妖精郷
闘技大会の舞台上にはAブロック参加者たちが既に集まっていた。彼らの中には、対戦者たちをじっと観察している者、思い思いの方法で身体をほぐしている者、武器の調子を確かめている者、皆、各々のやり方で試合開始の合図を待っていた。
『さあ、開会式が終わり早速Aブロックの試合が始まろうとしています。えー、解説席には実況の王国騎士広報担当を自称しているこのミナス・クレイドと、解説の王国宮廷魔術師団所属、第七席『氷雪の魔術師』の異名をとるクラリスさんに来ていただけました! 本日はよろしくお願いします!』
『……よろしくお願いします』
会場内に快活な男性の声に続いて、冷静な女性の声が響いた。
『さあ、これから総勢百名に及ぶバトルロワイヤルが行われるわけですが、ここで観客の皆様に分かるよう注目選手を上げていきたいと思います! まずはビドー侯爵推薦、『結界のメリル』! 王国では珍しい神聖系魔術、その中でも結界を極めし魔術師ですね。去年の闘技大会で決勝トーナメントまで進んだ猛者です』
『……はい、彼女の結界術は魔術師封じと言ってもいいもの。魔術師にとってはやりづらいものでしょうね』
闘技場の上空に空間魔術で創られたスクリーンが映し出された。そこに映っている純白の法衣を着た魔術師の女性、それが『結界のメリル』と呼ばれた女性なのだろう。その女性に観客の注目が集まった。
『なるほど、ではクラリスさんの注目選手を教えてもらっても?』
『……はい、一人はミラージュ侯爵が推薦する魔術師ウェレスでしょうか。私も同じ元素系魔術師ですからやはり彼のような強力なーー』
同じように、闘技場上空にスクリーンが映し出される。画面上に立つのは漆黒のローブを着た不気味な雰囲気の男。骨ばった手で杖を持つその姿は、正に魔術師といった装いである。
自分の姿が上空に映し出されたことに、舞台上にいるウェレスはわずかに笑みを浮かべた。魔術師でもあり、呪術師でもあるウェレス、彼はミラージュ侯爵の推薦として参加していた。有力貴族が推薦する者は注目されずにはいられない。それだけで多くの敵に狙われることになる。
王国の闘技大会は決勝トーナメントまで残るのは相当の強さと運が必要だ。ほとんどの参加者は予選でどれだけの敵を倒したか、それが評価される。ウェレスの目的は他の参加者の力を弱めて、ある一人の男を生き残らせること。
つまり、自分の役割は既に全うしたが……。
そこまで考えた時、実況の話が終わりを迎えた。どうやら試合の時間が来たようだ。観客の歓声が広がる。
『Aブロック、試合開始!』
その言葉を聞いて、ウェレスは笑みを浮かべた。自分に対して一斉に襲い掛かってくる者達に向けて、
「かといって、何もしないのはおかしいですからねぇ」
そう言って、彼は枯れ木のような右手の先に、魔術陣を展開した。無詠唱で魔術を発動できる技量を見れば、それだけで彼が相当の魔術師であると分かる。
「<大火球>」
魔術陣から炎でできた球が発射される瞬間、ウェレスの視界はまばゆい閃光に覆われた。
* * * *
『オオッとーー⁉ どうしたことでしょう! 魔術師ウェレス、魔術陣を展開した瞬間に爆発してしまいましたよ⁉』
『……魔力暴発ですね。熟練の魔術師である彼がするとは……。大舞台ですから緊張したのでしょうか……?』
客席に響く実況の声を聞いて、ノアは笑みを浮かべた。他の席に座る観客たちも失笑の嵐が巻き起こる。
ノアが現在いる場所は客席、もっといえば貴族が座る貴族席である。右隣の椅子にはメルギスの領主で伯爵である厳格そうな顔立ちのガレス、左隣にはメイド服を着た翡翠色の髪と眼鏡をかけた美貌の女性、エルマが座っている。
ノアは伯爵であるガレスが推薦する参加者、という位置づけであるため、貴族席に座る事を許可されているのだ。
「……ふーむ、ミラージュ侯爵が推薦する者がこんな初歩的な魔力操作を誤るだろうか……?」
隣に座るガレスが腑に落ちないといった風に、腕を組んで考え込んだ。
ノアは思ったよりも自分の支配の魔力が上手く効いたことを素直に喜んだ。微量な魔力放出によって、魔力を送った者の魔力回路を支配して爆発させる。初めての試みだったが、成功したことにほっとした気持ちもある。だが、そのガレスの言葉に少し引っかかるものがあった。
「……ミラージュ侯爵ってどんな人物なんです……?」
