残酷な命令
時は決勝トーナメント第一試合が始まる前より少し遡る。
場所は王都にあるアスカテル公爵が保有する屋敷。美術品の数々が展示された部屋に一際存在感を放つ玉座があった。
部屋には、その玉座に座るがっしりとした肉体を持つ野性味溢れる美形の男とその男に跪いている四人の男女がいる。
玉座に座るのがアスカテル公爵家当主オスカー、そして跪いている四人の男女の中心にいる赤紫色の
頭髪をした男がノアと第一試合を戦うことになったバロンという男だ。残りの三人は顔に仮面を付けて素顔は把握出来ない。
そして、四人とも首に銀に輝く首輪を装着している。
「バロン、準備は万端かね?」
「完璧です」
自信ありげにニヤリと笑うバロンをオスカーは満足気に見た。
「それは良かった。だが、あの少年を侮るのはよくない。昨日会って考えが変わったのだよ。使わないつもりだっが、聖王国の力も使っておこう」
オスカーは懐から小瓶を取り出した。中には毒々しい液体が入ってある。
「これを渡しておこう。剣にでも塗れば、肌に触れただけで致死量に到達する猛毒らしい。配下に調べさせたが、猛毒なんて言葉も優しいほどの毒だそうだ」
バロンは恭しく小瓶を受け取ったが、その中身を複雑な視線で見つめた。
「……そこまでする必要があるのですか? 悪魔族の力を完全に使いこなす俺と勝負になるとは思えませんが……」
不満げに言うバロンに、オスカーは宥めるように柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「あくまで保険さ。聖王国は何としてもあの少年を殺したいようだからね」
一応の納得をしたバロンから視線を切り、オスカーはバロンから一歩後ろの位置に跪いている仮面をつけた三人に目を向けた。
「結界を停止させるのは君達三人。事故に見せかけて殺すには君達の頑張りが最重要だ。私としてはあの少年を殺すのは惜しいが、しょうがない。邪魔する者は殺しても構わんが、気取られるなよ?」
「「「はッ」」」
三人の声が唱和する。オスカーは一つ頷き、不敵な笑みを浮かべて作戦開始を命じた。それと同時に、四人に着けた首輪が赤い光を放った。
* * * *
暗い通路を抜けて舞台に続く入場口を通ると、まず大量の光が視覚を奪い、次に観客の歓声で鼓膜が震えた。
予選時よりも大きな歓声、まるで王国という国そのものが震えているような、そんな感覚。舞台を囲む観客席に座る人々は誰もが叫んでいる。
国を代表する祭り、最高の娯楽。これが王国闘技大会。
その雰囲気に、ノアは自然と笑みを浮かべた。
舞台まで歩き、登壇する。ノアの身体に触れるような透明の壁ーー結界を通り抜けて。
ノアと反対方向から来る対戦相手も同じように舞台へと上がった。それと同時に、更なる歓声が巻き起こる。
対戦相手は赤紫色の長髪を後ろで縛りまとめた男だ。腰には二振りの双剣が差さっている。首には銀の首輪をしており、上半身はタンクトップのような服を着ている。防御力など外見からは皆無に見えるが……
実況の声が俺達二人を紹介する中、舞台上にいる二人は一定の間隔を開けて立ち止まった。そして静かに会話する。
「よう、お前さんがノアか。意外と可愛い顔してんなぁ」
「……お前、そっち系か……」
「アホかッ⁉ 俺はノーマルだッ」
ノアが引いて見せると、慌てて否定するバロン。
「ふふッ、ま、精一杯頑張ろうね、お互い」
「……そうだな、精々、粘ってくれよ?」
自信満々に笑うバロン。自分の実力に絶対の自信があるのだろう。
ギルベルの話が本当なら、目の前の男はノアを殺すために送られてきたアスカテル家の刺客。そんな相手がノアの実力を分からないはずもない。そのうえで、余裕そうな表情を浮かべているのだ。
ーー面白い。俺にお前の力を見せてみろ。俺はその力を糧にして、更に強くなってやるッ。
二人が不敵な笑みを浮かべると同時にーー
『決勝トーナメント第一試合、開始ッ‼』
大歓声と共に試合開始の合図がなる。
その瞬間、動き出したのはノアだ。魔剣ルガーナを抜き放つ。魔力を込めた上段斬りを放つがバロンは双剣を抜き、交差して受け止める。
