舞踏会 <後編>
壁の隅に立ったまま、所在なさげに立つ少女。近付いてくるノアを見て、その少女はオドオドし始めた。それが益々フィリアに似ていて、笑いそうになってしまった。
目的の令嬢に声をかけようと思ったとき、進路を邪魔するように令嬢のグループがノアの視界の前に立った。中心にいるいかにも高飛車な貴族令嬢といった少女がノアへとにこやかに話しかけてきた。
「ノア様、どうかなされましたか?」
(ヤバイ、名前が分からん……これは……どうしようか)
「いえ、ダンスのお誘いに参ったのですが……」
「あら、ごめんなさいね、わたくしたち、お父様から貴族としか踊るな、と言われていますの。でも、ノア様ならーー」
「大変申しにくいのですが、貴方達ではないのです」
失礼だと思っても、ノアは令嬢の言葉を遮った。令嬢たちは呆然とした顔でノアを見詰めてくるが、ノアは失礼しますと言って、その間を通り抜けた。
そして、
「すみません、お名前をお聞きしても?」
「あ、え、は、はい。ィ、イレア・サンベルと申します」
「では、サンベル様。私と一曲踊っていただけませんか?」
直球で言ったノアを、イレアは驚いたように目を見開いて見詰めてくる。
イレアはこれまで一度もダンスに誘われたことがなかった。いつも『壁の花』状態であった。自信などないに等しいため、普通ダンスに誘われたら嬉しいが、イレアの場合何か理由が欲しいのだ。自分でしか足りえない理由が。
「え、っと、なぜ私なのでしょうか。ノア様なら他の方とも……」
「派手派手しい方達とはどうも……。どうやら貴族社会は私には合わないようなのです」
苦笑い気味に言ったノアにイレアはほんの小さく、笑った。
「ふふ、そうなのですか。あれほど、その、堂々とされていたのでてっきり……」
貴族とは思えないほど、彼女は話しやすかった。だが、それを邪魔するように貴族令嬢の集団がノアに声をかけた。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! イレアさんはこれまで壁の花状態でしたのよ。ダンスも下手で取り柄なんて何もないわ。王女殿下と踊った貴方がイレアさんと踊ることはとても恥ずかしいことーー」
「うるさいな」
ぽつりとつぶやいたノアの言葉は氷のように冷たかった。ただでさえ面倒に感じていた貴族との接し方。それに加えて自分が話している相手を平気で馬鹿にする歪んだ性格。
殺気を込めた視線を背後に立つ令嬢たちに向けた。それだけで令嬢たちは批判することなく、顔を青くして逃げ出していった。
「……嫌われてしまいましたね」
「い、意外と、感情的なんですね」
「だから言ったでしょう? ここにきて分かりました。俺は貴族社会が嫌いだってことがね」
ノアは素で話しうんざりしたように言うとイレアは楽しそうに笑った。
「わ、私もです。でも、逃げ出せない。例え私に何も価値がなくても」
そう言って困ったように笑う彼女。ノアはやはり、どこかフィリアに似ていると思った。どこが、と聞かれたら困るのだが。
「なら、俺と踊りませんか? もしかしたら嫌なことも、少しの間だけ忘れるかも」
そう言って、ノアが手を差し出すと、イレアは何度も躊躇してまた困った顔を浮かべた。だが、ノアは強引に手を引いて、彼女をフロアの中央へ連れ出した。
多くの貴族達がダンスしている中に入り、ノアもイレアと混ざった。向かい合い、細い腰を強引に引くと驚いたような顔をして顔を赤く染めた。
イレアはヘレンのように流れるようなダンスとはいかなかったが、それでもその初心な反応はノアの笑みを誘った。
ノアがリードしてあげると次第にぎこちなさが消えていき、イレアも楽しくなってきたのか自然な笑みを見せ始めた。その笑みは華やかな美しさはではないが、純朴であどけない可憐さがあった。
ノアとのダンス後、見ていた幾人もの貴族からイレアはダンスに誘われることになるのだが、それは別の話。
* * * *
舞踏会は終わりの時間が近づいていた。
イレアとのダンスを終えて、ノアは涼むために大広間から行くことができるバルコニーへと足に運んだ。外に出た瞬間、日中よりも冷たい夜の風がノアの火照った身体を冷やした。
だがバルコニーには手すりに寄りかかったままワインを飲む先客がいた。その人物は紫水晶色の鮮やかな髪と糸目が特徴の人物。
「……来ていたんだ、アザミ」
第四騎士団団長アザミ・レトール。彼はノアの方に振り返ると、薄く笑みを浮かべた。
「これはこれはノア殿。王女殿下の相手、ご立派でしたね」
面白そうに言うアザミは本心で言っているのか馬鹿にしているのか分からない。ノアは気にせずアザミの隣に移動し、同じように手すりに寄りかかった。
「いや疲れたよ。もう二度と行きたくないほどに」
「ふふ、分かります。だから私も夜会の時はこうしていつも一人いるんです」
「令嬢たちは寄ってこないの?」
アザミは容姿がいいし、王国騎士団の一つを任せられる実力者だ。それなのに彼は一人でいる。
「第四騎士団は貴族に嫌われていますからね。それに私は元平民で爵位は騎士爵。最下級ですから」
