舞踏会 <前編>
王城リンスレッドの大広間。舞踏会場に選ばれるだけあって、たくさんの貴族達が集まっても余裕がある広さ。
そこには既に多くの貴族達が集まっていた。豪華な料理がたくさん並び、煌びやかな貴族が、そしてその子息、子女が優雅に談笑している。部屋の隅には穏やかな雰囲気を壊さないように、楽団が静かな曲を奏でていた。
この舞踏会は毎年、王国闘技大会の期間中に開催される。貴族達にとっては同じ派閥同士の貴族との結びつきの強化、更には自分の子息のお披露目なども行われる。
本心を隠しつつ、華やかな表情で会話する貴族達。その話題はもっぱら王女の相手役についてである。王国一とも呼ばれる美貌を持つ王女ヘレンのダンス相手としてもっとも有力だったのが、貴族派閥に属するアスカテル公爵の右腕、ミラージュ侯爵であった。
だが、公表されたのはメルギスの街を救い、闘技大会で活躍しただけの平民だという。
王国は、王派閥と貴族派閥の亀裂が明確になってしまっている。それは貴族達もすでに分かっていることだ。それだけに大国と言われるリンヴァルム王国であっても、東に聖王国、北に帝国、そんな敵国に囲まれた状況で国内に問題を起こすわけにはいかない。
しかし、選ばれたのは英雄紋を持つだけの平民。闘技大会では圧倒的な力を見せたが、それでもアスカテル家に勝てるわけがない。そう考える貴族派閥に属する貴族は内心では王の判断を嘲笑い、王派閥に属する貴族は不安そうにしている。
「姫殿下がお可哀そうですわ。ミラージュ侯爵が相手ではないなんて……」
「本当です。まさか平民が相手など……。作法が分からない相手と踊ることになるなんて姫殿下が恥をかくだけです」
見事なイブニングドレスを着た美しい令嬢達が集まってそんな話をしている。その会話内容、そして平民を見下す言動、貴族派閥に属する令嬢達だ。
その集団の中で中心人物であるのがトライア侯爵の令嬢。リアナ・トライアだ。
よく手入れしてある綺麗な金髪とドレスには幾つもの装飾が編み込まれて、その美しい容姿と華やかな服装で集団の中でも目立っていた。そのドレスやアクセサリーの数々は何より他の貴族達との家格の違いを何よりも主張していた。
そんな彼女は自分達が話す場から一歩引いた場所にいる令嬢に声をかけた。
「あなたもそう思いますよね、イレアさん」
「は、はい。そうです、ね」
尋ねられた人物は王国で珍しくない茶髪に目立たない紺色のドレスを着ていた。装飾も特についていないシンプルなものだ。顔つきは整っていて美人だが、どこか印象に残りにくい。身体つきも女性らしさはあるが、特筆すべきところは何もない。
「やっぱり。平民と踊るなんて貴方でもできませんよね」
「……」
そう言って、リアナはクスクスと笑う。周囲の取り巻きの令嬢たちも見て笑っていた。他の令嬢達から蔑みの視線を向けられている彼女の名はイレア・サンベル子爵令嬢。
イレアは元々人見知りで気弱なところがあって、貴族社会自体が嫌いであった。もちろん自分が所属している貴族派閥もだ。だが、彼女の父、サンベル子爵が貴族派閥のため、こうして参加しているのだ。
元々サンベル家は武家であった。彼女の曽祖父が剣術の達人であり、その腕を王に認められて貴族になった。そして曽祖父の息子、イレアから見て祖父が戦争で活躍したため先代の王から子爵へと位が上げられた。
だが、曽祖父が剣の達人だからと言って、その子供全てに剣術の才能が宿るわけではない。曽祖父と祖父にあった剣の才能、それがイレアの父にはなかったのだ。
武器全般全てダメだった。幼少期から過酷な特訓を積んでやっと冒険者でいうC級程度。曽祖父と祖父は王国騎士に長年所属していた人物だったが、現王は能力の低さからサンベル子爵を適当な領地を与えるだけで、王国騎士になることは認めなかった。
期待された子息も事故で亡くなり、残ったのは女性であるイレアだけ。そのイレアも剣の才能はなかった。
令嬢たちからの嘲りの視線にはもう慣れた。だから特別嫌な気持ちは抱かない。ただ、他者の欠点を見つけることに喜ぶ彼女たちの性格には、イレアはついていけなかった。
イレアがそう思っていると、入場口の方から歓声が上がった。舞踏会場に繋がる通路は引き幕で仕切られており、次に入場する貴族の姿が見えなくなっている。
が、今その引き幕が開けられたのだ。噂の王女殿下の相手役である平民。貴族達はそろって入場口の方に視線を向けた。闘技大会で活躍したとは聞いても、当主ではない子息、息女たちは見ていないため、それがどれほどのものなのか知らない。イレアも噂でしか知らないが、我儘姫と噂される王女殿下が認めた相手役が、単なる平民ではないことは理解していた。
