漆黒の焔
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次の日を迎える。予定通り、闘技大会予選Bブロックの試合が行われる日。レナの力で粉々になった舞台は修復済みだそうで特に問題はないそうだ。だが、ノアは闘技場には足を運んでいなかった。
場所は王都の冒険者ギルド。剣と盾の看板がある武骨な建物である。王都だけあって、メルギスの街にあったものとは大きさが段違いだ。
ノアはこの場に一人で来ていた。レナは昨日の試合で魔力を結構消費したようで、宿屋で休んでいる。今はエルマにレナを任せて、ノアは一人でやってきたという訳である。
目的はメルギスの街にもあった演習場にある。メルギスの街ではA級冒険者のバッカスと戦った場であり、ランク試験や試し斬りなど、冒険者には自由に開放されている場所だ。しかも、結界があるため、多少危険なことをしても周囲に迷惑にならない。
ノアは明日のCブロックの試合に備えて、身体を動かそうと思ってきたのだ。
という訳で早速、冒険者ギルドの扉を勢いよく開け放ったのだが……
広いカウンターには、けだるげに頬杖をついた受付嬢一人。併設された酒場もほとんど誰もいない状態であった。もちろん、依頼用紙が貼ってある提示板に冒険者の姿はない。
ノアは闘技大会だからこんなものか、と大して気にせずにカウンターにいる受付嬢の下へ行く。流石は王都の冒険者ギルドの受付嬢。ルックスはレベルが高い。猫のような可愛らしい耳を頭頂部から生やしている獣人。それも小麦色の髪を緩くパーマさせている美人さんである。
だが、問題なのは態度だ。ノアが傍に来ても、受付嬢は爪の手入れをしたりしていて、やる気が感じられない。
「あのー……」
「ちッ、依頼? それとも登録?」
いきなり舌打ちされたノアは頬を痙攣させた。
「いや、演習場ってあるよね? そこを借りに来たんだけど……」
「冒険者じゃない人は無理だし。分かったら早く帰ってくんない?」
こっちを見ずに、爪をいじり続けている受付嬢。ノアはちょっとだけ腹がたったので、笑顔で毒を吐いた。
「君、これでよく就職できたね?」
「はあ、あんた何言ってんの? あたし、これでも人気ナンバーワン受付嬢だから」
そう言ってやっとノアを正面から見つめた受付嬢。美人なのは認めよう。ギルド職員の制服の胸元を窮屈そうに圧迫している胸部。スタイルもいい。
「ああ、そうなの。そんなことはどうでもいいから演習場を貸してくれ」
「どうでもいいってなんだし! あんた、初対面の人に対してさ、ちょっと失礼だね」
お前がいうなよ。会話しているとイラっとする。ノアはジャケット型の装備『覇竜の衣』の胸ポケットにあらかじめ入れていたギルドカードを取り出して見せてあげた。
「ほら、Bランク冒険者なんだよ、俺は。これで貸してくれるだろ?」
「へえ、その年でBランクとかやるじゃん。でも、あんま調子のんなし。あんたよりも強い人はいるんだから」
どこか見透かしたように言って、猫のように眼を細めて笑う彼女。
「あ、それからあたしの名前は王都人気ナンバーワン受付嬢ナディアちゃん。ナディって呼ぶのは親しい人にしか許可してないからあんたはまだダメ」
一々余計な事をいう彼女にひきつった笑みを見せて、ノアは了承した。
「……うん。了解、それと、確か演習場には結界が張ってあるんだよね?」
「そうだけど……」
「どれくらいの強度なのかな……?」
「あんたの全力なんて軽く受け止められるくらい」
「……なるほど」
そこで、ノアが凶悪な笑みを見せたことに、ナディアは気付かなかった。
「じゃ、奥の通路を真っすぐ言ってーー」
そこは案内してくれるんじゃないのか。いや、動きたくないだけか。ノアは呆れたような目で見ながらも、説明にはきっちりと耳を傾けた。
結界を通り抜け、ノアは演習場内に足を踏み入れた。小さな闘技場のような作りで、円のように観戦席が配置され、それに囲まれた中に演習場はある。大体の造りはメルギスの街と同じだが、結構広い。
ノアはここに身体を動かすためにも来たが、それ以外にも目的はある。
レナがあれだけド派手な紋章術を使い場内を沸かせた時、ノアもああいう派手な術を使いたいと思った。簡単に言えば目立ちたいのだ。