うまみなんてない、そう言うアザミの表情は変わらずに薄い笑みを貼り付けたまま。そのことについて何も感じていないのだろう。
「そういえば、闘技大会予選突破おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。意外とすんなり進めたからよかったよ。たしか、決勝トーナメントにはレインの他にも王国騎士が参戦するんだろう?」
「ええ、第三騎士団団長のーー」
「邪魔するよ」
ノアとアザミが会話を続ける中、その声が夜の風と共にバルコニーに響いた。やってきたのはがっしりとした肉体と輝くような金髪が特徴のハンサムな男性。それとニコニコとした笑みを浮かべている茶髪の優男風の青年。
ノアは内心、笑みを浮かべた。大貴族である彼らとは中々話すことができなかったから。まさか相手の方から来てくれるとは。
「私の名はオスカー・リル・アスカテル。闘技大会で活躍した人物と直接話をしたいと思ってね」
「私はエレム・ミラージュです。よろしくどうぞ」
二人は名乗った。それから、オスカーはノアとアザミを交互に見た。
「確か、君達二人はあの失敗作と会ったんだろう?」
ノアは心当たりがなかったが、アザミは薄く笑みを浮かべたまま答えた。
「……ああ、ギルベル、貴方様の弟のことですか」
「いいのかね、第四騎士団団長が王都に犯罪者を招き入れるなど」
「私が招き入れたのではありませんよ。とある冒険者の口車に乗っただけです」
そう言って流し目でこちらを見るアザミ。
「……なるほど。それではその冒険者に話を聞こうじゃないか」
それからアザミに視線を向けた。その意図を察したアザミは空気を読んで、
「では私はこれで。ごゆっくり」
最後にノアに意味深な視線を投げて退室した。
(押し付けやがったな)
そう思ったが、ノアとしてもアスカテル家当主と話すことはこの舞踏会に出席したことの一つだ。平民であるノアはアスカテル家当主に話しかけることはできない。だが、相手から声をかけてくれれば問題ない。
”種”を持つ自分に興味を持つのは自然な流れ。そう考えたノアは舞踏会に出席したのだ。
「ふむ、気を使わせてしまったかな」
顎に手をやり、アザミの背を見送るオスカー。ノアはさっさと本題を聞き出すことにした。
「それで、お話とは?」
オスカーはアザミがいなくなった場所へ行くと、そこから王都の街を見下ろした。
「……君は人族に絶望したことがあるだろう」
ノアは思わず突拍子もない返答に少し驚いた。だが、表情には出さずに少し考えてみる。
「……どうでしょうか。なぜそんなことを?」
「君の瞳を見れば分かるのだよ」
だが、ノアはオスカーと聖王国が繋がっていることは情報屋で聞いて知っている。そして、ヴァレールと繋がっていた聖王国と繋がっているということはノアの身の上を知っているかもしれないということだ。
「そんなことは。現にこうして楽しく過ごしていますが?」
「いいや、君の目は人族に敵対する者の目だ。私には分かるのだよ、なぜなら私も同じだから」
ここで、オスカーはやっとノアの目を見た。ノアは、その目に宿るどす黒い輝きと視線を絡めた。
「現代の英雄は存在意義を失っている。私が敵となることで英雄たちは再び”英雄”に返り咲けるのだ。君は人が憎いのだろう? 私は闘技大会期間中、王国にクーデターを起こすつもりだ。どうだね、私と一緒に来ないか?」
その言葉を聞いた時、ノアが思ったことは意味が分からない、だった。普通こんな堂々と話す内容ではないだろう。ノアは呆れた心地だったが、思いのほかオスカーの瞳は真剣だった。
ノアは内心考えてみる。
(確かに、両親が殺され、フィリアと離れ一人になった時、俺は絶望したのかもしれない。だが、それとこれとは関係ない。クーデターで、王国がどうなろうが知った事じゃない。それにーー)
人に生き方を左右されたくない。自分自身が歩く道は、自分で決める。
「断ります」
その言葉は自然と口から出た。まっすぐオスカーを見つめて、ノアは続けた。
「俺には俺の目的がある。あんたが何を起こそうがどうでもいいが、この際丁度いい。王国に莫大な被害を与えるならそれを利用してあんたを殺し、英雄になる……救国の大英雄に」
相手が本心を言ったのだから、ノアも隠していた本心をぶつけた。冷笑を浮かべて。
オスカーは面白そうに笑った。
「……君は英雄とはいえんな。英雄ではない者に私を倒せるとは思わんが、どうなるか見てみようじゃないか。それと、別に王に報告してもいい。私を捕まえることは不可能だがね」
そう言って、オスカーは機嫌よさそうにバルコニーを後にした。その背に続くミラージュ侯爵に、ノアは声をかけた。
「悪魔族は何を考えているんですか?」
足を止めたミラージュ侯爵は振り返ることなく口を開いた。
「……君はまだ知らないようだね。物事の表だけ見ていたらダメだよ。裏もしっかりと見ておかないと、ね」
その言葉を最後にミラージュ侯爵は大広間に戻っていった。
こうして、舞踏会は幕を閉じた。新たな収穫もあるが、同時に謎もある。一先ずノアは明日開催される闘技大会決勝トーナメントに臨むため、ゆっくりと身体を休めることにした。




