”魔王”に魅入られた者
王都トランテスタ、貴族街にある一際大きな屋敷。それは公爵の地位にある英雄の一族、アスカテル家の別邸である。
その屋敷の二階、公爵に相応しい豪奢な室内で。
当主であるオスカーはソファに座って、ある報告を待っていた。そんな彼の片手にはボロボロの手記がある。
手記を眺める彼の瞳には得体のしれない感情が浮かんでいる。オスカーがしばらく古ぼけた手記を眺めていると、扉がノックなしに開かれた。
「やあ、オスカー」
入ってきたのは茶髪の優男。悪魔族のエレムだ。今は人族に擬態して、ミラージュ侯爵家の当主という事になっている。
「もうすぐ聖王国から使いの者が来るってさ」
そこで一旦、言葉を切り、エレムはオスカーの手にある物を見つめて苦笑した。
「確か、先祖の……持ってきたのかい?」
「この地で私の願いが成就するのだ。そう思うと、な」
そう言って、オスカーは再び手記に目を向けた。エレムは感情を感じさせない瞳で、そんなオスカーの様子をじっと見つめた。
しばらくすると、部屋の扉の前に魔術陣が現れた。
光り輝くその陣から出現したのは二人の人間だ。一人は神官服を着た赤髪の整った顔立ちをした女性、もう一人は聖堂騎士団の制服を着ている男。
赤髪の女性がオスカーの前に行き、丁寧に礼をした。
「アスカテル公爵閣下、この度はお招きいただきありがとうございます。わたくしは聖王国使節団、”聖女”の副官として派遣されたロベリアと申します」
オスカーはボロボロの手記を懐にしまい、顔を向けた。
「うむ、話は聞いている。一先ず座り給え」
「はい。それでは失礼します」
薄らと微笑みながら対面に用意されたソファに座るロベリア。護衛なのか、聖堂騎士の男は座らずに後ろに立つ。壁際にいたエレムはそのまま壁に寄りかかったままこちらを見た。話を聞かないわけではないだろう。
「予定通り、勇者を王国まで連れてきたのだな。枢機卿には感謝しなければ」
「はい、聖王を説得するのには時間がかかったようですが」
「……ああ、これで、一先ずは私が”魔王”になる場は整った」
顔を天井に向けて、オスカーは万感の思いで呟いた。野性味あふれるその顔に、凄惨な笑みを浮かべて。
「……ですが、まだ完璧ではありません。一人、不確定な存在がいます」
「分かっている。確か、ノア、という名前だったかな? だが既に手を打っている。Aブロック決勝進出者のバロンという者は私の駒、”種”の実験体だ」
「……なるほど、ですが悪魔族の姿がバレると……」
「心配いらん。擬態の力まで習得している。それに、バロンは隷従の首輪をしている。私に不利なことはない」
ノアを軽く見ているようなオスカーの態度に、ほんの一瞬だけロベリアは眉をしかめた。
「本来なら、ノアを始末するのは聖王国の、私の任務です。このままでは立場がありませんから」
そしてロベリアは後ろの護衛の男に視線を向けた。瞬時に意味を理解した男は懐から小瓶を取り出した。
その小瓶の中には少量の毒々しい液体が入っている。それを受け取り、ロベリアは卓の上に置いた。オスカーがそれを見て尋ねた。
「……それは?」
「私の英雄紋の力。簡潔に言うと毒です」
「ほう、君の力、ね。それを私にばらしてもよかったのかね?」
「問題ありません」
にこやかな笑顔でそう言い切ったロベリアを、オスカーは様子を探るように見た。
「これを剣にでも塗っておけば間違いありません。結界の方はーー」
「こちらで何とかする。毒はありがたく使わせてもらおう」
その言葉に、ロベリアは黙って深々と頭を下げた。
聖王国からの使いの者と会談を終え、オスカーはバルコニーへと出て外の空気に当たっていた。隣にはエレムがいる。手すりに体重を預けた格好で、目を細めて風を感じている。
すでに時間は深夜と言ってもいい時間。だが、相変わらず王都の街から光が消えることはない。
夜の王都が一望とはいかずとも、はっきりと見えるくらいには高い場から、見下ろす。
