舞踏会へ
ノアが王城へ行ってから五日が過ぎた。部屋にある窓はすっかり暗くなり、夜になったことが分かる。だが、まだ寝る時間には速すぎる時間帯。それなのに部屋の明かりはついていない。
レナはノアが使っていたベットに潜り込みながら、寂しさを埋めていた。
そんな中、ノックの音が響いた。
「……入っていい」
レナはベットに潜っているため、ややくぐもった声で言った。
「レナ、夕食の時間です」
落ち着いた女性の声がレナの耳に届いた。そして扉が開けられ、廊下の光が部屋に差し込んだ。
「……ん、今行く」
レナはそう言ったが、扉が閉まる気配はない。レナが起きるまで待つつもりだろうか。
「……今日はハンスも一緒ですよ」
付け足された内容は、レナにとって別に嬉しくもなんともない。だが、レナはベットから這い出て小さな身体を起こした。
「……エルマ、眩しい」
「レナ、寂しいのは分かりますが、一日中ベットに潜っていても何も変わりませんよ」
「分かってる。でも……やっぱり心配」
そう言ってレナは顔を俯かせた。レナの様子に、エルマはそんなにノアのことが心配なのだろうかと考える。ノアから直接話を聞いたが、王城へ行くと言っても舞踏会に出席するだけのはず。
それも今日行われる舞踏会に出席したら明日には帰ってくるのだ。危険なこともなさそうなため、エルマは寂しいとは感じてもあまり心配してはいなかった。
「そんなに心配なのですか……?」
「……ん、心配。ノアが新たな女性を落とすのが」
あれ? っと思ったエルマだったが、レナはそんなエルマの様子には気付かず話を続けた。
「……ヘレンは多分、もうノアを意識してる。この舞踏会で更に接近するかもしれない。そうなれば今度は確実にーー」
バタン! エルマは何も言わずに扉を閉めた。
* * * *
ヘレンは私室で舞踏会の準備のために、衣装合わせをしていた。姿見に映る自分をボーっとしながら見る。なぜか、昨日庭園を散歩した時にノアが見せたあの真剣な表情が脳裏をよぎって集中できないのだ。
「--様、姫様! やっと気付きましたか。もう終わりましたよ……とっても綺麗です」
髪をセットしてくれていたミラの声で終わったことが分かった。今更ながら姿見に映る自分がどんな格好をしているか気付いた。
鮮やかな青のドレスは首元が大きく開いたもので、ヘレンの大きな双丘が谷間を作り出しているのが分かる。寂しい首元にはいくつもの宝石が散りばめられたネックレスをつけ、プラチナブロンドの美しい髪はワンサイドヘアにされており大人っぽさが増している。
ヘレンは自身の胸元に視線を向けて、頬を薄らと染めた。
「だ、出しすぎではないかしら……?」
「何を言っているんですか! これくらい貴族の令嬢にとっては普通です。それに姫様は立派な物をお持ちなのですから、それを使わない手はありませんよ!」
そう言って、ミラは姿見に映るヘレンの胸元を凝視した。
「で、でも……こんな気合入れなくても……」
恥ずかし気に顔を俯かせるヘレンに、ミラはにっこりといい笑顔で言った。
「ノア殿もとっても喜びますよ」
その名前を聞いた時、ヘレンの顔に熱がともる。それを自分で否定するように反射的に反論する。
「なんでそこでノアの名前が……別に、喜ばせたいわけじゃ……」
「姫様は良くも悪くも純粋なので分かりやすいのですよ。本当に可愛らしい人ですね」
目を細めて優し気な顔で見つめてくる自分の傍仕えに、ヘレンは唇を噛みしめて何も言えなくなった。ノアがきっかけで、ヘレンは自分がこれまで気にしたことがなかったことに気付くようになっていた。それは、いつも自分に親身に向き合ってくれる大切な存在が目の前にいるということ。
幼いころに母親を亡くしたヘレンにとって、心の支えになっていたのがミラというメイドだったのだ。今思えば、姉のようであり、母のような存在であった。王女であるヘレンには親しい友人もいないため、彼女の存在は非常に大きい。
彼女の優し気な視線に照れ臭くなり、ヘレンは顔を俯かせた。
だが、スイッチを切り替えるように真剣な声音でミラが問いかけた。
「姫様、ノア殿を舞踏会に出席させる件、陛下が許可を出した意味がお分かりですか?」
少しの時間目を閉じて、ヘレンはゆっくりと首を縦に振った。
「ええ、わたくしも今の王国の現状に無関係ではないから。貴族主義を掲げる貴族派、その筆頭である英雄一族のアスカテル家とその右腕ミラージュ侯爵。お父様はわたくしを王国の平和のためにミラージュ侯爵の望み通り妻にさせる予定だった」
「ええ、そうです。現段階では王国が二分させない方法はそれしかないという苦肉の策ですが」
よくできましたと言わんばかりの笑みで自分を見てくるミラに、ヘレンも笑みを返す。
「でも、メルギスの街で新たな英雄紋所持者が見つかり、闘技大会で大活躍をするほど強いえいゆ……人が出てきた」