ノアには高火力すぎて、まだ実戦では使用したことがない紋章術がある。言質となる言葉はナディアから聞いた。ここでそれを試し、彼女には後でたっぷり後悔してもらう。
Aブロックの試合、レナの相手はA級冒険者のアゼルと呼ばれる拳士だった。実力は『黒狼』クラス。英雄級に片足を踏み入れたくらい。
各ブロックにはそんな強者も何人かは紛れているのだ。そのために、試し打ちに来た。ノアは周囲を覆うように張ってある結界に向けて、笑みを浮かべて詠唱を開始した。
その結果。
見事に結界を吹っ飛ばし、地面も荒地と化した。
ノアは満足気にそれを見て、人が来る前に転移の魔術で宿屋に帰還した。
そして迎えた次の日。生憎晴天とはいかず、雲の隙間からわずかに太陽の光が差し込む程度。そんな日に迎えたCブロック予選日。
ノアは既に闘技場の結界を通り抜け、舞台上にいた。約百名いる参加者たちの様子を見ながら、魔剣ルガーナの鞘を撫でた。
「……準備はいい……?」
そう言うと、ルガーナが応えるように振動した。
次に、ノアは客席の中央にあるガラス張りの部屋、来賓席に目を向けた。部屋は何部屋もあり、国ごとに分かれているようだ。座るのは他国の使者や王族なのだろう。その中でも、ノアは聖王国使節団に目を向けた。
ーーフィリア……。
この距離からは彼女の輪郭しか分からない。だが、その白銀の髪は遠くてもはっきりと分かる。
彼女は自分に気付くだろうか。もし気付いたとして、どう思うのか。そう考えると気が重くなってくる。だが、ノアは力を示す必要がある。それに、レナの派手な魔法を見てノアは対抗意識が芽生えていた。
(俺もド派手な”紋章術”を使って目立つ!)
そんな決意を内心でしていたその時、丁度会場内に実況の声が響く。ノアはその声に耳を傾けた。
『さあ、王国闘技大会予選Cブロックの試合が始まります! 今日も随分と盛り上がっているようですね! 実況はおなじみ、王国騎士団所属自称広報担当ミナス・クレイド、そして解説はもちろん宮廷魔術師団、第七席、クラリスさんです! よろしくお願いします!』
『……はい』
『昨日のBブロックの試合では、近接戦闘が得意な『剛剣』のオーレル選手と遠距離戦闘が得意な『魔炎』のエルミーヌ選手という対照的な選手が決勝トーナメントに進出しましたね』
『……そうですね。いささか、Aブロックの試合と比べると派手さはなかったですが、堅実な戦いが目に付く二人でした』
(……派手さはなかった、か。それなら英雄紋所持者ではないのかも。だったら、今日は俺が度肝を抜いてやろう)
ノアはもはや自分が決勝トーナメントにいけないとは微塵も考えていなかった。そんなことより、どうやってレナよりも大きなインパクトを与えるかを考えている。そんな舐め腐った態度を周囲の選手が知れば、確実に真っ先に狙われるだろう。
そんな事を考える中、実況の声は続く。
『早速ですが、今日の注目選手を上げていきたいと思います。まずは皆さんも噂をご存知の方は多いでしょう。メルギスの街に突如襲来した魔物の集団。まるで古の魔王軍のような恐ろし気な者達相手に獅子奮迅の大活躍ーー』
ノアには何だか聞いたことがある話だ。大分脚色されているが……
『加護を授かった英雄は謎に包まれ、その力は光とは正反対の漆黒の力! そのメルギスを救った新たな”英雄”が闘技大会に参戦しているのです‼』
そして、闘技場上空に空間魔術で創られたスクリーンのような画面に目を向ける。すると、そこには漆黒の装備に身を包む、どちらかと言えば中性的な容姿の少年が映っていた。
ーーいや、俺か。
『その英雄の名は、ノア‼ 王都でも人気の”漆黒の英雄”本人です! この試合が終わるまで異名をつけなければいけない僕の責任は重大ですね!』
その瞬間、観客の歓声が自分に向けられる。どちらかと言えば女性が多い。それもノアより年上が多い気がするが、それよりも大事なことがある。実況の騎士に、お前が考えてたのかよ、とツッコミを心の中で入れつつ、周囲に目を向ける。すると、先程まで自分に目を向けていたのは数人といったくらいだったのに、もはやほとんどの出場選手に目を向けられていた。