引き幕から現れたのは、さらさらとした漆黒の髪をサイドに流した中性的な美貌を持つ少年。柔らかな笑みを浮かべて堂々と隣を歩く美貌の王女をエスコートしている。その佇まいとルックスは他国の王子といってもいいほど整っていた。
王国の宝石、王女ヘレンは普段より胸元が開かれたドレスを着て、時折、視線が恥ずかしそうに漆黒の髪を持つ少年に向けている。その姿は大国の王女というよりも、一人の可憐な少女であった。
見事な所作で少年は王と王派閥の貴族が集まっている場所まで行き、そこで挨拶をし始めた。時折、感嘆する声が聞こえており、それを貴族派閥に属する貴族達は睨むように見つめた。
「顔は……ま、まあまあでしたわね」
「え、ええ。所作も……」
先ほどまであんなに馬鹿にしていた令嬢たちは言葉を失っていた。かくいうイレアも、平民でありながら堂々とした態度と礼節をわきまえた所作に見惚れた。
(ああいう人が、大貴族になっていくのでしょうか……)
イレアはただ遠くからその少年を見つめた。自分には関わりをもつことはないが、見るだけならタダだから。
* * * *
大広間に足を踏み入れた瞬間、たくさんの視線にさらされた。そんな中、ノアはゆったりとした足取りでヘレンをエスコートしていた。腕を組むヘレンが時折こちらに視線を向けてくるのがくすぐったく感じたが、何とか王派閥の貴族達が集まっている場所まで行く。
王派閥の中心になっているのは王国宰相である小人族のユノ・メリアス公爵だ。彼の傍にはその夫人らしき女性が寄り添うように立っていた。
(夫人は普通に人族なのか……)
身長差があるが、不思議と似合う二人だ。夫人は童顔で身長も小さいが、小人族である公爵よりは大きい。だが、そんなことが気にならないほど公爵の落ち着いた雰囲気と余裕ある笑みが年齢を感じさせるからだろうか。顔立ちはまさに美少年といった感じだが。
「姫殿下、今日は一段と美しいですな」
「ええ、本当に。とても似合っておりますわ」
そのメリアス公爵夫妻がヘレンに親し気に声をかけてきた。
「ありがとう、ユノ、ニーナ」
ヘレンが笑顔で言った。公爵夫妻にとても砕けた物言いだ。そう思うと同時に、公爵夫人の名前を記憶しておく。
そしてノアは自己紹介をしておくことを決めた。他の貴族達が注視する今だからこそ、ここで一番爵位が上の宰相に挨拶すべきだろう。それに面識がある宰相に取り持ってもらうチャンスでもあるからだ。
「メリアス公爵閣下、メリアス公爵夫人、わたくしの名はノア。この度は王女殿下の相手役という大変な名誉を頂き、感謝の言葉もありません」
ノアは胸に手を当て、腰をわずかに曲げて礼をした。その礼儀作法をわきまえた態度に、王と謁見した時に見ていた王派閥の貴族達は思わず感嘆の声をあげた。
「ああ、会うのは二度目ですね、ノア。それにしても見違えましたよ。貴族と呼ばれても不思議じゃないほどに見事です」
「ありがとございます」
「わたくしと会うのは初めてよね? わたくしの名はニーナ・メリアス。よろしくどうぞ、ノア」
「はい、メリアス公爵夫人。こちらこそよろしくお願いします」
公爵夫妻との挨拶を終えると、笑顔を維持しながら他の王派閥の貴族達との挨拶もしていく。これが意外に疲れるのだ。
内心ではなんで俺が媚びなくちゃくないのか、とか、どうでもよさそうな貴族の名前は覚えなくてもいいかな、など考えていた。だが、そんなことを考えていても隣に立つのが王国の姫のため、ノアが何もしなくとも貴族達が挨拶していく。ノアは面倒な内心を完璧に隠し、笑顔で応対した。比較的王派閥の貴族は平民だからといった差別をしない者達なのだろう。敵対心を持つ貴族はいなかったため、挨拶自体はスムーズに進んだ。
だが、貴族派閥の貴族達は挨拶しに来ない。ノアは横目で貴族派閥の方に視線を向けると、貴族派閥の中心であるアスカテル家当主オスカーとミラージュ侯爵も来ているようだが、今は派閥の貴族と優雅に談話していた。王が来てから挨拶しにくるのだろうが、それでも集まっている場は王派閥とは離れており、対立は明確なもののようだ。
貴族達との挨拶を会えると、会場に声が響いた。闘技大会と同じ仕組みのものなのだろうか。会場にいる全ての人に聞こえる大きな声は、この国の王の名を告げた。
『ご来場の皆様、リンヴァルム王国国王ダスティヌス・ミルス。リンヴァルム陛下がご入室いたします』
入場口の引き幕が開けられる。ついに舞踏会本番が始まることにノアは気を引き締めた。




