透明な雫があふれ出ている。
「……いや、違うよ。あんなやつはレナの敵じゃなかった。今回のことはレナ達に何も伝えなかった結果だ。俺が狙われるということは、レナ達にも危険が及ぶ。こんな簡単なことを失念していた。自分一人じゃ、何も救えない。何もできなかった」
ノアはレナの瞳からこぼれる雫を優しく指で拭う。
「……全てを話すよ。とにかく君が無事でよかった」
ノアは小さな身体を自分の身体に閉じ込めた。優しく優しく抱きしめると、レナは長い耳を真っ赤に染めてノアを見詰めた。
「ノア……少し、苦しい」
知らずのうちに力を込めていた腕を緩めて、
「ごめん、レナ……でも俺は多分、レナがまた危険になったら迷いなく守ろうとするよ。でも、それは実力を信頼していないわけじゃない。それはーー」
「もういい。私も決めたから……ノアがそうするなら、私もノアに危険が及んだら守ってあげる。ノアよりもずっと強くなって、今度は私がノアを守るの」
とろけるような暖かな笑みを見せるレナに、ノアの心臓がドキッと跳ねた。
(……いやいや、何だ今のは。確かに可愛いけど、外見は五歳くらいの女の子に俺はーー)
「ノア、守ってくれたお礼に、いいものあげる」
寝て、そうお願いするレナに、意識を切り替えて素直に従い、ノアはベットに横になった。
「ん、目をつぶってて」
小さな手で、ノアの瞼を優しく閉じる。それから天井の魔石灯のスイッチを切って、明かりを消した。月の光だけを瞼の裏に感じつつ、ノアは何がお礼なのか思慮を深めていた。
「ん、ノア……」
耳元で囁かれた艶がある声に、ノアはビクッとしたまま身体を硬くした。小さな手がノアの黒髪を掻き分けて額に触れる。やがてレナの息が額にかかってきてーー
「ちゅっ」
額に柔らかいものが押し付けられた。
「おわッ⁉」
飛び上がったノアは目を白黒させながら、レナの顔を見つめた。その顔は両者とも赤に染まっている。
「え、ちょっ、あれ、レナさん、今、何を」
挙動不審になったノアの言動に、レナは顔を赤く染めながら怪しく笑った。
「ふふ、何だろう、ね」
その日はレナと同じベットで寝つけるか、初めて不安に感じた。




