裏切り
ノアは視ていた。ヴァレールが捕えられたところを。勇者と呼ばれる男が使った【神器・聖剣リゼル】。面白くなってきている。もう自分は十分すぎるほどあの男から学んだ。力を得た。もう何も失わない。もうーーいいだろう。
『行クのかイ』
盲目の大蛇が静かに尋ねてきた。ノアは、振り返らずに行った。
「行ってくるよ、サマエル」
ノアは、凶悪な笑みを浮かべて言った。
慣れた森の木々を駆け抜ける。ノアはまず、結界の維持をしている聖騎士達を無造作に斬り殺した。簡単に殺されていく騎士達を、ノアは無感情に見つめた。
「ーーな、なんだ!おま、グッ!」
「だ、誰だ、ギャア⁉」
「ッグボ⁉」
(……弱すぎる。これで、騎士?勇者はあんなに強いのにーー)
ノアは、後方から迫った剣戟を華麗に避けた。そこにいたのは、茶髪を伸ばした長髪の男。確かーー
「--アルドス?だったかな。副聖騎士団長の」
「貴様、何者だ!」
剣を正眼に構え、警戒するように腰を落とすアルドス。それをつまらなそうに見ながら、ノアは答えた。
「別に、そんなことはどうでもいい事だよ。どう見ても君の敵だろ?」
ノアは身体に限界まで魔力を流し、身体能力を強化する。現在のノアの本気の身体能力。
「--行くよ」
ノアの神速の一太刀は、アルドスが辛うじて弾いたがーー
「ーーぁガッ!ッグぁ」
二撃目、三撃目は反応できずに、血の海に沈んだ。息は辛うじてしているが、いつ死んでもおかしくない。ノアは、これを使って勇者の反応を見ることにした。
「--やれやれ、弱すぎ」
でも少しは役に立つ、そう言い捨て、ノアはアルドスを引きずりながら、勇者の前に足を運んだ。
ノアは嬉々として姿を現した。ヴァレールはどう思うか、考えると笑ってしまう。俯いて表情を見せないヴァレール。部下がボロボロなのを見ても、冷静さを失わない”勇者”。
「……何者だ」
静かに問いかけてくる”勇者”に、ノアはヴァレールに視線を向けてから答えた。
「そこにいる、無様にも結界に囚われた間抜けな主人の奴隷だった男さ」
そう言って、ノアは自身の首にある隷属の首輪を握りつぶした。ノアの手袋に覆われた右手から、禍々しい漆黒の光が放たれている。
「<魔力支配>」
完膚なきまでに握りつぶし、隷属の首輪を外してその辺に投げ捨てたノア。そこで、俯いていたヴァレールはやっと顔を上げた。
「……ノア。やはり侵入者に気付いていたね?だが、その能力は何だい……?君の新しい能力かい?」
聖騎士を全員殺したわけではないため、未だ結界に囚われているヴァレールを見たノアは、暗い笑みを浮かべた。
「そうだよ。今、発現したのさ。ヴァレール、助けが必要だろ?今行くよ」
ノアは結界に向けて歩き出した。しかし、レノスが進路をふさぐ。
「待て、これ以上進むなら斬る」
しかし、ノアは止まらない。面白そうにレノスの聖剣を見ている。
「神器、いいなぁ。俺も欲しーー」
「--ふッ!」
のんきに言うノアを無視して、レノスが聖剣を振りぬいた。ノアは持っていたアルドスをレノスへ投げつけた。レノスが聖剣による斬撃を止め、アルドスを受け止めた瞬間、ノアはアルドスを狙って蹴りを放った。
「--ッぐッ!」
レノスは自身の背でアルドスを庇いながら、背に蹴りを受けて吹っ飛んでいった。その隙にノアは結界へと干渉する。吹っ飛ばされた聖騎士団長の姿に、聖騎士達から悲鳴があがった。
「<魔力支配>」
ノアは黒い光があふれ出る右手で、結界に触れた。すると、黄金色の結界が明滅して消えかかる。
「……ノア。これは、どんな能力なんだい……?結界に干渉、ふーむ」
興味深そうに、黒い光をみるヴァレール。その姿に、変わらない姿に、ノアは嗤った。