そう言えば自分はヘルミナス伯爵であるガレスが推薦する選手になっている。自由参加のレナは注目されていなかったが、貴族の推薦としてきた自分が注目されないわけない。
男性の選手から、敵意が膨れ上がった気がするし、自分が”漆黒の英雄”などと呼ばれていたことも初めて知った。
それにフィリアにも自分の存在が確実に知れ渡っただろう。余計な事をと思う反面、ここで自分が大活躍すれば王国にとって自分の存在は大きくなる。
やがて、他の注目選手を上げ終わり、舞台上に立つ選手たちが静かに闘気を燃やす。観客も一旦静かになり、場には緊張感が出た。
『注目選手を上げ終わったところでそろそろ試合開始の時間です。それではCブロック予選、開始!』
その合図を聞いた瞬間、ノアは動き出していた。走りながら、魔法名を唱えた。
「<魔力支配・黒装>」
魔剣を抜き、最初から英雄紋へ魔力を流した。漆黒のオーラが噴き出し、ノアの身体に纏わりついていく。漆黒のロングコート状になったオーラをそのままに、近場にいた人から順に斬り飛ばしていく。
「ギャアあああああっ⁉」
「うわああああっ⁉」
英雄紋を使ったノアのスピードについてこれるものなどいない。舞台を高速で走り、すれ違いざまに斬り捨てていく。
感覚的には身体を両断しているのに、選手の身体はノアの一太刀を浴びても気絶で済み、場外に光の粒子になって消えていく。その仕組みの要、ノアは興味深そうに闘技場全域に張られている結界に目を向けた。
「隙ありッ!」
「<風の矢>」
飛び掛かってきた剣士を見ずに、斬り捨て、その後の魔術にもノアは手をかざすのみ。風でできた矢はノアが纏う黒いオーラに触れると、方向転換して先ほどよりも風量があがった状態で術者に向かっていき、胸を貫く。
「ゴハっ⁉」
「ぅァッ!」
『な、何という事でしょう⁉ 涼しい顔をして容赦のない近接戦闘も目を引きますが、何よりあの禍々しい黒いオーラ‼ 魔術を反射しましたよ⁉』
『……魔術反射など、聞いたことがありません。何かの能力の応用なのでしょうか?』
実況の興奮した声と解説の困惑した声が重なる中。
ノアが手に持つ魔剣ルガーナが喜ぶように、刀身を紅く輝かせた。そしてノアは周囲をゆっくりと見渡した。
「……これですっきりしたね」
その呟きに、周囲にいた選手は腰を低くして警戒した。もはやこの場はノア対Cブロック選手になっている。皆、ノアから目が離せないのだろう。
だが、自分から仕掛ける者がいない。圧倒的な力を見せることで、動きを封じる。ノアはこの瞬間を待っていた。コート状にしていた漆黒のオーラを魔剣を持つ手とは逆の左手に収束させる。
「<魔力変異・魔力を炎に、炎を焔に、全てを葬る無情の焔>
詠唱。昨日、試し打ちして改めて思ったが、ノアが行使するこの紋章術は危険すぎる。邪魔が入り、失敗したら自分でも危ない。だからノアは最初に周囲の選手を場外にして、自分を警戒させた。
詠唱をするノアを止めようと、何人かの選手は動き出している。だが所詮、人族の限界であるA級だ。もう間に合わない。
ノアはその収束させた左手にあるオーラを、詠唱が終わると同時に握りつぶした。漆黒の魔力がその瞬間、黒き焔に変わる。
生み出したその禍々しい焔を、ノアは向かってくる選手には向けずに地面に叩きつけた。
「<食らい尽くせ・光焔万丈・レーヴァテインッ!>」
ノアは笑みを浮かべて、その紋章術を発動させた。
すると、まず地面が大きく揺れて。それから勢いよく噴き出した。舞台上から黒き炎の柱が続々と。
その焔は意思があるように人がいる場から立ち上る。闘技場上空にある結界にぶつかり、激しく揺らす。選手は悲鳴を上げる暇もなく、飲み込まれていく。抵抗する間もなく、どこまでも残酷に。
舞台はもはや粉々になり、ノアが立っている場だけくり抜かれたように足場がある。火柱は今も上がり、まるで地獄のような光景になっている。
実況席が静まり、観客も静まり返っている。
そんな中、ノアは結果に満足して残酷な笑みを浮かべた。だが、まだ残っている者もいる。やはり、英雄紋所持者は簡単ではないようだ。
片目に眼帯をつけた隻眼の細身の男。鷹のような鋭い瞳で、弓をつがえるのを見て、ノアは腰を落とした。