英雄と言おうとしたのを途中で人と言い直すヘレンに微笑ましそうにミラが頷いた。
「その通りです」
「……そこでわたくしがノアを舞踏会に連れてくることで、噂の英雄紋所持者は王族が握っていることを他の貴族に見せつけ膠着状態に持ち込む」
「はい、時間稼ぎでしかありませんが、陛下もヘレン様を嫌な相手と結婚させるのは本意ではないので頷いてくれましたね……それに、近衛を圧倒できるノア様です。ヘレン様に愛情が芽生えれば、もしかしたらミラージュ侯爵を潰していただけるかもしれません」
「……あ、愛情って……い、言っておくけど、わたくしの意思はミラージ侯爵であるエレム様とは結婚したくない。そのためにノアを利用するだけよ」
それに大貴族相手にたった一人が歯向かったところで意味がない。そう思うが、ノアの笑みを思い出すとその言葉を言い出すことはできなかった。
「ふふッ、そういう事にしておきましょう。さあ、姫様、お時間になりましたよーー」
それと同時に部屋にノックの音が響く。護衛の近衛だろう。
「姫殿下、舞踏会のお時間になりました」
ヘレンはそれを聞いて立ち上がった。
王都の街がすっかり暗くなった頃。
ノアは舞踏会への準備のために着替えをして、髪のセットも行っていた。王とした謁見の時のように黒の燕尾服を着こみ、髪も目元にかからないようサイドに流すような髪型になっていた。
王城の大広間ではもうすでに舞踏会が開催されているのだろう。楽器から奏でられる綺麗な音色がテンポのいい曲を作り出している。その音は、ノアが待機している薄暗い通路まで聞こえていた。
「ノア様ッ!お待たせしましたッ」
ようやく待っていた人物が来た。ノアは声が聞こえてきた方へ視線を向けた。そこに立っていたのはノアのダンスの師匠であるメイドのミラと近衛騎士二名。そして、三人に挟まれるように中央にいる人物にノアは目を奪われた。
青色の鮮やかなドレスを着たヘレン。肩を大きく出し、首元には大きな宝石がいくつもあるネックレスをつけている。薄く化粧をしているようで、ただでさえ美しい容姿を際立たせていた。
ヘレンもヘレンでノアの姿を見て頬を赤らめたが、すぐに立ち直って睨みつけてきた。
「ふん、称賛の言葉もないのですか?」
「……あーはいはい。にあってます、すごくうつくしいです」
ノアは見惚れたことを誤魔化すように、棒読みで称賛した。ミラはクスクスとと笑っていたが、ヘレンは馬鹿にされたように感じたのだろう。顔を赤くして詰め寄ってきた。
「な、何ですの⁉ その言い方は! なんでこんな人と……」
拗ねたようにそっぽを向いたヘレンにミラがたしなめるように言った。
「姫様、私たちがノア様に無理を言ってきてもらったのですよ。それに、これから二人は一緒に入場してもらうのですから、そんな調子ではダメです」
ミラはそう言って、ヘレンの背を押しながらノアと近付けようとする。ノアもヘレンの機嫌が斜めのままでは面倒なことになりそうだと感じた。主に父親絡みで。
だからノアはここ数日間練習した作法を使って褒めることにした。それならば自分の言葉で褒めるより、照れ臭くないから。
「姫殿下、先程のご無礼、謝罪いたします。あまりの美しさに、目を奪われていたのです」
そう言ってノアは意識的に甘い笑みを浮かべた。これが普通、もしくは不細工な容姿の男性ならイラっとするだけだが、ノアは客観的に見てイケメンである。
「な、そ、そうです、の……」
ヘレンは目を白黒させながら顔を俯かせた。顔色は見えないが、耳が真っ赤に染まっている。ノアは意識的に浮かべた甘い笑みが成功だったことに、ちょっとだけ嬉しくなり教えてくれたミラに感謝の視線を向けた。ミラもノアの視線を感じ取り、ヘレンに見えないようにウインクをしてきた。
それにノアは頷きを返し、今度は真剣な表情をヘレンに向けた。
「姫殿下、お手を」
そう言ってノアがヘレンに腕を差し出す。ヘレンはどこか躊躇するようにしていたが、ノアがじっと静かに見つめると照れたように俯かせながら腕を組んだ。
ノアが待っていた理由はヘレンと共に大広間に登場するため。表向きの理由はヘレンのために、ミラージュ侯爵とかいう貴族を近付かせないこと。
だがノアはそれだけが理由ではないことを分かっていた。そうでなければ、あの王が娘と登場することを許可するはずないからだ。ノアの立場は未だ平民でしかない。だが、メルギスの街での活躍が嘘ではないことは闘技大会の予選で見せたため、貴族達は分かっているはずだ。
しかし、ノアにとっては王にどんな目的があろうと構わない。ノアは自分に利があってここにいるのだ。
ノアはヘレンと顔を合わせて、一緒に歩き出した。そして煌びやかな光が差す大広間へ、足を踏み入れた。