鍔迫り合いしつつ、バロンは好戦的な笑みそのままに言う。
「早く英雄紋を使えよッ、こんなもんじゃねえだろ?」
「俺が本気を出すに値するのか確かめたかったのさ。君は英雄紋を持っていないらしいから、ね」
バカにするように言うノアに、こめかみをピクリと動かしたバロンはーー
「英雄紋を持つ人間だけが……英雄級に到達できるわけじゃねえッ!」
吠えるように言い、ノアを蹴りつけた。だが、ノアは自分から後ろに飛び衝撃を和らげ、そして吹っ飛びながらノアは力を発動させた。
「--<魔力支配・黒装>」
右手にある紋章から黒いオーラが噴き出す。ノアはそのオーラを自分の身体に覆うようにコントロールする。
そして現れたのはオーラが漆黒のロングコート状になった黒髪の少年。
バロンはその姿に満足気に頷き、腰を低く落とした。それから、
「<悪魔化・第一封印・解放>」
小声で呟くと、赤黒いオーラが身体から立ち昇った。ノアはその姿を瞳を細めて見つめた。
「それはどんな原理で?」
「俺の……特殊能力のようなもんだ。気にすることじゃない」
それから二人は先ほどとは比にならないほど高速でぶつかり合った。一般の観客には目で追うことも困難なほどの高速戦闘。
禍々しいオーラを纏う者同士のぶつかり合い。レベルが高い激しい戦いに、観る者全て感嘆した。
* * * *
闘技場舞台では激闘が幕を開けた。一方、その舞台の地下ではーー
ノアと別れたギルベルは闘技場の地下に続く階段を一段ずつ降りていく。すでに敵が忍び込んでいるのか、階段には闘技場の職員らしき人達が気絶していた。
大鎌である神器【地獄大鎌ゲザー】を背負うギルベルの姿は目立つが、今は薄暗い地下通路。潜入には不向きな武器だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
階段を降りると、大きく開けた場所に出た。そこには何らかの魔道具なのだろう。四つある虹色の球体、それが円柱の上に置いてある。
(あれが結界装置、か)
そしてここを守護していたのだろう。地面に倒れ伏している騎士と魔術師、総勢十名。彼らは皆、血の海に沈んでいた。
犯人と思われる仮面を付けた三人。新たな人の気配を感じて、一斉にギルベルに視線を向けた。
「……これはこれはギルベル様、お久しぶりでございます」
そのうちの一人がギルベルの姿を見て、親し気に声をかけた。
「誰だ、てめえ」
「わたくしの声をお忘れですかな、お世話係をしていたノックです」
そう言って、男は仮面を片手でとった。年齢を感じさせる壮年の男性。その容姿を見ても、ギルベルの表情は変わらない。
「そうか、あいつは執事やメイドなんかにも”種”を使ったのか……」
情報だけを冷静に把握する。そこに一切の情は見いだせない。
「ですがそのおかげでこうして力を持てたのですから、な。ギルベル様はあれからどうしていたのですかな?」
「屋敷にいたときよりは快適だったぜ、人を見下す視線を絶えず向けてくるてめえらには心底うんざりしてたんだ。丁度いい。ここで殺す」
ギルベルのその言葉にも、ノックと名乗った男は歪な笑みを浮かべた。
「わたくしたちを殺せるとでも? 英雄紋を持たない貴方に? そんなことは不可能なんだよッ! いい加減現実を見ろッ! お前は一族の失敗、ただ一人の汚点だッ!」
「……言いたいことはそれだけか?そっちの二人は俺に何か言うことはねえのか?」
ギルベルが尋ねても、二人は無言で戦闘態勢をとるだけ。
「そうか、ならさっさと始めるか……英雄紋がなくても、俺がてめえらより強いことを見せてやろうじゃねえか」
そう言って、ギルベルは肩に預けていた大鎌を片手で振り払った。それと同時に三人の刺客達は飛び掛かってくるがーー
「ガッ⁉」
「いぎィ⁉」
「ッぐ⁉」
三者三葉とも跪くように地面にうずくまった。彼らの頭上には鋼色の魔力球がある。会話している内にギルベルは気付かれないよう上に待機させていたのだ。それから発せられる重力波によって、三人は動けなくなっていた。
それは重力の檻。ギルベルの神器の能力。これこそが空間魔術よりも特化した、重力を司る神器【地獄大鎌ゲザー】の力だ。
