VSレナ <前編>
ノアは宿屋『黄金亭』の自室の床に正座していた。ベットに立ち、ノアを見下ろしているのはレナ。傍にはエルマとハンスもいる。
「ノア、どこ行ってたか、正直に話す」
見下ろしてくるレナの瞳は冷たい。かつてないほどにその眼差しは凍てついている。傍に立つエルマも普段はノアにひどく甘いが、この時は何も口をはさんでこない。ハンスは固く口を引き結んでいる。自分が口を出した所で、火に油を注ぐことになると理解しているのだろう。
ノアの額から汗が流れ落ちる。緊迫した空気の中、ノアは視線を下に下げることしかできない。
そもそもノアは”種”のことも、悪魔族のことも仲間たちには話をしていない。あまり危険なことに巻き込みたくないという思いが強いのだ。それにこうして心配させたくない。たった一日だけ、仲間たちに合わなかっただけでこうして真剣に怒るほど自分は大切に想われているのだ。
それに嬉しさを感じるが、今の雰囲気で喜べるはずがない。
(我が説明しようか……?)
そうルガの声が脳内に響くが、レナはルガに何かと対抗心を抱く。ルガが間に入っても、ハンスと同じように火に油を注ぐだけだろう。
何も言わないノアに、レナは悲しそうな顔をする。それはエルマも一緒だ。だが、俯いているノアはその表情に気付かない。
「もう……いい。ノアは私達を信頼してないことが良く分かった」
「い、いや、そういうわけじゃーー」
「もういい!」
強く言ってレナは部屋から出ていく。扉を閉めるときに怒りに任せてバタンッ! と音がするほど勢いよく閉じた。
完全に怒らせてしまった。次の日はレナとの試合だというのに。
「もう少し、人の気持ちを考えてください」
エルマも出ていく。その言葉にも、ノアは反応せず俯いたまま。
残ったハンスは大きく息を吐きだした。
「ふぅ~、怖かったっす……」
「……ハンス、もしかしたら君の力を借りるときがくるかもしれない」
「いいんすか? レナさんやエルマさんには……」
心配そうに見てくるハンスに、ノアは全く関係ない質問を投げた。
「……お前には大切な人がいるか……?」
「……まあ、幼馴染が……」
照れ臭そうにハンスは頭の後ろに手を置きながら言う。
「だったら分かるだろ? 大切な人を危険に巻き込みたくないと思う気持ち」
「いや、それだと自分なら巻き込んでいいってことになるっすね」
ジト目で見つめてくるハンスにノアは当然のように頷いた。
「ひどいっすよッ⁉」
ノアはそれを無視して、神妙な顔でハンスに告げた。
「……いいか。俺とレナが明日戦うときに地下にある結界装置を警戒していてくれ」
「え、地下に結界装置があるんすか? それってーー」
「話は最後まで聞こう。この前のことで運営が無能でなければ警備は厳重になっているはずだが、警戒しておいて損はないからね」
ハンスに保険としてお願いごとをした。これで安全だとは思わないが、願わくば王国の警備が厳重になることを祈るしかない。
だが、この時のノアはレナを怒らせてしまったことにばかり注意をさき、簡単なことを失念していた。敵が同じ場所を二度狙うとは限らないことを。
* * * *
王城に次いで、大きな建造物であるアスカテル家の屋敷で。
「ギドさんから連絡が来たよ、オスカー」
いつものように豪奢な服を着た茶髪の優男ーーエレムがノックなしに執務室に入ってくるのを咎めず、アスカテル公爵家当主、オスカーは手に取っていた書類から顔を上げた。
「何のことかね?」
「ほら、君の駒だった人間さ、たしか、バ、バ……」
「……バロンか」
闘技大会でノアに負けてから、姿が忽然と消えていたのだ。闘技場関係者の話によると、医務室から目を覚ました直後、勢いよく部屋から飛び出したらしい。