「勇者が来る前に終わらせるよ」
ノアは、更に黒い光を溢れさせる。光が強くなればなるほど、結界は明滅を繰り返す。やがて、
「よし、完璧だ。完全に結界を支配下に置いたよ。いやー疲れたな少し」
そこには完全な状態の聖法結界が張られていた。状況を悟ったようにヴァレールは囚われた結界をみた。
「……なるほど、どうやら私は育て方を間違ったらしい」
「ヴァレールみたいな異常者に、まともな教育なんてできるわけないだろ?」
軽口を返したノアは無表情でヴァレールを見詰めた後、結界の中へ入った。そして、ノアはーー
「--これまでありがとう、ヴァレール。お前が俺を利用したように、俺もお前を利用するよ。次は俺の番だ」
ノアは歪んだ笑みをみせ、剣を一閃した。最後に見たヴァレールの瞳が一瞬、自分と同じ深紅の瞳に変わったような気がしたが、ノアはためらわずに剣を振りぬいた。ボトリ、と首が落ちて切断面から血が噴き出す。ヴァレールはあっけなく死んだ。
ここで、吹っ飛ばされた勇者がようやく戻ってきた。
「……殺したか」
別段、驚いた様子を見せないレノス。ノアは奇妙なものをみるような目で見た。
「俺だったら驚くけどね、この状況。感情がないのか、それにしては部下の人を庇ったり……。ま、いいや。それで、どうする?」
ノアは血に染まった剣を向けて聞いた。
「悪いが、お前はここで殺しておく。部下達を何人か殺した罪は、死んで償え」
レノスも同じように、ノアへ聖剣の切っ先を向けた。すると、ノアは支配下に置いた結界を霧散させた。聖騎士達は戦力にならないと判断したのだろう。結界維持をしなくてもいいはずなのに、近付いてこない。
レノスは【勇星紋】に魔力を流し最初から全力で挑む。
「<星屑光>」
巨木に囲まれていて、薄暗い森の中、身体からまぶしいほどの光量を放つレノス。ノアは好戦的な笑みを浮かべて自身が持つ謎の英雄紋に魔力を流しこむ。
「<魔力支配・黒装>
右手に纏っていた黒い光が、ノアの全身に纏わりついていく。そして、漆黒の輝きがなくなったとき、ノアの服装が変化していた。ジャケットだった上着は、コートのように変わっており、剣の刀身も漆黒になっている。
二人は同時に踏み込んだ。
漆黒と黄金が激突した。
周囲に走る衝撃波は森の木々を容易くへし折る。片方が吹っ飛ばされれば、もう片方も吹っ飛んでいく。森をどんどん破壊し、戦いの余波で魔物たちの悲鳴が巻き起こっている。完全に互角である。
聖騎士達の動揺は激しい。自分達の最強の英雄と、敵の強さが同じなのだから。両者の戦いは聖騎士クラスでも速すぎて目で追えないレベルだ。
「--ぜあッ!」
渾身のレノスの一撃を、ノアは黒く染まった魔術剣で受け流してレノスの横方向へ行き、レノスの脇腹を蹴りつけた。レノスもきっちりと片腕を使って防御し、頭突きをかます。蹴りの衝撃でレノスが木々を薙ぎ倒しながら吹っ飛び、頭突きを肩にくらったノアも吹っ飛ぶ。
「--い、意味が分からんよ。頭突きってこんな威力高かった……?」
倒れてくる木を押しのけて、ノアは服に着いた汚れを払いながら立ち上がった。
「瞬間的に額に全力で魔力を流した」
「…お前、もしかして意外と負けず嫌い?」
そう尋ねるノアに、レノスは少しだけ口角をあげた。
「ーーあたりかよッ!」
「--ふッ!」
二人は知らず知らず笑みを浮かべていた。その笑みは鏡合わせのように全く同じ笑みだった。もう何度目かのぶつかり合いの末、レノスは自分から大きく後ろに飛んだ。追撃しようと思ったノアはそれを見て止めた。
「……なるほど。撤退するんだね」