「ん? ああ、英雄の一族であるアスカテル家当主の右腕ともいわれる御方だ。武芸に秀で、特に槍術の達人として有名だな」
そう言って、ガレスが目線を向けた先に、ノアも視線を移動させる。ガレスよりも高い位置の席に座ることができるその人物は侯爵の称号を持つ特権なのだろう。
ーーあれが……。
茶髪の髪をなびかせた爽やかな面持ちの貴族。所作は貴族らしく見事だが、ノアにはそれが演じているような、そんな違和感を感じた。
そして、隣で談笑する人物にも目を向けた。
彫りの深い顔立ちの三十代くらいの男性だ。身体からあふれ出る覇気は並みの者ではない証拠。次の瞬間、その男が視線を向けてきた。
目と目が合う。ノアは視線をそらさずに、ガレスに尋ねた。
「隣にいるのは……?」
「あまり見るな。あの方がアスカテル家当主、オスカー様だ」
ガレスは視線を向けずに前を向いている。しかし、その顔はわずかにしかめている。
「……なるほど」
ノアはそれだけ言って、視線を切った。
「……ノア様、どうかしましたか……?」
「なんでもないさ……さて、レナの応援をしよう」
尋ねてくるエルマを、ノアは微笑んで誤魔化した。
* * * *
『Aブロック、試合開始!』
その声が響き渡ったと同時に、闘技大会参加者が次々と動き出す。そんな中、レナは舞台上の端に立ったまま動かない。
小さな幼女を嬉々として狙う人物はいない。
「……んー、暇」
魔術が飛び、剣戟の音が鳴り響く舞台上を見つめて、レナは乾いた唇を舐めた。それから腰ひもに吊るされた布袋に手を入れて、中にあるものを周囲に撒いた。
それは植物の種。それが硬い舞台の床に転がりながら広がった。そこで、レナは自身の胸の位置にある蝶の紋章、『妖精紋』へ魔力を流した。
背から幻想的で美しい蝶の羽を生やし、レナは片膝をついて床に手をついた。
「……<妖精郷・常若の国>」
その言葉を呟いた瞬間、ドンッ!と大きな音が響く。種から芽が出たと思ったら、それが若木になり、やがて大木へと成長していく。それが何本も広がり、舞台上を覆っていく。
木々がフィールドを飲み込んでいく。それと同時に、人々の悲鳴があがる。突如現れた森林、それを構築する木々は普通ではないのだ。
自由自在に動く木の群れが参加者達の足を絡み取り、身体を縛りつけて動きを封じている。妖精の森の木々は戦う力を失くさせる。すなわち、捕えた者の魔力を吸い取るのだ。
派手な力に、観客の歓声と実況の興奮した声が轟く。
『何ということでしょう‼ 舞台上に広がる木々、もはや森林と言ってもいい規模です! これを操るのは何と、し、信じられません‼ まさに御伽噺に出てくる妖精のような、可憐な容姿をした幼女です!』
『……すごいですね」
レナは更に能力を行使する。棒読みで詠唱を詠い、レナは瞳を大きく見開いた。
「……<妖精女王の名のもとに命ずる。世界の要、大いなる大樹よ、我を守り、我を導き、世界を創れ、世界樹>」
レナに加護を与えた『妖精女王』の”魔法”。その一端が現代で模倣される。
レナも強すぎる自身の力を全力で発揮したことはなかった。だが、今は手加減する必要はない。レナはノアに仲間として認められたい。彼と並び立つために、自分には力があるのだと証明するのだ。
レナが座る枝木、それだけが周りの木々よりも圧倒的に成長していく。どんどん成長していき、闘技場上空の結界に触れるまで、際限なく伸びていく。枝が伸び、瑞々しい葉が日の光を浴びて、雫を辺りに落とす。
そのてっぺんにレナは妖精の羽を広げて座っていた。レナが再現した世界樹がまるでレナを守るように、葉っぱの椅子を作り、周囲を防御する。
緑のひらひらとした装備に身を包むレナの姿は、まるで御伽噺に出てくる樹木の妖精、『樹妖精』のように綺麗で、幻想的だった。
魔力を吸い取り、木を操って場外に押し出したり、気絶させたりして次々と参加者たちを脱落させていく。闘技大会のシステムは身体的ダメージを精神的ダメージに変換し、気絶したら場外に自動的に転移される仕組みになっているため、脱落者はすぐわかる。だが、それでも試合終了の合図はない。
圧倒的な力で粗方片付けたレナは模倣した世界樹の葉に包まれながら、舞台上のある一点を見つめた。
やはり、これだけで終わるほど王国が誇る闘技大会は安くない。参加者の中には、英雄級に届く者がいるのだ。
森林を薙ぎ倒しながら、こちらに迫る人影にレナは瞳を細めた。