「王都の近くの森で毒が塗ってある剣の破片で胸を一突き。自殺っぽいらしいけど……」
「いや、魔力を支配する力を持つあの少年だろう」
闘技大会でも見せた純黒のオーラ。魔力支配以外の能力も分かってきている。刀身を伸ばしたり炎を創り出したり。一貫性がないことが気がかりだ。一体、どんな英雄が与えた英雄紋なのか。オスカーは疑問に感じたが、今は重要な事ではない。
「結界装置の方は君の弟に邪魔されたようだねぇ、いやー中々やるじゃない。本当に英雄紋が与えられなかったのかな?」
「……」
不機嫌な顔つきになったオスカーにエレムは笑った。
「そんな顔しないでよ。君の駒でまともなのは両手の指で数えれるくらいしかいないし、次は失敗しないように俺自身が動くよ」
「何ッ⁉ エレム、お前はーー」
「あの少年には絶望してもらう。ヘレンを手に入れるうえで、非常に邪魔だからね」
エレムは背から悪魔の翼を生やした。
「……王女殿下はお前を警戒している。もしかしたらお前が仇であることを無意識に悟っているのではないかね?」
「ククッ、意思などどうでもいい、俺の力を使えば何とでもなる」
エレムの白目の部分が黒く染まり、赤い瞳孔が浮かび上がる。
「……どうするつもりだ?」
「俺はただ、大切な存在を奪われて、絶望する表情が見たいのさ」
大戦を経験した、歴戦の悪魔族は牙を剥いて嗤った。
* * * *
夕食のときもレナは部屋に閉じこもったまま、降りてこなかった。エルマが後で食事を持っていくとのことで、安堵したが、明日のレナとの試合はどうなるのか……
レナもノアも胸にモヤモヤしたものを感じながら、それぞれの朝を迎えた。
朝食を食べるときも、レナは姿を見せなかった。
装備を整えてから闘技場に行くときも、ノアとレナは別々の時間帯に宿を出た。エルマにレナを任せて、ノアは一人で闘技場に向かった。
今日も多くの人が闘技場に詰め掛けてきていた。裏口から闘技場内に入り、選手控室へと向かう。
いつだって自分の隣にいた小さな女の子。ノアがヴァレールの下を離れてから、一番仲良くなった森妖精の女の子。
いつも眠そうな目をしていて、滅多に笑わないが、笑うと滅茶苦茶可愛い。甘いものが好きで、普通の女の子らしいところもあるが、膨大な魔力量を持つ先祖返りの古代妖精だ。
英雄紋を与えられた者同士。通じるところが多々あった。傍にいると心地よかった。
今からノアは戦わなくてはならない。剣を向けなければいけない。しかも、今物凄く怒ってる状態のレナと。
「最悪の気分だ……」
嘆いていても、時間はやってくる。
『準々決勝第一試合、”漆黒の英雄”対『妖精姫』、英雄紋を持つ者同士の激しい戦いまで、もうすぐです‼』
実況の声が入場口付近で待機するノアの耳まで届く。人が発する熱気がここまで伝わってくる。ノアは胸を押さえた。妙に緊張する。
ついにノアとレナの来場がアナウンスされる。
観客席に囲まれた、白い大理石で造られた舞台まで歩く。ノアが入場口から現れると、観客席に座る人々が爆発したかのような雄たけびを上げた。
(毎回思うが、すごいな)
人の戦いを見て何が楽しいのだろうか。ノアは分からない。
逆側からはレナも同じようにこちらに向かってきている。二人は舞台にある結界を通り抜けて、舞台に上がる。一定の間を空けて、向き合った。
毎度同じように実況がノアとレナの紹介をしている中、ノアは恐る恐るレナに視線を向けた。レナはノアを見詰めていた。
いつもの眠そうな眼ではなく、毅然とした眼差しで。
「ーー本気で戦って。じゃないとーー」
ノアはその小さな身体から迸る闘気に、気圧された。
「負けるよ」
闘技大会準々決勝第一試合。