アスカテルの刺客達もバロンと同じように呪文を口にして、赤黒いオーラを次々と解き放つがそれでも重力の檻は破れない。
「ば、バカなッ、こ、これだけ、の力を、維持する魔力量、到底貴方では……」
恐怖と困惑に濡れた目を向けてくるかつてのお世話係に、ギルベルはフードを取り払ってネタバラシをした。
「あ、ま、まさかッ……」
顔立ち自体は目付きは鋭く人相が悪いが、とても整っている。好みが分かれる容姿だが、美形といっていいだろう。
問題は別にある。頭髪は燃え尽きたような灰色。所々の肌には刺青のような赤黒い線が入っている。
「き、禁術……使ったのですかッ⁉」
その問いに、正解と答えるかのようにギルベルは残酷な笑みを浮かべて、
「お、お待ちく、ださいッ、ぎ、ギルベル様、わ、わたくしが、きょうりょーー」
大鎌を振り下ろした。命乞いをする相手に一切の情を与えずに、処刑した。三人は抵抗などできず、恐怖に歪んだ顔のまま潰れて死んだ。
血が媚び付いた床をそのままに、ギルベルは舞台上で戦っている漆黒の少年に向けて呟いた。
「こっちは終わった。さっさと終わらせろよ」
* * * *
バロンは焦っていた。結界が壊れないことも理由の一つだが、単純な実力で上回られていた。こうして魔剣と双剣を高速でぶつけあっているが、ノアはスポンジのように技術を吸収し自分の物にしている。
ーー天才。
そんな言葉が頭をよぎる。
「焦りでも出てきたのかな? 汗が凄いよ?」
鍔迫り合いをしつつ、黒髪に中性的な容姿をした少年が小馬鹿にするように言ってくる。
「うるせえッ! くそがッ⁉」
乱暴な口調に変わってきているバロンの額からは何滴も汗が滴り落ちていた。
(クソ、何をしてやがるッ。このままじゃ、いくら肌に触れただけで死ぬ強力な毒があっても意味がないぞ。クソ、どうするッ⁉)
内心を見透かしたように、ノアは瞳を細めた。
「残念だったね、俺を殺すことはできなかった。これだけ待っても結界は顕在だ」
「なっ⁉ お前、その情報はーー」
しかし、強引にノアが弾き飛ばしたため、バロンは言葉を止めて鋭く睨んだ。深紅の瞳を不気味に輝かせて、ノアは魔剣を両手に握りしめた。
「さっきから相棒が嫌そうなんでね、そろそろ終わりにするよ」
ゾクっとした感覚を抱いたバロンは咄嗟に第二封印を開放しようとしたが、その一太刀は何よりも速かった。
「<魔力変異・伸縮自在・カラドボルグ>」
魔剣の刀身が一瞬にして長く伸びて、バロンが盾にした双剣を両断し、その斬撃は身体までーー
「ガハッ⁉ ぐ、うぅッ」
だが、身体を両断されたと思っていたバロンだったが、まだ意識を保っていられたことに驚いた。
「どういう、つもりだッ?」
決着がついたと思ったのか、観客の歓声が一際大きくなる。そんな中、深紅の瞳をした悪魔はもう身動き一つ取れないバロンの傍に来て片膝をついた。そして銀の首輪に手を触れた。
「な、なにを……」
「君は俺の命を狙った、そうだろう? 剣に毒を塗ってあるのが何よりの証拠だし、結界を必要以上に見ていたしね。なら、俺に命を奪われても仕方ないだろ?」
銀の首輪は隷属の首輪の効果を持った魔道具だ。
「<魔力支配>」
登録したオスカーの魔力を自身の魔力に置き換える。バロンは感覚的にそれが分かった。その瞬間、目の前の少年が言った事が理解できた。
思わず恐怖で身体が震えた。生殺与奪を握られたのだから。
「命令するよ。まず、これから命令する内容を人に伝えることを禁じるーー」
それから、悪魔は嗤いながら告げた。
「明日になったら、その毒を塗ってある剣で自殺しろ。場所は王都の外。郊外でな」
死の恐怖をゆっくりと味わえよ、そう続けて少年は立ち上がって背を向けた。おぞましい命令を嗤いながら告げた少年の姿に、狂いそうになるほどの恐怖を感じたバロンだが、もう限界だったのか意識はそこで途切れた。
観客からすれば、ノアの行いは互いの健闘を称えたようにしか見えなかった。だが、一部の者にはしっかりと見えていた。こうして第一試合はノアの勝利に終わった。
ノアのその行いを、来賓席に座る銀の輝きを放つ聖なる乙女はその静謐な碧眼に悲しみを湛えた。