レノスが飛んだ場所には、聖騎士達が集まっていた。一命をとりとめたのか、副聖騎士団長の姿もあった。
(……吹っ飛びながら指示出してたわけね)
「最後に、名前を聞いておこう」
ノアは投げやりに答えた。
「んー、ジョンで」
「……本当の名を言え」
底冷えする程の目を向けられた。勇者がしていい顔じゃない。
「俺はノア。聖王国には今度お邪魔すると思うよ」
もちろんノアは家族を殺した盗賊達を殺しに行く。そういう意味で言った。しかし、
「聖王国には手出しさせん。お前はここで死ぬ。<清き心をもって願う。古の勇者の加護へ感謝を。星々に祈りを捧げて、顕現せよ、神の槍>」
ぶつぶつ何かを唱えるレノス。その姿に、ノアは手出しとか何のことだと聞こうとしたがーー
「--い、いや、これは……」
「星槍」
周囲の木々が、軒並み薙ぎ倒されているため、空が良く見えるのだ。ノアの真上には、馬鹿でかい隕石でできた槍。
ノアは一瞬だけ、レノスに向けてものすごい殺気を放っって睨んだ後、空中へ飛んだ。今更だが、ここは友人であるサマエルの支配地でもある。あまり破壊するのも考え物だ。
「<魔力変異・消滅槍・グングニル>!」
ノアの右手から、漆黒の光があふれだし、そして凝縮した。槍のような形状をしているそれを、ノアは向かってくる隕石の槍へ投げ放った。
ノアが分かっている自身が持つ英雄紋について。一つは魔力を支配できる。それが他人の魔力でも、支配し自分に都合のいいように使える。もう一つの能力が、魔力の性質変化。これはノアも何と言っていいか分からない。が、魔力を改変して、滅びの力を込めたのがあの槍である。そして、最後の能力があるが、今はやめておこう。
質量では差がありすぎる二つの槍は空中でぶつかり合い、星槍はまるで引き込まれるように漆黒の槍に飲み込まれていく。いや、当たった先から消滅していっているのだ。しかし、細かい破片でもこの森に住む魔物たちにはたまらないだろう。
巨大岩石の雨が、周囲一帯に降り注いだ。
*
ノアが視線を向けた先には、もう既に勇者たちはいなくなっていた。おそらく転移用の魔道具か何かを使ったんだろう。
ノアは今、ヴァレールが使っていた研究所跡地にいた。
とりあえず魔道具を取りに来たノアは使えるか使えないか一々判断するのが面倒になったので空間収納に次々と放り込んだ。そして、新武器も手に入れた。
【神器・魔剣ルガーナ】。ヴァレールの研究所の奥の奥に封印されていたものだ。魔力支配で封印を自分のものにしたため、簡単に入れた。
とりあえずすごい物なんだろうと、よく確認もせずに腰に差した。サマエルが、なぜか戦いの時以外は触れてはいけないと言ったからだが。
それから疲れたのもあって三日程ゆっくりと過ごした。森の中でだが。
サマエルには森を破壊してしまったので謝りにいったりした。外の世界へ行くので挨拶もかねて。森を破壊したのは、ほとんどは勇者の仕業だから、殺すならあいつを殺してくれと言ったらなぜか笑われた。
「サマエル。本当なら君と一緒に行きたいんだけど……」
手を頭の後ろにやりながら照れ臭そうに言うノアを見て、サマエルは嬉しそうに巨大な尻尾を揺らした。サマエルには修行をつけてもらったりして、随分と世話になった。
『フフ、我が人ノ世に溶け込メるはずがないかラね』
「……いつか、君にも外の世界を見せてあげるよ。それまで待っていてくれ」
『ああ、待ってイる。我はノアがどコにいヨうと友達だ』
ノアはその言葉を最後に聞き、サマエルへ背を向けた。そして振り返らずに、
「いってきます」
『……ああ、行っテらっしゃい』
伝説上の化け物の、どこか優しく頭に響いた念話を聞いて、ノアは自然と優し気な笑みを浮かべた。