様々な想いを内包した一戦。英雄に加護を与えられた者同士の戦いが、幕を開ける。
* * * *
あらかじめ持っていた植物の種をまくレナ。ノアはその動きを予期していたため、身体に魔力を流し、一気に勝負をつけようとレナの懐に掌底を放ったがーー
「舐めすぎッ!」
英雄紋を使わない一撃に、レナは怒ったように背から蝶の羽を生やし、羽ばたかせて風圧を起こした。
「っ……」
ノアは吹き飛ばされたが、空中で身体を操作してうまく着地した。その間にレナは周囲に木々を生み出していた。
(できるだけ早めに終わらせたかったが、無理だったか……)
(あるじよ、もう我を抜け。あやつもそれを望んでいるのだ)
ルガの思念がノアの脳内に響く。
根底にあるのは、結界で傷つかないと分かっていてもレナを斬るということがどうしてもできないという気持ちだ。我ながら敵には容赦ないが、一度親しくなってしまえば自分はとことん甘くなる。
だが、レナの本気に応えたいという思いもある。
「……<魔力支配・黒装>」
キーとなる呪文を呟くと、黒いオーラが身体を覆い、漆黒のロングコートを形成した。レナも背から蝶の羽を生やし、空からノアを見下ろしていた。
白い大理石で造られた舞台は、様々な植物で覆われ今は見る影もない。
「ノア、それでいい。ここではどんな攻撃も無効になる。肉体ダメージはないから、私を斬ってもいいの……だから貴方に認めさせる、私は守られる人間じゃないって。『妖精女王』から加護をもらった先祖返り、古代妖精だということをッ!」
レナが腕を一振りすると、地面に生えていた木が急激に伸びてノアを襲う。まるで生きているかのように枝をしならせて鞭のように繰り出してくるのをノアは無造作に斬り捨てた。
葉が刃のように固く鋭くなって、何枚も飛ばしてくるのをノアは視切って避ける。
硬く太く成長した木が幹でノアを押しつぶそうとしてくるのを魔剣ルガーナで強引に吹き飛ばす。
(……嵐のような苛烈な攻めが、レナの力強い気持ちを感じさせる)
それでもノアには対処できないレベルではない。だが、詠唱が必要な<レーヴァテイン>の紋章術は使えない。
空に浮かぶレナは木々を操作しながら、詠唱を開始した。
「<妖精女王の名のもとに命ずる。世界の要、大いなる大樹よ、我を守り、我を導き、世界を創れ、世界樹>
ノアは天高く伸び続ける美しい大樹に、これまた美しい蝶が降り立つのが見えた。ノアは周囲の木々を強引に切り払い、戦いの場を移した。
枝や幹を蹴り飛ばして登ってきたノアは世界樹に用意された葉っぱで造られた舞台に降り立った。この世界の支配者であるレナは、静かにノアを見詰めていた。
「ここは私のフィールド。世界樹にノアが足を踏み入れた瞬間、負けが決まる」
こうして戦っている今も、ノアはまだモヤモヤした気持ちは晴れない。このモヤモヤを抱えたままでは戦えない。だからノアは素直な気持ち言うことにした。取り繕わない自身の気持ちを。
「……レナ、一つだけ言わせてくれ。俺は君を信頼していないから秘密を打ち明けないんじゃない。大切な存在だから、危険に巻き込みたくないだけなんだ」
その言葉にレナは目を見張った。だが次の瞬間、その目には涙が浮かび、ノアを睨んでいた。
「そんなの、そんなの私もエルマも一緒。なんで分からないのッ? 私達だってあなたを大切に想っているのにッ」
その言葉に、今度はノアが目を見張った。ノアが油断した隙を逃さず、レナは世界樹にある無数の枝でノアを貫こうとした。
先端がとがった枝は槍のようだ。超速のスピードで向かってくる木の槍に、ノアは避けようとしたがーー
「なッ⁉」
足元の葉っぱがノアの足を逃さないと言わんばかりに、飲み込んでいた。体制を崩したノアの下に、無数の槍が降りてきてーー