「オスカー、”種”の実験体じゃノアには勝てないと思うけどな。毒も確実とはいいがたいけど……」
「……そうか」
反応が薄いオスカーの様子を横目で見て、エレムは何気なく確信をつく。
「そう言えば、俺は聞いてなかったよね」
「……何がだ?」
「君は、英雄の一族に生まれたにも関わらず、俺達悪魔族を保護し、魔人種の再興に協力してくれている。君の目的は魔物を束ね、人類の災厄、”魔王”になること。でも、それを志した理由を聞いてなかったから、さ」
「……なぜそれを今聞く?」
「前から興味があったのさ」
短く言ったエレムの目は王都に生きる人族の姿を映している。それらを陰がある瞳でで見つめる彼の胸中を推し量ることができないオスカーはため息を一つ。それから、懐にしまっていたボロボロの手記を取り出した。
「……これは初代、『竜殺し』と呼ばれた英雄アスカテル本人の手記。これには彼が日々感じたこと、思った事、考えたこと。様々な想いが書かれていた」
魔王軍の残党が好き勝手に暴れまわる時代。『黒竜』はその時代でも突出した力の持ち主であった。最強の種族『竜種』でありながら、魔王に従った竜。
「……『黒竜』を討伐して、その血を飲んだアスカテルは新たな力を手に入れた」
「新たな種族『竜人族』……」
「そう、新たな力を得て、彼は更なる働きができる嬉しさに震えた。英雄としての自分に、人類種族を守る自分に、誇りを持っていたから。だがーー」
そこで、オスカーは一泊おいた。新たな空気を肺に入れる。
「討伐から帰ってきた彼に、人々から向けられたのは恐怖の視線。自分が守ってきた者達からの裏切り」
「……」
「英雄なぞ、敵がいなければ絶大な力を持つ魔物と同じさ。その敵が、現代にはいない。人類国家間のみで争うつまらない時代だ。英雄には、倒すべき敵が必要なのだよ。そして、私がたどり着いた先にいたもの。それが”魔王”なのだ……!かつてこの大陸をあと一歩のところまで支配した、絶大なる魔物の王がッ!」
オスカーの瞳には憧れの感情がある。”魔王”という存在に魅入られた者。それがオスカー・リル・アスカテル。英雄の一族に生まれながら、”魔王”に憧れを持つ者。いや、英雄の一族だからこそ、現代の英雄にとっての”敵”になることで、英雄の価値を引き上げようとしているのだろうか。
エレムは横でそんな彼の姿を静かに見ていた。滑稽な、一人の人族の姿を。歴戦の悪魔族である彼が感じることは一つ。
「……敵、ね。面白い。僕たちも、これまで以上に協力するよ」
本心を隠して、エレムは隣にいるオスカーにそう告げ、再び王都の街に目を向けた。
気持ちいい微睡を味わいながら、ノアは寝返りを打った。瞼の裏から朝の陽ざしを感じ取っても、まだ起きる気にはならない。
その時、誰かがベットに座る気配を感じた。この気配は……
ノアが目を無理やり開けると同時に、ふわふわの金髪が目に入った。そして、森妖精族の幼女、レナがノアの頬を人差し指で突っついてきた。
「いや、レナさん、もう俺起きてるんだけど……」
目を開けているのに、レナはまだノアの頬を突っついてくる。
「……むう、起きるの速い」
不満げに言うレナに苦笑してから、ノアは起き上がった。それから、気まずそうにレナを見つめた。
(レナ達の前で、弱音を吐いてしまった……)
身体が弱っていると、精神的にも弱くなるのだろうか。フィリアが来訪したときも恥ずかしい姿を見られた気がする。
(……最近、こんなんばっかだな)
魔力は程よく回復しているため、ノアは嫌な記憶はさっさと忘れることにして、着替えをした。
それに、いつまでも悩んでいるのは自分らしくない。
「そうだ、今日はレナと俺が一応決勝トーナメントに無事進んだってことで、お祝いでもしようか」
「……ん、それがいい」
「と、その前に、まずは朝食を食べるとしよう」
「……ん!」
レナがはにかむように笑ったので、ノアの右腕は吸い寄せられるようにレナの頭を撫でていた。
宿、『黄金亭』は高級宿に相応しく、朝食は大会場にたくさん並んだ料理から好きなものを取って食べるバイキング形式である。
着替えを済ませたノアとレナはエルマと合流して朝食が用意されている会場に来ていた。染み一つないテーブルクロスが敷かれた卓は、それだけで他の宿にはない高級感が漂う。
ノア達は各々自分が好きな料理を取っていく。
ノアは肉類がほとんど。『エビルダックのハーブ焼き』、『ポークソーセージ』などの肉料理を栄養バランスを考えずにとっている。レナは野菜とデザートがほとんど。ケーキ類が多いが、緑色野菜が多いため、少なくともノアよりも体にはいいだろう。
エルマが一番バランスよく料理を取っている。エルマはノアの肉料理しかない朝食を見て、一つ頷いた。
「ノア様、身体に悪いです。野菜も取りましょう」
エルマは無表情で傍にあるサラダがある大皿から、ノアの皿に取り分けた。
「お、お母さん?」
「違いますが」
真顔で即答である。冗談が通じているのか、いないのか分からない。
「……はい」
大人しくノアは野菜も食べることにした。
ノア達三人は適当な席に着き、食事を開始した。会場には昨日の闘技大会の試合を見た者もいるのか、ノア達を見てひそひそと話している。
「……もぐもぐ、なんか、ひゅうほくはへてるね」
「……ん、確かに」
元々、ノア達は容姿が良いため、注目されていない日などなかったが、今日は会場内にいる人達からの視線の質が変化していた。闘技大会に出たレナとノア、二人は決勝トーナメントを決めた猛者である。だが、結果は同じでも、二人に向けられている感情は違う。
「……なんか、レナは好意的に見られてる気がするな」
「……ん、ノアの方はなんか脅えているような……」
その言葉に、ノアは本気で分からないといったふうに首を傾げた。
「……俺とレナ、共に決勝トーナメント進出を決めた二人で視線の質が違う意味……そうか、分かった! こいつらみんな幼女好き、ロリコン野郎ということかな……?」
「……むう、幼女じゃない」
謎が解けて、すっきりした顔で食事を再開しようとしたノアを、エルマの言葉を止めた。
「いえ、ノア様の紋章術が禍々しいものであったからでしょう。しかも、ノア様は嗤っていましたし」
とても英雄には見えませんでした。そう続けて言ったエルマ。
「……ま、マジか。俺はレナみたいに派手な紋章術を使って目立ちたかっただけなのに……」
「……よしよし」
俯いたノアの頭を隣にいたレナが慰めるように撫でた。その瞬間、会場がザワリとした。
「……レナの人気がすごいな。ま、まあでも人気がなくても別に、そこまで、気にしてないし……」
周囲の様子を見ながら口を尖らせて、不満げに言うその様子はどう見ても気にしている。そんなノアの様子に、エルマも慰めの言葉を放っていた。
「ノア様も人気がないわけではありませんよ。特に女性に人気です」
「そ、そうっすよ! ノアさんは人気っす! 自分、めっちゃ尊敬してるっす!」
「……うーむ、ここは慰められておこう」
そう言って、ノアは食事を再開した。隣のレナはノアを見て頬を膨らませていたが、そんなことしても可愛いだけである。
(あれ……今……)
ノアは、そこでふと聞いたことがない声が混じっていることに気付いた。再び食事を止めて、声がしたほうに視線を向けると。
そこにいたのは寝ぐせなのか、そこかしこで髪の毛が跳ねている少年。顔立ちはいい方で、優しそうな人物だ。
「いや、誰だよ」
ノアがそう言った瞬間、その少年は王国でよく見る茶髪の頭を直角に下げた。
「そ、その、自分、ノアさんのあの戦いを見て、憧れて……」
ノアは流石に突然の事で意味が分からない。レナもポカンとした顔で見つめていた。エルマは動じずに食事を続けているが。
「そ、その、自分を弟子にしてくさいっす‼」
元気よく言いきって、言えたっす!と勝手に安堵をしている少年の姿に、ノアは瞬きを二回してから固まった。




